見出し画像

なぜ共産党は野党共闘が成功したと主張するのか〜綱領とレトリック〜

衆議院選挙が終わってしばらく経ったが、野党共闘については不発に終わったという認識が世間一般に共有されているように思う。
しかし、共産党は野党共闘は失敗していないと豪語しており、どこからその認識が生まれているのかと疑問に思ったため、共産党の主張とその根底にある考え方について書き出してみたいと思う。

この記事をお読みになる前に、参考として前回の記事をチェックいただくことをおすすめする。

また、前回に引き続き、これは個人の感想であり、どんな思想がよくてどんな思想がダメかを評価しようとするものではないことをあらかじめ申し添える。

野党共闘の不発とは

ご存知のとおり、衆議院選挙の結果は、自民の議席が減少したものの、与党で絶対安定多数となる議席を確保した。
一方で、野党共闘の主役となった立憲民主党と共産党はそれぞれ議席を減らすこととなった。
これをもって、世間一般では、野党共闘はよくて不発、悪くて失敗と認識されている。
今まで野党同士で競合していた選挙区で調整を行うことで、候補者を一本化したにもかかわらず、議席が増やせなかったという点においては、不発と受け止められても仕方ないと感じる。

共闘により期待していた効果が実際に出せていたのか、他のデータからもざっくり調べてみたい。
2017年の衆院選で与党が議席を得た選挙区のうち、野党共闘の効果がありそうな区※を抽出し、実際に一本化できた区の結果を見てみる。
※複数野党の獲得票数を合計すると、与党の獲得票数を上回る選挙区
もちろん、単に合計するのは皮算用に過ぎないが、あくまで効果がありそうという観点からこのようにした。

すると、対象は合計45選挙区となり、そのうち、27選挙区で与党(全て自民党)の勝利、18選挙区で野党(立憲民主党・野党系無所属)の勝利となった。また、野党が共産党に一本化した選挙区では全て与党が勝利している。野党の勝率は40%で、一本化した割には……という成績だ。
データから見ても、不発といってよいだろう。

もっと言えば、一本化した候補が共産党の場合には、野党共闘効果が全く見えないことを考えると、共産党は他の野党にそこまで協力してもらえていないこともわかる。
少なくとも、共産党が立憲民主党に協力しているよりもである。
これは、連合が共産党との連携をこころよく思っていないことをはじめとした、非共産党系リベラルが共産党との過去のしがらみから逃れられていないことと一致する。

「補完勢力」という概念

ここまで来るとどう頑張っても野党共闘は失敗ではないと主張するのは難しいと感じる方も多いだろう。
しかし、そこを超えてくるのが共産党である。
与党の「補完勢力」という概念を導入し、共闘により「補完勢力」を減少させたと主張している。
以下のリンクが詳しい。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-11-11/2021111101_04_0.html


また、その考えに基づき共産党の志位委員長も野党共闘を評価している。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-11-11/2021111104_01_0.html

 ――次に「与党の補完勢力」はどうか。4年前の総選挙では、「希望の党」という政党がありました。わが党は、この党について、「安保法制容認」「9条を含む憲法改定」を政治的主張の要にすえ、この二つを「踏み絵」にして野党共闘を破壊する「与党の補完勢力」だと見定め、正面からたたかいました。この党を構成した個々の政治家は、その後、立憲民主党に合流し、今回の総選挙では、わが党とも協力している方々が少なくありませんが、「希望の党」の政党としての政治的立場は、まぎれもなく「与党の補完勢力」でありました。
 「与党の補完勢力」は、4年前の希望、維新の合計と、今回の維新で比較しますと、比例得票では501万票を減らし、議席では20議席を減らしています。
 ――最後に「共闘勢力」はどうか。4年前、共闘してたたかった共産、立民、社民の合計と、今回共闘してたたかった共産、立民、れいわ、社民の合計で比較しますと、比例得票では246万票を増やし、議席では42議席を増やしています。
 これがこの4年間の政党間の力関係の変化を示す客観的な数字であります。

ちょっと無理筋だと感じるのは私だけではないだろう。
希望の党を以前から与党の「補完勢力」とみなしていた共産党は、希望の党の議席の減少(消滅)を、「補完勢力」の減少とカウントしている。
その議員たちのほとんどは、立憲民主党に移動しているにもかかわらずである。
そして、野党共闘によって「補完勢力」の一員だった議員を「共闘勢力」に転向させたわけでもない。どちらかといえば時系列は逆である。
さらに言えば、今回の選挙により、まさに「補完勢力」というにふさわしい日本維新の会が躍進している。

綱領に書かれたゴール

共産党のゴールは明白である。
野党共闘はそれ自体が良いもので、それはまさに成功させられるべきというものだ。
これは綱領でもそのように記載されている。

民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。
日本共産党は、国民的な共同と団結をめざすこの運動で、先頭にたって推進する役割を果たさなければならない。日本共産党が、高い政治的、理論的な力量と、労働者をはじめ国民諸階層と広く深く結びついた強大な組織力をもって発展することは、統一戦線の発展のための決定的な条件となる。
4章[14]第1段落〜第2段落

共産党の理屈から言えば、
「共産党は先頭に立って、野党共闘を推し進めた。これ自体にまず価値がある。その時点で失敗ではない。」
となる。

私はそれで止めておけばよかったのに、と思う。
より理念を輝かせるために、今回の野党共闘が成功したように見せようと、「補完勢力」というレトリックで世間一般の認識に反論している。
内容から見るに、これは共産党の内輪向けの談話や報道に思えるので、これにより結束を深める(もしくは離反を防ぐ)目的があるのだろう。
「ほら、この理念はすばらしいし、実際に反動的党派を打倒することに成功している!」という確信をもたらそうとしている。

しかし、これを一般国民が見たらどう思うだろう。
少なくとも、見ている世界が違うなあと感じるだろう。

動かせないゴールとレトリック

前回述べたとおり、共産党が忌むべき「過去の偽り社会主義・共産主義」は流麗なレトリックにより構築され、素晴らしい理念は骨抜きにされてきたと私は考えている。
例え綱領で過去の共産主義体制を批判し、そうならないような綱領を作ったとしても、「真の社会主義・共産主義」を実現できるとは私には思えない。
考え抜いたレトリックでなんとでもなってしまうからだ。
事実、その力が共産党にはあるように見える。(今回のものは稚拙に思えるが)

本来、共産主義とは、科学的な思想を標榜しているはずものであり、動かせないゴールに辻褄を合わせるように現実を分析するのはご法度のはずだ。
実際にはうまくいっていないことをどのようにしてうまくいっているように見せるか、と考えること自体が、過去の社会主義勢力の失敗の原因であり、忌むべき因習なのではないか?
そう思えてならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?