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蝸牛の歩み

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「記憶の図書館」  第40日

「ソネット、啓示、旅、国々」

ボルヘスのその時点での仕事についての話と、旅の予定が語られていて、さして重要なものは見当たらない。強いて言えば、詩について、ボルヘスは「詩人の仕事は受け身のものですから。神秘の贈り物を受けとり、それを形にしようとします・・・しかし始まりは常に自分以外のものからです」。それはなにかというと、「古代人がムーサと呼び、ヘブライ人が聖霊と呼び

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「記憶の図書館」 第39日

「ガウチョ詩について」

ボルヘスがガウチョを野蛮の方へ押しやって居るような話があったので、ガウチョ詩について、評価していないのかとおもったら、意外にも一律に評価しないというわけではないようだ。「ファクンド」と「マルティン・フィエロ」のいずれに対しても辛口の評価であったが、この2冊がアルゼンチンにおける国民文学であったために、ガウチョ詩を2冊から見るスタンスができて居

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「記憶の図書館」 第38日

「対話について」

本書がラジオでの対話をまとめたものであることは初めに紹介されている。読み進むにつれて、話す言葉を文字化することで、非常にわかりずらくなることがよくわかった。昔、戦前からのアナキスト布留川進さんの聞き書きをして、それの文字起こしをしたときに、人の話の何割かは繰り返しや関係のない話が挟まるということを経験しているので、本書もそれに似たことがあることを考

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「記憶の図書館」 第37日

「「フロリダ」「ボエド」の両グループ、雑誌「スル」

今回も驚いた。ボルヘスといえば雑誌「スル(スペイン語で南という意味)」と言われていて、私が2度目に学んだ大学の図書館にはこの「スル」があった。なおこの創刊は1930年頃です。しかしボルヘスはなんとこれを否認。「「スル」のことはほんの少ししか知りません」。「わたしたちがビクトル・オカンポ(著名な作家)の家に集まったと

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「記憶の図書館」  第36日

「ボルヘスと記憶」

私にボルヘスを読むだけの知識がないのだ。そうなんだ。なんでこんなにこの本は面白くないのか?それは私に責任があるのだ。しかし、始めたものを止めるのは悔しいので、だらだら続けることにするか、悔しい。

ボルヘスが記憶について書いた有名な「記憶の人 フネス」というのがあることと、常に誰かの詩や文章を呼び出す優れた知性から多くの人はボルヘスその人を記憶

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「記憶の図書館」  第35日

「キプリングの想起」

はてまた困った。キプリングなんて名前は知っているが、読んだこともないし、読もうと思ったこともない。仕方がないので、ボルヘスの語りを追いかけてみるだけ。

キプリングはなくなった時、ほとんど人々の反応がなかったそうだが、ボルヘスの言い分では「それはキプリングがその政治的意見で判断されていたことを示しています。おそらく作家は政治への見解を露わにし

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「記憶の図書館」 第34日

「図書館、闘鶏場、珍しい詩の思い出」

ボルヘスといえば図書館という連想が浮かぶほど図書館との関連は有名なのだが、彼が長年館長を務めた国立図書館のことではない。またこの三題話もほとんど連関する話ではない。ボルヘスはどうやら国立図書館にたどり着くまで、いくつもの図書館で働いたようである。それも下級の司書として。その一つの図書館での話の意味がよくわからない。それは仕事をゆ

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「記憶の図書館」 第33日

「ペドロ・エンリケス・ウレーニャとの友情」

さてと、困った。べドロ・エンリケス・ウレー二ャって誰?ボルヘスが彼と話した詩についてがセビーリャの無名詩人の次のような詩であった、と言われてもどうしようもない。それでもめげずに引用すると

 死よ、黙して来れ、

 常のごとく矢(サエタ)に乗りて来れ

この矢というイメージがラテン語からきているか否かを話したという。そして

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「記憶の図書館」  第32日

「推理小説について」

そうか、ボルヘスも推理小説が好きなんだ。偏愛しているといっている。エドガー・アラン・ポーからディケンズ、スティーヴンスン、ウィルキー・コロンズ、チェスタトンのような作家に霊感を得たそうだ。他にもエラリー・クイーン、コナン・ドイル等々、わたしの知らない作家も挙げられている。ポーが推理小説に規則を設け、コナン・ドイルがそれを踏襲した。「つまり探偵

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「記憶の図書館」  第31日

「サルミエントへの親愛」

ボルヘスがどのような家系の人物なのかまるで興味を持ったことはなかった。ボルヘスの一族は前にも出てきた、政治家で文人でもあったサルミエントと政治面での結びつきがあったとのことである。アルゼンチンの歴史について正確に知らないので、問題のありようを提示できないが、間単に整理すると19世紀前半のアルゼンチンは、スペインからの独立後、自由主義者を中

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「記憶の図書館」  第30日

「歴史について」

これは期待できると勢いこんだんですが、それほどでもなかったが、いくつかボルヘスの本音が垣間見られた。ギボンから入っている。「ギボンは検閲の時代に生まれて、アイロニーで語ることを強いられました。仄めかしでものごとを語るよう強いられたのですーーでもこれは最も力強く効果的に語る方法でもあります。ヴォルテールは制限のあることでむしろ巧妙な作風の作品が書け

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「記憶の図書館」  第29日

「シルビーナ・オカンポ、ビオイ・カサーレス、フアン・R・ウィルコック」

アルゼンチンの作家についてのボルヘスとの関係について、自ら語っているのだが、申し訳ない、名前しか知らない。どうしようもないので、ボルヘスが語るエピソードを書いておくだけです。

シルビーナ・オカンポはビクトリア・オカンポと姉妹。ビクトリアが姉だそうだ。ボルヘスによるとこの姉妹はアルゼンチン文学

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「記憶の図書館」  第28日

「リアリズムの文学と幻想文学」

毎日ボルヘスの創作姿勢について疑問を投げかけているのだが、今回はとんでもなくボルヘスの考えに違和感を感じた。私はリアリズムの文学も幻想文学もいずれも好んで読むし、そこに上下の差はないと考えてきた。ボルヘスはどうか?ボルヘスは初っ端からこう語っている「おそらくどんな文学もその本質は幻想です。リアリズムの文学という考え方は誤っています。

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「記憶の図書館」 第27日

「ダンテ、尽きせぬ読書」

さて困った、ダンテを読むほどの知識はないし、教養もない。ということで、ボルヘスが語るダンテを追うことにする。

ボルヘスはダンテがカングランデ・デ・ラ・スカラ(一体誰?)への書簡で「自分の本は聖書と同じように四通りに読めると書いてある」そうだ。ダンテ自身が言うのだからなんか手がかりがありそうなものだが、ボルヘスは分からないと言っているーーー

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