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蝸牛の歩み

「記憶の図書館」  第36日

「ボルヘスと記憶」

私にボルヘスを読むだけの知識がないのだ。そうなんだ。なんでこんなにこの本は面白くないのか?それは私に責任があるのだ。しかし、始めたものを止めるのは悔しいので、だらだら続けることにするか、悔しい。

ボルヘスが記憶について書いた有名な「記憶の人 フネス」というのがあることと、常に誰かの詩や文章を呼び出す優れた知性から多くの人はボルヘスその人を記憶の人と呼んでいるのは有名な事実である。ボルヘスは自分の経歴についてここで触れていて、自分についての過去の記憶はしばしば間違える。と言い、ただ1955年だけは例外であると言っている。この年ペロンの独裁政権が崩壊し、視力を失った年であり、国立図書館長になった年だそうだ。ボルヘスが長年視力を失ってきたことは知っていたが、弱視であった視力を完全に失った年が1955年であるということはもちろん知らなかった。

記憶についてボルヘスはベルグソンの言葉として「記憶はえり好みする」を引用して、「悲観的な気質の人は、自ずから不運だったことを記憶しがちになります」と語って居る。これはなかなか面白い指摘だと思う。悲観的とは限らないが、多くの人は不運な事象を忘れようと努めても忘れられない。現在ならPTSDというところかももしれない。ボルヘスは「記憶は忘却を要求します」。ボルヘスの作品の主人公フネスは無限の記憶に圧しつぶされる。その悲劇から逃れるために人は皆忘却する。ボルヘスはフネスの記憶のありようを次のように説明している。「あまりにたくさんの場面を記憶しているので一般化ができず、したがって思考ができないのですー思考には抽象が必要で、抽象は小さな相違を忘れて、それらの中にあるアイディアに従って物事を結びつけることでなされます。無限の記憶に圧しつぶされて死にます。かなり若くして死んだと思います」とあるので、今ボルヘスの「伝奇集」の「記憶の人、フネス」の末尾をひっくり返してみたら、こうあった、「彼は苦もなく英語、フランス語、ポルトガル語、ラテン語などをマスターした。しかし、彼にはたいして思考の能力はなかったように思う。考えるということは、さまざまな相違を忘れること、一般化すること、抽象化することである。フネスのいわばすし詰めの世界には、およそ直裁的な細部しか存在しなかった。・・・イネスは十九歳だった。1878年生まれだった。・・・1889年、肺充血でこの世を去った」となっている。ボルヘスが記憶について記憶そのままが意味あるのではなく、いわば小さな差異に拘泥しないで、一般化し抽象化することで記憶に価値が生じるということのようだ。ボルヘスはこの記憶をテーマにした作品をいくつも書いている。それを創造的忘却と創造的記憶と言っている。「円環の廃墟について」(これは読んでいる)、「シェイクスピアの記憶」というのもあるようだが読んでいないのでわからない。

ボルヘスは「わたしの記憶は選びますから。あることがらだけを選び、不都合なことは忘れるようにします」。これに対して対談者(フェラーリ)は「それであなたの場合、文学的記憶にいわば押しつぶされる事はなかったのですか」という問いに対して、ボルヘスは「一人で過ごす時間があります。そんな時はベッドに横たわって詩を暗唱します」と答えていて、記憶は「一種のアンソロジーです」と語っている。

この後、詩について多数の人名が上がるが、まるでわからない。かろうじてわかるのはケベードだけ。ボルヘスはその詩を「忘却か寛恕に相応しい」と言っていて、完全無視。続いてメネンデス・イ・ペラヨという詩人に話が及んでいるが全くわからない。この人物は良い詩を書いたが彼を詩人としては覚えていないという。またスペイン礼賛者であったようだ。

まるで知らない作家たちの間の批判の応酬についてはどうにも判断できない。最終的な話の締めは、以前は「南アメリカで著名になることはいまだ無名ということなのですから。でも今は南アメリカ出身であることは有名であることになりました。いわゆるラテンアメリカの「ブーム」のあとです」「今はたぶん思い出されすぎています。我々の美質がたえず指摘されています。それが本当かどうかは私は疑問です。私について言えば過褒です」と述べているのはこの対談の時代を思い起こさせる。ラテンアメリカのブームというのはボルヘス、バルガス・リョサ、コルタサル等、多数の有力作家が綺羅星の如く現れた。多くは魔術的リアリズムというように称される。そのブームが一旦下火になった頃、今再びのラテンアメリカの第二次ブームとなっている。多くは若手の書き手がボルヘスの魔術的リアリズムを引き継ぎながらも、かなり多種多様な作品が書かれ、日本の若手の研究者による翻訳が続々と出版されている。現時点では大枠でその主題を括る事はできないが、作家として注目されているのは、ロベルト・ポラーニュ、セサル・アイラ、など。なおポラーニョは多くの作品を発表しているが、2010年位死去しているのだが、翻訳の出版が続いている。

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