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続く時は続く

今の私は生まれて初めてなほど色んなことが続きすぎていて、正直疲弊している。

お祓いでもしてもらった方がいいのか、日頃の行いが悪いのか。

ただ全て私自身のことではないのだ。


思い起こせば最初が飼い犬の病気なのかな。2020年5月のこと。獣医からも覚悟してくださいと言われたけれど、持ち直してくれて今もシニアながらのんびり暮らしている。いつ再発するかドキドキはしているけれど。


次の出来事は2020年の秋から年末にかけて、義母の病気と急逝。

同居ではないので細かな日常生活や言動はわからないけれど、国指定の難病になってからその薬の影響で持病の糖尿病が悪化。認知症なのか低血糖なのか、急な坂道を勢いよく転げ落ちるように認知機能が悪化していった。

介護認定を受け、訪問介護や訪問看護を利用しても思うような希望の介護が受けられず、急な認知機能の低下で(低血糖のせいかと疑っているけど)薬や食事の管理が出来なくなり、結果朝起きたら亡くなっていたのだ。

コロナ禍であり義母の難病が免疫系の病気だったのもあり、他県から何度も家に行くことが心配で、義父に任せていたのが間違いだった。私は何度もケアマネジャーに様子を見に行ってくれと頼んだのにしてくれないばかりか、いつもと変わりません、ご飯も薬もしっかりやっておられます、と。嘘ばっかり。


そして次が義父。2021年2月、呼吸が苦しいと救急車。高齢で、しかも義母が亡くなり一人暮らしになって、さぞ気落ちしているだろうと思ったのだけど、介護が大変だったからか思いの外スッキリしているようにも見えて、悲しみ半分開放感半分という感じで自分がやりたくても出来ないままでいた庭の手入れなど気ままに暮らしていると本人と親戚から聞いていた。

ただ義父は10年前胃癌で胃を全て取っていたので食事には困っているだろうなと、市でやっている高齢者見守りシステムを導入しようと申し込んだばかりだった。お昼ご飯の宅配ついでに体調の変化を見てもらう、電球が通報システムになっていてその日の電球の消灯を離れて暮らしている家族などにメールで知らせてくれるというもの。

義母が亡くなって1ヶ月半後、救急車のお世話になってしまい、今では施設入所だ。間質性肺炎がもともとあったのでは?というCT結果と、急激に悪くしたのは誤嚥性肺炎だと言われた。もう元の暮らしには戻れなくて車椅子生活。幸い在宅酸素はしていないけれど、施設ではないとやっていけないだろうと。


義母が急逝し、義父が病気からの施設入所。

なんと義父は亡くなった義母の諸々の手続きを何もしていなかった。私たちが代わりにするにしてもコロナ禍で他県で、全て委任状が必要で。救急車で運ばれた時のままの家の中の掃除。義母の手続き以外にも本当に沢山の事務手続きがあり、私たち夫婦は疲れ切ってしまった。旦那は義母の悲しみも感じる暇もなく義父の代わりの手続きに明け暮れている。


そして私の母。軽度認知症で同居をしていて、義母のことで私が家を留守にするときも多くなり使い勝手からもデイサービスから小規模多機能へ変更した数ヶ月後に、もっとお世話をなるはずだった小多機が閉鎖。それもあと1週間後に。というお知らせが届き、義両親のことで忙しい中今度は我が母のことで他の利用できる施設を探さなくてはいけなくなった。

本当なら私の性格ではきちんと見て、母にも1日体験をしてもらい、納得して利用したいと思っていたけれどそんな事言っていられない状態になり、地域包括支援センターに助けを求めた。

我が家の事情に合ったところを紹介してもらい、連絡する前にネットで検索。なんと私が前から良いなと思っていたところだった。今はそこへ通ったり泊まったりしながら楽しく過ごしているようだ。ありがたい。


文章にすると長くなったわりにそれほど大変に感じないのだけど、去年の夏頃から本当に時間が足りないくらい何かを考え、何かの書類を請求して郵送して、その間施設の義父からあれ持ってきてこれ持ってきてと言われ施設に郵送やら宅配やら。


そして私は再び心が保てなくなり、メンタルクリニックのお世話になっている。また心の病気から体の違和感を感じるようになってしまった。

最初の方に書いた私のことではないのだ。だけど私が勝手に病んでしまったのだ。それでも芸能人や著名人のように、休養させていただきます、静養させていただきますと言って休めないのだ。どれほど逃げ出したいと思ったか。死んだら楽だろうな何もしなくても考えなくても良いのだからと何度思ったか。

今は人生で一番苦しい時なのだと思いたい。もうこれ以上何も起こってほしくない。普通に笑ってテレビを見て、お煎餅をかじりながら笑ってお茶したい。

明るい未来を想像したい。自分のやりたいことをやりたい。いつ解放されるのかな。続く時は続くものなのだな。