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完璧主義 心のブラック企業

完璧主義。

わたしは完璧主義になっていたようだ。

できるだけテキトーに振る舞ってきたつもりだったが知らず知らずに完璧主義になっていた。

真面目さと向上心ゆえに

仕事に対して特に完璧主義の傾向がある。誰も気づかない些細な傷やゴミまで気になってくる。

完璧主義になりたくてなったわけではないが、原因はたぶん、

真面目さと向上心ゆえかもしれない。

もっといいものを。もっと洗練されたものをとお客さんのために、と相手のために、もっと向上したいと言うポジティブな感情が行きすぎている。完璧の基準は昨日よりも今日、今日よりも明日と日々上がっていく。たまにでたベストな自分を基準として、それに見合わない日の自分が許せなくなる。

完璧主義は悪いことばかりではないだろう。

自分の中の理想の作品、理想の目標に向けて日々努力できる。

その意思が強いからこそ人には到底及ばない凄いものを作れたり、良い成績を残したりする。

完璧主義は裏返したら誠実さと真面目さを持つ人間だとも言える。

完璧主義の欠点

悪いところもある。

それが自分の理想とするなにかをめざすのならばいいのだが、

私の場合知らず知らず完璧主義の目的がすり替わり始めている。

恐怖による完璧主義

クレームやお客さんをガッカリさせてはいけないという思い。失敗はできないという思いから「こんなものをだすのは恥ずかしい」と思う動機から欠けたところが許せない。

完璧を求め始めると、欠けた部分がある限り「自分はダメだ」という結論しかでない。

70点とっても、

なんで100点取れなかった!としかられるか、

70点も取れたと褒められるか。

完璧主義であるほど残りの30点のために70点のできたことを評価してあげられない。

責められる自分はどんどんと自己肯定感を失い、せっかくできたことも褒められずやる気も気力も失っていく。最終的に全体のパフォーマンスを下げていく。

そして本当の完璧は存在しない。

まるでジャンプして宇宙まで飛べと言われているような。
できもしないことをやれと言われて、できなければ責められる。なんというブラック企業だろうか。そんなものが心にある。

完璧主義であるとき、理想の自分(非現実的理想)と、現実の自分が解離している。
なんでできないんだ!そうじゃない!
と今の自分を認められない。でも理想にはいつまでたっても追いつけない。アキレスとカメのよう。いつまでも自分を叱り続けている。


多様性を認める

完璧主義なのに、「まぁいっかー」なんてテキトーな人間に正直簡単になれない。

たとえば、

男同士付き合うのはありか?と聞かれたとき、そういう多様性もあるな。と認めるような。

納豆にマヨネーズ?たしかにそれもありか。これはこれで美味しいか。みたいな。

犬にケーキ?そう言う考えの人もいるか。

この観葉植物、本当はこう剪定すべきだけど、この枝ぶりも好きなんだよなあーみたいな。

それってテキトーではないけれど、なんだか可能性を広げている気がする。

自分に対しても、理想としている形ではないけれど、否定する前に一度立ち止まって考える。これもありか。むしろこんなところがいいのかもしれない。と自分の仕事の想像と違う部分を肯定的に受け止めてみる。

むしろこんなところがいいんじゃないか?

自分の計画、理想、想像と違っていても、いいんじゃないか?むしろいいところがあるんじゃないか?

なんだかうまく言えないがそれは同時に70点できた自分を認めてあげていることにもなるのではないだろうか。

恐怖に対して

恐怖に対する完璧主義はどうなのか。

いつもは自分のベストをつくして何か言われるなら仕方ないと思う。だから手が抜けない。手を抜かないのはいいのだが、恐れるがあまり必要以上にこだわっている。

完成の基準が、
良いもの、自分が自慢できるほど素敵と思える作品。から
誰にも文句言われないもの。出しても恥ずかしくないものと本来の目的ではなく、保身や恐れのためのものになってしまう。

保身や恐れに対する外側のための完璧主義は意識的に避けていっても良いだろう。それはパフォーマンスや自己肯定感を下げていくのみであまりいい結果を生まない。近道のようで遠回りだ。

自分の内側にあるもっとこうなったら自分が嬉しい。楽しい。素敵なものになるという理想を追い求める努力する完璧主義(理想を追い求める努力主義)は、今の自分の力を認めながら追い求めていくことはいいのかもしれない。

波があってもいいのではないだろうか。

自然は人工と違い決して画一されていないし、一度として同じ瞬間がないものだ。
木には直線がないように、海の波が毎日変わって同じ日がないようにゆらぎがある。

人工のものだけが、直線、画一的、機械的、再現性を求める。

しかし当の人間は人工ではなく、自然の一部なのだ。

人間毎日ベストは尽くせない。自然と同じくゆらぎがあるのが当然だ。いろんな周期があって気分の良い日も悪い日もある。なのに毎日同じクオリティー。昨日よりいいものを作り出し続けることは不可能を求めているとも言える。

その日その日のできたものが再現性のない自然なもの、特別で、個性的でいいじゃないか。

心のホワイト企業化

できもしないことを要求して責めるブラック企業をやめて、なんでもできたことを認めてくれるホワイト企業になりたい。

多様性を認めて、自分の自然性とゆらぎを認めて、毎日できることをできる範囲でやる。失敗を許して自分を大切にして、自分を尊重してあげられるようなホワイト企業な心になりたい。

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