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僕、「バベルの塔を作ると最初に言い出した奴はとんだ阿呆だ!タイムマシンができたら真っ先に抹殺すべきだ!」と主張し、猫又にたしなめられる。(または語学★コンプレックス★フォーエヴァー)

 鬱蒼とした木立が行く手を黄泉の如く思わせる急な石段を降っていくと、そこが猫又堂である。否、この忘却に蝕まれ今にも朽ちそうな社の名前はもう誰も知らないだろう。ただそこに僕が懇意にする猫又が一匹、今日も居るのである。(「端書 猫又堂にて」)

僕「断固、歴史上の人物で最も業が深いのは、バベルの塔を作ろうと言い出した者である!タイムマシンが完成した暁にはまずかの大罪人を抹殺すべきだ!」

 いつになく猫又堂は騒がしく、ぼろぼろの屋根が今にも落ちてきそうである。騒がしくしているのはいつも通り僕なのだが。始まりは猫又の発言であった。

猫「ところで君、歴史上の人物で誰が一番好きとかあるかい?」
僕「なんと陳腐な質問!ふむ、手垢がつき過ぎて最早誰を挙げても陳腐さから逃れられない感が否めないな。個人的に好きなのはボニファティウス8世だがこれも手垢がつき過ぎて顔も拝めないといったところだろう」
猫「ちょっと世界史が好きな人であれば、ボニファティウス8世は忘れ難いからなぁ」
僕「『憤死』したことが有名で、皆憤死をネタにいつまでも食い物にしているがそれだけじゃあない。超のつく現実主義者だったとか、精力絶倫だったとか、どこまで本当かわからないが興味の尽きない教皇第一位であることに異論は認めない。とはいえ正直、海外の人であるし本当に好いているかは別かもしれない。やはり日本人の方が、この過去、この土壌といった共有前提がある故に、好意も一層深くなるというものだ」
猫「ならば足利義昭などどうだろう。上下激しい人生の哀愁を感じられそうだね」

 僕らの会話は特に脈絡なく始まるのだが、今回もそうだった。僕と猫又はおのおの好き…もとい単に興味がある歴史上の人物を挙げては訂正し、挙げては訂正し、長い時間をかけて自身のベストアンサーに近づこうと不毛な努力をしていた。
 そして、猫又が言ったのである。

猫「鉄板だが聖徳太子なんかどうだろう」
僕「いやいや、我が友ともあろう猫又がその名を出すとは。聖徳太子は存在が定かではないと話題になっていたではないか。伝説まで含んで歴史というのは賛成するが、『歴史上の人物』に伝説上の人物もしくは伝説かもしれない人物を混ぜるのは困るね」
猫「ふむ…では質問を変えて、伝説的人物や神話上の人物も含んで良いということにしたらどうだろうか。それはそれで夢があるではないか」
僕「成る程、それは大変面白い問いじゃないか。人間一度や二度、空想の人物に恋々とすることがある。僕の場合は」

 僕は厳かに息を吸い込み、真理を掴むかのように虚空を見つめ、ゆっくりと口を開けて——、

僕「バベルの塔を作ると最初に言い出した奴はとんだ阿呆だ!タイムマシンができたら真っ先に抹殺すべきだ!」

と、叫んだ。(なお僕個人的にはその後の静寂との対比を期待したのだが、悔しいことに吃驚した雀たちが数羽飛び立った音が続いた。)

猫「なんとまた過激派な。まさか君語学が嫌いなんじゃあるま——」
僕「僕は、語学が、嫌いなんじゃ、ない!苦手な、だけだあああああああ」

 そして場面は冒頭に戻るのである。
 バベルの塔。これは語学に苦しんだ者ならば一度は、いや幾度となく恨みを抱く塔だ。『旧約聖書』の「創世記」に記される煉瓦造りの、天にまで届きそうな塔で、これを見た主は人類の言語を乱し、散り散りにしてしまったという。つまり、主がそのようなことをする以前には人類は統一された言語を喋っていたということになるのである!*1

僕「決して僕から語学を見捨てたわけではない、あっちが僕を見捨てたのだ!僕は頑張って『ねぇ君、君と仲良くすると世界が別様に見えたり、翻訳を待たなくて良くなったり、フェイクニュースに引っかかりにくくなったりするらしいじゃないか。どうだここは一つ、盃を交わそうじゃないか』などと幾度もアタックしたのだ。しかし彼女は一回も僕の方を振り向いてはくれぬ!仏独伊西韓はおろか、あの世界言語英語すら僕と触れ合おうという片鱗も見せない!どれもこれもそもそも言語が多岐にわたったのが悪いのだ!」
猫「私から問いかけておいてなんだがバベルの塔が現実であればな。しかし君はそんな頭の出来がよくないわけではない。なぜそこまで語学嬢とうまくいかないのだ」
僕「それはひとえに語学嬢の性質によるだろう。語学というのは進歩度合いが測りやすすぎるのだ。例えば哲学であれば——勿論どれだけ基本的な哲学史を抑えているかなどは大切だろうが——少なくとも素人にはそこまで進歩具合が明瞭ではあるまい。自身の研究対象とその周辺にフォーカスすることも大事であるからだ。しかし語学は『ABCの読み方を知りました、レベル1ですね』、『イディオムをたくさん使えています?レベル80ですね』のようになんとなく素人目にも差が一目瞭然なのだ。自身がどれほどレベル3くらいに相応しいかをきしきしと身に刻みながら勉強せねばならならない。そして語学は気が遠くなるほどレベルが上位まである!どこまで行けばいいのか、ここは無間地獄なのではないか、と思うと気が塞ぐ。さらにそこにチートがいる。帰国子女だ。無論帰国子女たちにはなんの問題もない。しかしこの性根ねじ曲がった僕はどうしても『ずるい』という思いを捨てることができない!彼らだって辛苦を舐めたに違いはないのに!嗚呼、我が卑劣さたるや、しかし自然と話せるようになった彼らに羨望の眼差しを向けない日はない!語学を心から楽しめる輩どももそうだ、彼らは洋画を字幕なしで嗜み、留学生と明朗快活なる議論を戦わせ、Instagramのキャプションが英語や韓国語だったりする。嗚呼、語学は陽キャのものとなりにけり!*2」
猫「君もそうすればいいじゃないか」
僕「莫迦言え、僕ら陰キャというのはな、陰キャであることに実は矜持を持っている場合も多いのだ!そう易々と陽キャの仲間入りをするわけにはいかん、というより簡単に陽キャになれるのであればこの世に陰キャは存在しまい!大体陰キャというのは大変自省的で慎み深いのだ*3。『わたくしなんぞの間違いだらけ(やもしれぬ)外国語を世界にみだりに発していいのか、目障りではないか』、『こんなことをしたら本当は語学好きと自分を勘違いしているイタい奴として世間を白けさせてしまうのではないか』、このような質問が内なる天使から矢継ぎ早に浴びせられ、思い立ったが凶日、そんな日は最終的に全世界の語学書という語学書を呪い、バベルの塔を呪うのだ」

 猫又は首を傾げながら僕の話を聞いていたが、暫しの沈黙ののち、こう言った。

猫「聞く限り君は語学が嫌いなのでも、語学にコンプレックスがあるわけでもなく、語学とコンプレックスが結びついた、『語学★コンプレックス』なのだな。自信のなさ、忍耐のなさ、からの焦り、羨望、情報過多。語学の美点と利点も知るがゆえに外国語なしでいいと言い切れない弱さ」
僕「星を入れれば可愛くなるというものでもないぞ、つまるところそれこそがイタいのではないか、嗚呼…あっちにいけどイタい、こっちにいけどイタい、結局正攻法で楽しめないものは『イタい』のか」
猫「にゃあ、そんな僻むんじゃない。拗らせ陰キャなら拗らせ陰キャなりの正攻法でやればいい話さ。完全無欠のオリジナルなやり方は一個人にはできないから誰かの真似事になるのは仕方あるまい。辞書を耕したかったら耕せばいいさ。そんなのは無意味だ、この方が効率的だと叫ぶ者共は——彼らは善意からそう言っている場合も多いが——彼岸に置いてしまえば良い。別に直線ルートで行かなくてもいいのだ。誰かに追いつかなくても良かろう。自分が求める程度にできればいいのだ。何年かかろうが、その期間に失うものもあろうが、その期間に他の人が得ないものも必ずあろう。どうせ語学だけ強くたって何にもなれやせんのだ。君は『いわんや語学もできぬ者をや』なぞ言いそうだが、所詮世界は棲み分けされた分業形態なのだから」
僕「…」
猫「ロンブ・カトーも『わたしの外国語学習法』*4の中で3、4年というスパンで語っていた。そう急かなくても、というより急いても仕方ないぞ。そうそう、彼女は平均的学習者、忙しくてなかなか語学に専念できない一般人に対してこう言っていた、最低週に12~14時間、つまり1日に2時間は集中して語学をしていれば数年後にはなかなかになっていようと。それは素晴らしいが、それほどやってもそれだけかかるのだ。巨視的になって悲観してもやるせない。逆に短期的に、自己満足的に1日の学習時間を目標にすればいいのではないか?まぁ一案だが。努力しても報われない気分になることもあろうが、努力しなければ何もないのだ。しかし、1mmの努力でもすれば何事か成しているのだ」

 友人は茶を啜って、空を見上げた。そろそろ帰れとたしなめられる空の色である。

猫「そろそろ帰り。あまり幸せを消耗するなよ」

 僕はすごすごと帰った。気持ちは賛意が半分、卑屈が半分であった。面倒臭い奴である。人生かけて醸成してもはやドロドロの性根では、アドバイスは簡単にきけないのである。
 しかし、友人の話を拡大解釈すれば、休み休みでもいいということだ。それが僕の、阿呆の正攻法ならそれでもいいのである。コンプレックスと言語恋慕の情の押し相撲に振り回されるのは正直癪ではあるが、それを受け入れるもとい興があると思うのもまた、第一歩だろう。
 おそらく僕は<語学★コンプレックス★フォーエヴァー>だろうから。





1 : 『日本大百科全書(ニッポニカ)』
2 : 陽キャとは、外向的で前向きでコミュニケーション能力が高くて友達が多くて、まぁそんな感じの人々のことである。往々にして陽キャと言われる人は自身を陰キャだと思っている。陽キャは自己認定はできないようである。というか陽キャは実在するのだろうか?陽キャは陰キャが僻むための架空の参照点なのでは——。
3 : 僕調べ、事例数1、僕。
4 : ロンブ・カトー、2000、『わたしの外国語学習法』筑摩書房.


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