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自己分析をしたい大学生による自分史 ー暗黒の幼稚園児編ー

ここに出会ってくださった貴方様こんばんは。ねこほんと申します。
気ままに自己分析をするnoteへようこそ。読了特典は特にございませんが悪しからず。良ければお付き合いくださいませ。

自己分析といえば自分史、ということで、幼稚園児期から筆を執ろうと思う。

遠く脆い記憶のなか、私の幼稚園児時代からは暗黒な思い出ばかりが蘇る。
本来喫茶店のクリームソーダのように純粋無垢であるはずの幼稚園児にして黒焦げクッキーような黒々とした思い出は、人生初の「いいがかり」から始まったように思われる。

今や影も形もないおさげ(髪はちゃんとあるのでご安心を)がトレードマークだった幼稚園児私は、ある日ふと「よしおえかきをしよう」と思い立つ。スケッチブックとクレヨンを手にしたとき、室内の一角で数人の女の子たちが固まっておえかきをしているのが目についた。いたって自然な流れで私もあの隣で書こうと近づいた。すると、とある女の子が私に気づいた。

「〇〇ちゃん(私)、真似しないで。」

これが、私が受けた人生初のいいがかり、同時に、人生初の体硬直の瞬間であった。

真似ではない。自分で思いついて、それからあなたたちのことを見つけた。
例えあなたたちを見て始めようと思い立ったとして、それは「真似」であり、非難されることなのだろうか。

直後の記憶はその衝撃からか曖昧だ。ただしばらく固まって、何も言えていなかった気がする。

「真似する」と「影響を受ける」の違いについて考えさせられる。
前者の方が悪い印象を持ちやすい。しかしそれ全てが悪いことだとも思えない。自分より優れた人をまず真似てみる、とはよく耳にする話である。
後者だってそれが良い影響ではなく「模倣」へと変化する可能性もありうる。結局それを受けて自分がどう繋げていくかの問題なのだろうか。

ただ確実に言えるのは、私は真似していない!!ということである。

ちなみにその子の名前は今でも覚えている。多分、一生忘れられない。彼女はあの後どんな人生を送っているのだろうか。私のこと、、、覚えてくれているカナ!?!?(すっとぼけ)他の子よりちょっとツンとして、気が強く、美人顔だったあの子。思えば私の苦手な人間のタイプ「気が強い人」の歴史は、ここから始まったのだろう。

暗黒の幼稚園期はこれにて終了、、、などとはいかず。
・着替えるとき数人の男の子たちになぜか囲まれた(本当になんで)
・ある2人の女の子のカバンについていた小さなランドセルのキーホルダーを興味本位で開けたら「あーあ、神様逃げちゃった」と言われた(神様が逃げてしまったらしいことを遠回しに責められたのにはただただ困惑したが勝手に開けたのは私が悪いのでその板挟みでたまに思い出して落ち込む)
・上級生に追いかけられた微かな記憶(他の子たちに強力してもらって逃げていた)
・捻挫(痛かった)

このように暗黒な記憶ばかりであるが、あの頃の私は確かに今よりも無邪気で明るく、よく笑う子だった。女神という言葉を理解したほど優しく忘れられない先生もいた。お元気かな。私はえっちらおっちら生きて元気にオタクをしておりますよ。と要らない報告を空気に投げたところで、暗黒を再び思い出すだけで他は特に収穫のなかった自己分析幼稚園児編、そろそろお開きの時間です。

壁打ちも、当てる壁がなければ宙に飛んで落ちるばかりです。私の文章を受け止める寛大な壁(それはもう重要な建造物にも劣らない)となってここまで読んでくださった貴方様、ありがとうございました。


おまけ
初めてのnoteで最後の挨拶としたあれは「天国大魔境」という作品に出てくる登場人物の言葉です。まだアニメしか履修できていませんが、死と隣り合わせの世界で謎が謎を呼ぶ冒険譚にワクワクせずにはいられないのでぜひ作品に手を伸ばしてみてほしいです。周りで語れる人がいないのでファンを増やし隊!

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