南日本新聞コラム南点第2回「新聞勤労少年時代」

 高校生の頃、一時期新聞配達をしていた。女手ひとつの貧しい家計を助けるため、という殊勝な思いからではなく、友達に誘われたからだった。誘われたというより、面接について来てほしいと言われ、ついて行ったら店主に君もどうかと勧誘された、というのが正確なところだった。友達はその頃流行っていた、某有名家電メーカーのテレビを欲しがっていた。テレビとビデオが合体したそれは、単に機能性というより、合体、というコンセプトが、幼い頃から合体ロボの出てくる特撮やアニメを観て育った少年の心をくすぐったのだろう。私も高校卒業後、初めて勤めた会社の初任給で買った。

 結局、その友達は部活のサッカーで腰を傷め、ヘルニアの手術のためほんの2、3ヵ月で辞めてしまったけれど、私はその後もしばらくの間続けていた。特に欲しい物があるわけではなかったが、自分はその友達と違い、スクーターでわずか50件ほどを配っていただけだったし(友達は自転車で100件ほど配っていた)、ガソリンも、店に置いてあるポリタンクから勝手に入れてよかったので、ガソリン代の節約もかねて続けていた。

 今はどうか分からないが、当時の田舎では、バイトといえば新聞配達だった。子供たちは新聞配達を通じて社会というものを少しずつ学んでいった。お金を稼ぐことの大変さ、仕事に対する責任を学び、それを何年も何十年も続けている大人たちに対する尊敬の念を抱いたりしていた。では新聞配達をしていない人は何から社会を学んでいたかというと、学校だ。学校にはそのために必要な要素がふんだんに盛り込まれている。私はそのことを知らなかった。まったく勉強をせず、部活にも入らず、しょっちゅう学校をサボっていた自分が、今こうして社会で生きていられるのは、新聞配達のおかげと言っても過言ではない。

 少年よ、大紙を抱け。それか真面目に学校に通え。

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