見出し画像

蝸牛の歩み

「記憶の図書館」  第29日

「シルビーナ・オカンポ、ビオイ・カサーレス、フアン・R・ウィルコック」

アルゼンチンの作家についてのボルヘスとの関係について、自ら語っているのだが、申し訳ない、名前しか知らない。どうしようもないので、ボルヘスが語るエピソードを書いておくだけです。

シルビーナ・オカンポはビクトリア・オカンポと姉妹。ビクトリアが姉だそうだ。ボルヘスによるとこの姉妹はアルゼンチン文学に貢献したらしいのだが、姉妹はそれぞれかなり違っていたらしい。シルビーナはボルヘスによれば「繊細な感受性があり・・・あらゆるものを詩と感じるのです」どうやらいつものようにボルヘスは詩を文学作品の根幹との考えが徹底していて、詩をまず重要視して作家の評価が決まってくるようだ。このシルビーナ・オカンポは多彩な人物で、優れた画家であり、優れた彫刻家であり、優れた音楽家でもあったらしい。名前は知っていたが、人物については全く知らなかった。ブルースや黒人霊歌もミロンガ(アルゼンチンタンゴ、ウルグアイ、ブラジル南部の音楽)にも通じていたようであるが、ボルヘスはついていけないと語っていて、ボルヘスの精神性がここでも見て取れる。つまり高尚な文学としての詩は認めるが、庶民の歌謡は詩とは異なるという位置付けのようだ。さらにシルビーナがブラームスのレコードをよくかけていたことで、「ビオイと私がブラームスを発見した」。ボルヘスが音楽に関心あったかということは知らない。どうも仕事が捗るかどうかが指標であったらしい。ブラームスはその点で合うし、ドビッシーは合わないのだそうだ。

繰り返されるテーマの詩と散文について、ボルヘスは「詩と散文に本質的な差はあるのか、私には疑問です」「詩のない文学はありません。たとえ北アメリカ先住民やエスキモーや蛮族の文学でも、常に詩はあります」。ーーー蛮族って何?何から見て蛮族なのだ?ボルヘスのこういう物言いにどうしても馴染めず、これは原文ではどうなっているのか確かめたかったのだが、原書は手に入らなかった。

ボルヘスはアングロ・サクソン語の研究を通じて、「サクソン人はアングロサクソン語ですばらしい叙事詩と挽歌調の詩を作っていたということです。でもイングランドを支配した5世紀の間、サクソン人は良い散文を一枚たりとも書きませんでした。つまり散文は、詩が年を経て複雑化した形式なのです」。確かに歴史的に見ても詩が文学の原初形態であるだろうという点には納得がいく。つまり文字がない時点では口承文学が先行する。そのためには韻律にのせることで伝承しやすい。それが詩という形式が出発点になる契機かもしれない。

本筋とは離れるが、シルビーナ・オカンポはどうやら虫好きで、「虫愛る姫」だったようで、ボルヘスには耐えられなかったらしい。しかし虫が存在することは神がそれを好んだからだろうというのはボルヘスの言い訳だろうが、これを神と自分との必要性が違うのだというのは、すごい意識だなー。

男性と女性の精神性について対談者(フェラーリ)は男性は概して知性が感情に先立つことは、あなたもお認めになるでしょう。ところが女性は、その枠組みの中ででは感受性が第一の動員になるようです」と男性=知的、女性=感受性という今や陳腐な一般論を示しているが、ボルヘスは男性女性の対比については答えず、「私は、思考よりは感受性に重きを置くほうがいいと思います」と答えている。しかしこれでは感受性は知性に勝るということなのか、あるいは女性の感受性が重要ということなのか判然としない。今や女性が知的であって、かつ感受性に優れていると言えるし、同時にそれは男性も同じ。感情だけで動く人などいないわけで、今までは社会的に女性の感性を感情的という形で抑えてきたことの誤りがようやく明るみに出された時代になったと言えるであろうか。

今回の表題に名前のあるウィルコック。全くどんな人物か知らない。どうやら父親はイギリス人で母親はイタリア人。スペイン語で作品を書いていたのだが、突然亡命のようにイタリアに渡り、イタリア語で作品をかいたようだ。ボルヘスがウィルコックについて述べているのはただこう述べるだけ。「おそらくある場所にいるためにはーーそこから離れた場所にいて懐かしむことが、そこに本当にいることではないでしょうか。そこにいないことは、そこにいることの形ではないでしょうか」。「ふるさとは遠くにありて思ふもの、そして悲しくうたふうもの」(室生犀星)これだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?