見出し画像

〔ショートストーリー〕私に似たあなた

ありがとう、ぐらいちゃんと伝えれば良かった。夕子はテラスで紅茶を飲みながら、ふと思った。この優雅で贅沢な生活をくれたのは、亡き夫なのだから。

彼は夕子より20才年上だったが、夜の店で知り合うとすぐ、華やかで、それでいてどこか儚げな夕子の虜になった。中堅クラスの会社社長だった彼は、それまで仕事一筋だったこともあり、傍から見ても明らかなほど夕子にのめり込んだ。ブランドもののバッグやアクセサリー、旅行など、夕子が「いいなあ」と口にした望みは全力で叶えようとした。
そして一年後、めでたく二人は入籍。夕子が派手な結婚式を望まなかったこと、二人とも両親は他界しており、きょうだいもいないことから、ひっそりとヨーロッパの教会で式を挙げ、そのまま新婚旅行を楽しみ、帰国後はこの家で共に暮らした。とても短い夫婦生活ではあったが。

夕子に両親はいない。夫には他界したと言ったが、本当は夕子を捨てて、それぞれ違う相手と逃げたのだ。
最初に仕事先の男と逃げたのは母だった。「家庭を顧みない、酷い人」と父への不平不満を常に口にしていた癖に、結局は夕子ごと家庭を捨てた。笑ってしまうぐらいアッサリと、何の未練も無いかのように。机の上にはただ一枚、離婚届が置いてあった。
それから半年、父なりには頑張ったと思う。料理が出来ないので惣菜に頼りっぱなしだったが、それ以外の掃除や洗濯、夕子の世話などは、不慣れながらもできる限りこなしていた。だが半年後、今度は父が行きつけの惣菜屋の奥さんと消えた。そして夕子は一人になり、引き取り手がないため、施設に入ることになった。
まだ夕子は小学五年生だったが、当たり前だと思っていた日常がどんなに突然断ち切られるものか、嫌というほど思い知ったのだった。優しかった惣菜屋の奧さんにも、無責任な母が重なってしまい、一度は見直した父同様、裏切られたという恨みだけが残った。

そんなこともあって、夕子は金だけを信じてきた。人は心変わりもすれば、裏切りもする。でも、お金は決して裏切らない。自己投資を惜しまず、上手に男たちの間をヒラヒラと舞いながら、金と自信を蓄えていった。
「私は一生、一人でいい」
本気でそう思っていた。そんな時に知り合い、段々と夕子の気持ちを変えていったのが、夫だった。

彼はどこまでも誠実だった。結婚前も結婚後も、夕子だけを見つめ、夕子の希望を第一に考えてくれる。世間では「財産目当ての女に引っ掛かった」などと陰口を叩かれたが、夕子は彼の誠実さを愛していたのだ。それだけではない。夫も両親とは縁が薄く、簡単には心を開かないところが夕子と似ていた。お互いに分かり合えて、他の人からは得られない安らぎを感じられたことも大きい。だが、子どもの頃に味わった苦すぎる経験は、どす黒い不安になって夕子の中にくすぶり続けていた。古いマグカップにこびり付いた、コーヒーの染みのように。

この人も、いつかは私を裏切るかも知れないーー。毎日、愛されている幸せを噛みしめるほど、比例して不安も大きくなっていく。嫌だ。もう裏切られたくない。あんな苦しみは二度と味わいたくはない。何不自由ない暮らしの中で、夕子は人知れず追い詰められてしまい、遂に暴走した。

夫はコーヒーが好きだった。夕子は紅茶派。それぞれ相手の好みを尊重していたので、どちらかが無理に合わせることはなかった。
「コーヒー、飲む?」
夕子はそう言って、彼にはコーヒーを入れ、自分は紅茶を飲んだ。コーヒー豆の中に、少しずつ毒を仕込みながら。無味無臭で体内に少しずつ蓄積する毒を夫はとり続け、やがて致死量に達した。

紅茶を飲みながら、夕子は考える。これでもう、裏切られることはない。突然捨てられ、一人になることに怯えなくていい。でも…私が望んだのは、本当にこんな生活だったのだろうか。これから先、ずっと一人きりで生きていくしかないのに。一体、いつまで…。
風が冷たくなってきた。すっかり冷めた紅茶を飲みきると、少し胸の奥が痛む。これは私への罰なのだろうと、夕子は諦めたように微笑み、室内に戻った。

夕子はまだ知らなかった。いつも穏やかで優しかった夫が、ある日突然夕子がいなくなるのではないかと、内心ずっと怯えていたことを。彼女を失うなんて耐えられない!と、悩み苦しんでいた夫は、紅茶の葉にそっと、ある物を混ぜたのだ。見た目は紅茶にしか見えず、味も香りもしない物を。

そう、夕子と夫は、本当によく似ていた。


こんばんは。シロクマ文芸部に参加します!

自分でも予想外の結末で、読んで下さる方に分かりにくくなってしまったかも…と、今さら不安になっています💦ひねくれ者なので、つい予定と違う方向に舵を切る癖があって😅
小牧さん、せっかくの素敵なお題からこんなストーリーになって、済みません。
読んで下さった方、有難うございました。


この記事が参加している募集

私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?