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整形手術をするのか問題

カタチを美しく整えるのかの問題。
これ、結構女性にとっては大きい(らしい)。

整形と言っても、美容整形じゃありません。
お腹のキズです。大腸全摘&ストマクローズの傷痕。
フクンはわたしに傷痕が残る事を気にしているようで、整形を勧めています。整形と言うか形成外科に行く事を勧めてる。

でもなー。またお金かかるし。
別にビキニ着る事もないから、見える所な訳じゃないし。温泉行ったら見えるか。

わたしがまだ10歳頃、おじーちゃんが胃ガンで手術をしました。
ガンのなんたるかも分かってなかったけど、お祖父ちゃんは胃の2/3を取ったらしいと父から聞いた。腸の存在は知らなかったけど胃の存在は知っていたので、そんなに切って生きていけるのか不安に思った。
お盆休みに田舎に帰った時、お祖父ちゃんに「手術の痕、見るかの?(広島弁)」て言われて、特に何も考えずに「見たい」と言った。

結論から言って、わたしはしない。

ちょっとカッコ良さげに見えちゃいがちだけど『これがわたしの生きてきた道』だからです。

腕にも傷がいっぱいあるし。
それも治すようにクリーム作ったりヒルドイド塗ったり整形しようかと思ったりした事あるけど、なんか違うなと。
これ、わたしが生きていくのに必要だったからした事じゃん。

どっちかって言うと、傷消しよりも、脇とかスネとかVラインの永久脱毛したいです。
なっちゃった事は受け入れられるけど、生まれたままの自分は受け入れられてないのかっていう矛盾を孕んでいるけど、それはまぁまぁ(笑)

お祖父ちゃんの傷を、深く考えもせず見たいと言ったわたしには、その傷痕は衝撃的だった。
胸の下辺りから、お腹を縦にばっくりと1本傷が割っていたから。結構エグく。
お祖父ちゃんはそれから数年傷痕と共に生きた後、再発もせずに胃ガンとはあまり関係のない症状で亡くなりました。

お祖父ちゃんが生きる為に、あの手術は必要だった。それがたとえ数年の為の事であっても。
わたしが生きる為にも、自分で流した血も、大腸を取ってしまう事も必要だった。それらなしでは、今生きてはいられない。

見える傷痕だから、整形だの何だのって事になっちゃうんです。
心にだって、そういう傷痕もある筈。見えないけど、自分にはずっと見えてる筈。
そしてその整形なんかでは治せない傷も、今生きているという事の為には、必要だった事が起こった『結果』です。

傷が残るような出来事に、わざわざ感謝なんかしないけれど。傷を隠すようには、見て見ないふりをするようには生きていきません。
勿論他人には充分ショッキングなビジュアルなのでひけらかす事もないし、あけっぴろげて「これがわたしなのー!受け入れてー!!」ともやりません。
ただ、自然というのはこういう事なのです。

最後の術後1年半。治りきる事もないけど、少なくとも切りたてほやほやよりは全然目立たなくなっている。
きっと、見えない傷痕も。
それが、今生きているという事。生き続けて、わたしという存在は変わらずに変わり続けているという事。

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