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私は、愛猫を我が子だと思っている

うちには猫がいる。
nekogakiのnekoも、猫が好きという理由からつけた名前だ。

ちなみに私は、相当猫が好きだ。
好きなどという軽い言葉で片付けたくないほど、愛猫を溺愛している。

愛猫の可愛さを語り尽くせばキリがないし、変化し続けながら前に進むしかない自分にとって、愛猫は正に光だし、生きる糧だ。

私は愛猫に巡り合ったその時、あまりの可愛さに泣いた。
自分のお腹を痛めて産んだ子を取り上げた瞬間のように泣いた。
君みたいな可愛い子が、私のところへ本当に来てくれるの?と、嬉しくてたまらなかった。
だから私は、愛猫を我が子だと思っている。
マジでキモいかもしれないが、マジで我が子だと思っている。

私は頻繁に、愛猫にとって恐ろしい夢をみる。
それは、愛猫が二階の窓から飛び降りたり、お風呂で溺れてしまう夢だ。
そんな起こりもしない夢を見る度に、今が当たり前じゃないということを強く感じてきた。
愛猫が傍にいること、のんびりくつろぐ様子、朝頭を掘ってくることやヘルニアである私の腰で眠ろうとすることも、全て特別なことなのだ。

そんな夢を見るものだから、比較的まだ若い猫なのに、現状私は愛猫に何かあったらと考えずにはいられなくなっている。
出掛けている間も心配で、愛猫と暮らし始めてから4年ほどは旅行にも行けなかった。
やっと行けた一泊二日の旅行も、ペットシッターさんに依頼をかけ、ペットカメラを設置し、四六時中愛猫を見ていた。
四六時中愛猫を眺めていられたのだから、ある意味とても楽しい旅行になった。

朝起きるとまず愛猫を探すし、今も姿が見えないと、場所の確認にあちこち歩き回る。
これは私の夫も同じで、常に愛猫のことを考えているし気にしている。
本当に、猫中心の生活だと思う。
これほど好きになれる愛猫に出会えて私は強運だと思う。
残りの運の残量が心配だ。

それではまた次回。

nekogaki

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