機械書房読書会感想戦「会社員の哲学」柿内正午

4月21日に機械書房で開催された柿内正午「会社員の哲学」の感想レポです。
全然関係ないことも書きます。

家を出ると、雨が降っていた。せっかく新品の厚底でクソ重い8ホールのドクターマーチンと高級ジーンズを下ろしたのに。玄関にあった謎のカラフルな猫の傘を手に取り、出発する。会社員になって、自分の好きな服を買えて、贅沢だなと思う。会社員という無駄な収入が無ければ必要じゃないものは買わなかっただろう。最近は金を持つことに対して懐疑的で、消費やら投資やらが多い。

神保町で降りる。機械書房に行くのも四回目で手慣れてきた。あえて乗り換えをせず歩く。街並みが大学時代を思い出すなんてエモーショナル半分、健康と靴慣らし半分。
と思っていたけれど、後悔。ドクターマーチン重すぎ。あと1/3ぐらいだけど足が痛い。踵すり減って無くなるかと思った。機械書房の前の坂がキツすぎて足に刺さる。階段もしんどい。
読書会の参加は初めてだったので恐る恐る近づくと廊下には本が敷き詰められていた。パブリックスペースを堂々と占領する様が面白い。ビルごと本屋になったかと錯覚する。(多分日曜日で他のテナントに人がいないからなせる技である。)

中を覗くと2、3人の人と岸波さん。中央の本棚が無く、がらんとした空間に多種多様な椅子だけが配置されている。あまりにも足が痛かったのでひっそりといい椅子に座らせてもらった。柿内さん居るのかなと思っていたら隣に座っていたのが柿内さんだった。柿内さん服と帽子のワンポイントが可愛くてセンスいいなと思った。

岸波さんが盛り上げてくれつつ、定刻通り始まる。まずは自己紹介から。話を聞いていると思っていたより若い人が多く、自分が最年少かと思っていたがそんなこと無かった。
皆様々なバックボーンを持っており、興味深いなと思いつつ話を聞く。読書会の参加は初めてなので正直緊張。けれどいい雰囲気で話してみると心地よい。「会社員の哲学」に関わりそうな自分のバックボーンを語る。

自己紹介も終わり、読書会が始まるとさっそく岸波さんからご指名がかかり、先陣を切ることになる。(初めてなので様子を伺おうかと思ってたのにそりゃないぜ岸波さん笑)とか思いつつポツポツと喋ってみると初回の割には意外といい雰囲気で話せたかなと思う。再読してみて感じ方が変わったこととか作者が居る前だけど思ったことを話そうと思ってたので、再読時は正直刺さらなかったと生意気にも言ってみる。意外と刺々しくならず流せたかなと思い一安心。ちまちま喋ってギブアップしてパスを投げる。

他の人の話を聞いて、まあぼちぼちのスタートを切れたかなと安心する。人の話が興味深くて、質問させて貰ったりもする。就活中の人が居て、大変だよなぁと共感したり、芸術系の人が居て興味が湧いたりする中、皆違う切り口から「会社員の哲学」に切り込んでくる。「手を抜く」ことについてを軸にしたり、この本の「ジャンル」についての話題が出たり、「自己実現」を問うたり、似たようなことを考えてたり、違う切り口があったり面白い。そして、要点を拾って広げる岸波さんもまたすごいなと思う。

各々の感想を述べること一時間、ようやく一巡して意見が出揃う。そこからは柿内さんを混じえてより深く話していく。
またもやトップバッターだったので気になる部分をかいつまんで話していく。「手を抜く」ことはこうなんじゃないか、「ジャンル」とはこうなんじゃないかと話していく。話していて感じるのは自分自身の知識の浅さで、不安定な軸に捕まり、実体験を元にしか話せない弱さを痛感する。それでも、柿内さんが拾い上げて、本などを例にあげてまとめあげていく。話も面白く普通に凄いなと思う。面白いからこそ食らいついて広げたいなと思ってしまう。あっという間の二時間だった。

初めての読書会でどう取り付くべきか分からないけれど、面白いからどうにかして啄く。まさに眼高手低だなと思いつつ、自分自身は少し喋りすぎてしまったと反省する。昔やっていた作品の選考ほどの鋭さはなくとも、様々な人が集まり、話をきちんと聞いて回す。喋る量の大小はあれど比較的秩序的で社会形成のようだなと思う。もっと話を聞きたいし、喋りたい。たった2時間では足りない大変面白い経験だった。またの機会があれば是非参加したい。

という日記は置いておいて、感想戦である。
なんとなく、自分の中では刺さっている「システムへの抗う」という言葉をあえて全体に投げた。固定化されるものへの反抗は共有されるものなのか?  これはなんとなく宛先が間違っていたなというふうに感じていて、一般的な人に聞きたい言葉だったかもしれない。場の特徴として「会社員の哲学」を読んで集まるようなピーキーな人が多く、それよりも一般的な意見も拾いたいなと思っていた。創作者としては他人と違うものが作りたいという当たり前の気持ちと人類の歴史から見ればn番煎じもいいとこというギャップ。最近の自分にとってn番煎じでいいじゃないかという思いがある。そういう意味で会社員というのは永続的なシステムの継続を目的とするかなと思ったが、あまりThe会社員的な人が多い場では無かったのでセンスの無い質問だった。
創作としてのアナーキーの否定と微々たる変化を生み出すというのはなんとなく丸めるありがたいアンサーではあった。
他人と変わらない陳腐なものを生み出す。当たり前なはずなのに否定したくなる。けれど陳腐でもいいという言説を今は肯定したい。その鍵を探している。

柿内さんが自分自身をナチュラルボーンエリートと言っていたのが面白くて印象に残っている。だからこそこういう作品を書けたという話に繋がるのだろうが、自分としてはその言葉を使えるということが面白い。どういう環境で生まれ育てば使えるようになるのだろう。それでも一部共感する部分もある。自分自身は小さな才能に恵まれていると思う。何でもある程度努力すればそこそこの成果をあげられるというか。器用貧乏と言った感じである。エリートってなんだろうな。階級主義の上の方?  自分自身はいつも底辺で、ちょっとのし上がるのが上手いだけだし階級制に興味が持てていないのだろうな。どちらかと言えばナチュラルボーンシャフ(社会不適合者)である。

今の自分自身にとって労働とは自分には必要の無いものでしかない。食えなければ死ぬだけだし、それでもいい。けれど社会が自死を拒むから生活保護とかそういう制度があるし、そういうものを使って生きてもいい。今はただ気まぐれで、他人のために労働者になって、その他人がいないから目的を持たない。ちょっと前までは仕事も辞めようと思っていたし、今は仕事が上手く行き過ぎてて自己承認欲求の脳汁気持ちいいので続けてるに過ぎない。けれど、能力が仕事を飛び越えているので転職してお金もらうべきなのかなと思ったり、別にお金要らないしなと思ったり、雇ってるイラストレーターに金払わなきゃだからもう少し続けるかみたいな?  自己実現できてないし、自己は溶け溶けかもしれない。そりゃ理想論で言えば、自己実現とかお金のためとかに働くべきだよ。次点で他人のためでもいい。けど持たざる者に何かを求めるだけ無駄でしょ。
正直、そこまで生きたいとも思っていないし、お金が欲しいとも思っていない、物は手に入るのが当たり前で在るべきだけど、手に入らないのはそれはそれで仕方ない。ただふらふらしてたらここに居る。そんな人生です。なんの話し?

そういえば喋らなかったことに資本主義の話があって、柿内さんは次点の選択肢を出さなくても批判してもいいと言っていた気がして、けれど資本主義の批判ってどうしても自分の中では社会主義に行き着く。資本主義が萎んでいけば、過激派は社会主義を持ち出すような気がしていて、そこに対してアンサーできるのかな。自分自身は思いつかないけど。まあこんな性分だから政治の話は好きじゃない。どんな社会にも必要とされていないくせにセーフティネットにばかり引っかかる。そういうものを社会は許容すべきか、どう許容していくのか。なんかそんな話に近いこともあがっていたような......
けど、じゃあ生産性の低い人は?  とか言い出すから社会は切り落とせないんだと思う。社会はブルシットジョブに満ちていて、自分の仕事もそう。みんな、家の近くの畑耕して、同じもの食って、大人しくしてれば、何も無い社会が作れるじゃん。じゃあなんのために生きてるんだって、意味なんて今もないのに面白いことばかり聞いて、人類は頭が良すぎるね。

そんなこと言ってお前も会社に所属しているだろって、その通りなんだよ。会社に所属するって楽でしょうがないからね。考えずに脳死で手を動かして、市民権が手に入る。余計なものを切り捨てれば切り捨てるほど、自由とは遠くなる。才能とか、能力で手軽にいっぱいお金が貰える。才能とか能力が無くてもお金が貰える。しかも面倒な経営方針や手続きは偉い人や事務職がやってくれる。分業と言えば綺麗事だけどフリーは自分でやってるのだからそれもブルシットジョブとも言える。主体的な人間であれば起業なりすべきで、シャフでも、だからこそギリギリ掴まれるスペースが社会の会社にあるのだと思う。しかも市民権があるから、周りに小言も言われない。社会も保証してくれて仲間だと言ってくれる。うーん、やっぱり、働きながらいかに手を抜くかがシャフにはピッタリ。さあシャフのみんな「会社員の哲学」を読もう。なんてね。

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