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佐賀 花の大明神

桜の季節も終わり、いよいよ暑い夏が近づく今日この頃でござる。
今回のよもやま話は佐賀県に伝わる伝説で、吾輩の旧友でもある「猫大明神」のお話でござる。

ふわっと聞いてくれればよい。


鍋島化け猫騒動

400年以上前のこと、佐賀藩藩主である鍋島勝茂と臣下の龍造寺又一郎が碁をうっておった。勝負は又一郎が優勢、そこで勝茂が「待った!」と言ったが又一郎は「待ちません!」と返す。
しかしどうしても負けたくない勝茂は何度も「待った」をかけたが、又一郎はこれに応じない。この繰り返しをしているうちに勝茂は腹が立ってしまい、刀を持って又一郎を斬り殺してしまったのだ。
その話を聞いた又一郎の母は悲しみにくれ、小刀を手にした。
そして飼っていた猫の「コマ」に「どうか息子の仇をとっておくれ」と言ったあと、自刃し亡くなったそうな。
一部始終を見たコマは、母から流れ出る無念の血をペロリと舐めたと思うとその場から去っていった。

寛永17年(1640)3月、花見をしていた勝茂は疲れてきたので就寝することにした。すると突然、風もなかった場所にフワッとなまぐさい風が吹き、桜の花がパッと散ってしまった。鍋島家に仕える千布本右衛門邦行が庭の方に目を凝らしていると、そこには何やら不気味な者が立っておった。「化け物め!」と威嚇したところ、その謎の者はサッと逃げていったそうな。
それからというもの、鍋島勝茂は毎晩うなされるようになり体調を崩し始める。さらには発狂する家臣や謎の死を遂げる者まで出始めた。
そんなある日、家臣が勝茂の寝室からただならぬ気配を感じ近づいてみると、側室である「お豊の方」が恐ろしい形相で「退れ!」を叫んだそうな。
そんなことが二晩も続いたことを聞いた千布はある武士と2人で寝室の近くに隠れながら見張った。
フワッとなまぐさい風が吹いたと思うと、遠くから猫の鳴き声が聞こえた。
時間はすでに真夜中、寝室の勝茂とお豊の方はすでに寝ている時間だった。
しかし目を凝らすと、お豊の方の影が障子に写っておった。
中から勝茂のうめき声が聞こえる。お豊の方はそれを見ながら「フフフ」と笑っておった。
翌日、決心した千布は、お酒を飲んでいる勝茂のもとへ。酒の相手をしているお豊の方に向かって大槍を突き立てたのだった。
それを見た勝茂は驚いて「乱心したか!」と叫ぶが、千布は「殿!お豊の方こそ、お家に仇なす怪物の化身!よくご覧ください!」と言い返した。
槍で刺されたお豊の方はみるみるうちに化け猫の正体を現した。血まみれの化け猫は苦しみもがきながら逃げていったそうな。

その後、千布家では男子が生まれなくなってしまい、これは化け猫のタタリではないかと考え猫塚を建て、猫大明神として祀ったそうな。

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というのが言い伝えである。
この祠には7本のシッポの猫が刻まれておる。

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余談

この伝説には諸説あり、勝茂ではなく光茂だったという説もあるが、史実では勝茂にも光茂にもお豊の方という側室はいなかったようなので、実際の鍋島騒動をもとにしたフィクションであると考えられておる。
永禄時代になるとこの伝説が「花嵯峨野猫魔碑史」というタイトルで芝居化され、全国的に流行したが、鍋島藩から苦情が出たために間も無く中止となった。
その後も、講談『佐賀の夜桜』、実録本『佐賀怪猫伝』などが世間に出回り、人気は衰えなかった。
昭和初期にはこの伝説をベースにした映画などもたくさん公開された。

しかし、実際に猫塚は存在しておるし、その祠は鍋島騒動と関連づけされておるのだから、全部が全部フィクションというのもサッパリしない話でござる。
吾輩の旧友であるコマに聞いてみても、そこのところは詳しく教えてくれないのであるよ。
コマは猫の中でトップクラスと言われるほど頭が良い。化け猫になる前は忠犬ならぬ忠猫と呼ばれるほどだったそうな。

兎に角、こんなお家騒動が現代で起きないことを祈るばかりでござる。

今回のよもやま話はこれでおしまい。
もしかしたらまたいつかの記事でコマの話をしようと思う。

最後まで読んでくれてありがとう。

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おまけ(龍造寺コマの御朱印風)↓

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