格闘家たち~我突くゆえに我あり~

私は降旗順一郎、45歳。
昼間は印刷所勤務、夜は空手家です。
空手はフルコンタクト、顔面突き以外は直接打撃制の空手です。
得意技は中段前回し蹴りですね。
相手の腹を脛で蹴ります。
間合いが遠いと、中足で蹴ることもあります。
特に試合に出るわけではなく、大きな怪我をすることもなく、28年間、淡々と続けて参りました。

ときに思うことなのですが、顔面突き無し、パンチで顔を殴らないルールはプロではないプレイヤーからするとよくできています。
まずは顔への攻撃の頻度が下がって、一般人も競技に参加しやすくなっています。
人によっては顔を殴る・殴られることに抵抗がある人も多く、社会人の場合、顔が傷つくと普段の生活に影響もあります。
また頭部へのダメージも少ないです。
顔面パンチがあるボクシングやキックでは、顔面への攻撃がメインになりがちです。
倒すのであればたしかにそれが一番効率的ですからね。
一時期話題になりましたが、ガチンコスパーのやりすぎで試合に出る前から壊れていたという選手もいます。
さすがにこれは指導者側の問題だとは思いますが。
空手では顔面への攻撃は蹴りオンリーです。
危険に変わりはありませんが、頭部へ衝撃が与えられる頻度が顔面パンチがある場合と比べて段違いに少ないし、蹴りは滅多に当たらない、また当たっても一発で終わるか審判が一本の判定を下すためそれ以上攻撃されることはありません。
また、顔面へのパンチが禁じられているゆえにプレーヤーはおもいっきり攻撃に集中できる、顔面に蹴りを当てるための工夫が多彩な足技の開発に繋がったこともあります。
フルコンタクト空手がもってる「らしさ」は顔面パンチを禁じたゆえの独特な文化です。
実践的ではないとよく言われますが、実践的ではないことの何がよくないのでしょうか。
顔を打たれるリスクが少ないなかで、我々は空手の技を思いきり振るうことを楽しめています。
打ち合いはたしかに痛いですが、とてもスッキリします。

本来は殺しあうため、自衛のための技術ですが、誰でも闘争を楽しめるようカスタマイズされた今日の武道は、人を活かすためのものと私は考えています。
生産性と合理性の分業型の社会で私たちは生きています。
それは飢えて死ぬリスクから程遠く、とても素晴らしいことです。
自衛しなくても自分や家族を守ってくれる仕組みがあります。
しかしそんな中にいると、たまに虚しく感じることもあるでしょう。
生きているといえるのだろうか。
そんなことを言えるのは幸せ以外の何ものでもないのですが、我々はどこかでヒリヒリした感覚、非日常的な願望をもて余しているのかもしれません。
しかしプロならばともかく、それは普段の生活に戻れるものでなければなりません。
遊びであり、遊びで終わるもの。
私にとって空手は程よい存在でした。

職場で後輩から「空手って使えるんすか?キックの試合とか総合の試合に出ても負けてるじゃないですか?」と無礼な物言いをされてその場では言い返せず、つらつら書き連ねてしまいました。
他の格闘技ではダメだったのかと問われると、初めて触れたのが空手だったのでもう空手のことしか考えられませんでした。
初恋の人と一緒になってしまえば、その人のことしか考えられなくなるようなものですね。
ちなみに私の妻は私の初恋の人です。
3歳年上で、お付き合いするまでに三年かかり、七回振られております。
石の上にも三年、人生、七転び八起きです。
そんな最愛の妻からも呆れられておりますが、空手も愛しております。
こればかりは仕方ないのです。

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