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美術展雑談『フェルメール展 (2019年)』

みんな大好きフェルメール! 『フェルメール展』(2019年)大阪市立美術館。
とにかく気に食わないのは、東京展では全会期を通して公開された『牛乳を注ぐ女』がなかったことです。これはいったい、どういうことなのでしょう。
大阪人は牛乳が大好きなのです。なにわナンバーのクルマは牛乳で走っているし、淀川に流れているのも実は牛乳です。それなのに大阪で牛乳を注がないなんて、いかるが牛乳(本社・大阪市)も怒りがギュウギュウになっているはずです。いえ、そうに違いありません。そうに決めました。
こうなったら盗難ののち行方不明となっている『合奏』を裏ルートから入手して大阪限定で公開するしか、溜飲を下げる方法がありません。大阪だったらできるでしょう。大阪なんだから。
ヨーロッパでは蚤の市なんかで行方不明の美術品が見つかったりしているというではありませんか。きっと千林商店街の屋台で『合奏』も売っています。酒屋のタオルを首にさげたおっちゃんが「それ? 一個700円」とかいって売ってくれるでしょう。いえ、そうに違いありません。そうに決めました。

さて本展におけるお楽しみの一品は、なんといっても噂の『取り持ち女』でしょう。
一般的には遣手ババアと呼ばれているところを、なんとか品よく言い換えて、このタイトルにしたのでしょうか。この際、欺瞞だとか申しますまい。日本題をつけた方の苦労が忍ばれます。
現代の倫理観は一旦脇に置き、当時の風俗画を楽しむつもりでこの絵を見れば、登場する人物の表情は実に愉快に感じられます。円満に交渉しているかのようでいて、遣手ババア、客の男、娼婦、それぞれ腹に思うところがありそうです。
「しみったれた男やのー」
「ぼったくりやんけ!」
「ああ、めんどくさ」
などといった関西弁の本音を隠しているに違いありません。
左端の男は、フェルメールの自画像といわれています。この時代の絵画の作法としてこのように自画像を描くことがあったということですが、何より彼は演者と鑑賞者をつなぐショーのMC、取り持ち男として登場しているようです。程よくにやけた顔を鑑賞者に向けることで、この絵の通俗性をアナウンスしています。つまり鑑賞者の私たちも「芸術とは!」と論じるようなしかめ面でなく、同じように笑って楽しんでねと言っているのでしょう。私も堂々とニヤニヤいたしました。町の中なら間違いなく通報されるレベルでニヤつきました。楽しかったです。

いちゃいちゃカップルが入口付近からなかなかどいてくれなかったので、やむなくそのまま撮影しました。左端の女性もゲートの肖像も、呆れています。しかしこの通俗性こそ、実はフェルメールの真髄ではないでしょうか。知らんけど。

黄金時代といわれる17世紀当時のオランダは宗教画を掲げないプロテスタント文化もあって、絵画の需要は主に(余裕のある)一般家庭に飾る風俗画でした。パブ権宿屋の亭主でもあったというフェルメールにとって、庶民の日常のやり取りは本領発揮できる対象だったことでしょう。
綺麗事だけでは済まされない、庶民の日常生活。ともすれば暗鬱になりかねない場面に一条の光を差し込ませ、静謐とか静寂と評される空間を描きました。フェルメールの絵には常に寓意があって、色々考察する楽しみ方もできますが、なにより対象に向かう彼の真摯な思いを共有できることが鑑賞における最大の喜びであると思います。

とにかく楽しいフェルメール詣でになりました。注ぎ忘れられた牛乳は、また今度のお楽しみとして取っておきましょう。スタッフの皆さま、お疲れさまでした。


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