見出し画像

自分のありのままを受け入れるとは

自分のありのままを受け入れるとよく言う。

いいところは受け入れやすくても、悪い部分や残念な部分は受け入れていいのだろうか。

変えられない部分

受け入れると言うと、まるで“そのままであることを許す”ようだ。

たしかにhspの性質と言われるように、変えようにも変えられない部分やマイナスにもなるがプラスにも働く性質みたいなものもある。

そう言うものに対して変えようと努力するより、そのまま受け入れることが必要だ。

変わりたい部分

でも明らかにネガティヴな要因になってしまうこと。生活に支障が出ることはそのままにしていいのだろうかと思ってしまうものだ。

たとえば、
太っていて痩せたいのに甘いものばかり食べてしまう。
早く起きなきゃいけないのに起きられない。
早く寝なきゃいけないのに遅くまで起きてしまう。
人の期待を背負いすぎてプレッシャーで心が潰れる。
怒りたくないのにすぐに怒鳴ってしまう。


いろんなやめたいのにやってしまうことがある。

それをそのままでいい。とはなかなか思えない。

受け入れるとは

受け入れるとはなんだろうか?

それは現実を認めることではないだろうか。

現状を認めること。

その弱さや不完全さが今あるのだ。ということをただ事実として受け止めることなのだ。


そこで責める必要はない。

責めてしまうのは、
他の人にはそれができるのに。。
普通はできて当たり前。。
大人ななら当然。。

などと自分を“比較”してしまうからだ。

自分を他人と比較したり、自分の中の理想と比較して、
その理想に追いついていない現実の自分を受け入れられないからこそ抵抗したり責めたりしてしまう。

受け入れることができない時、責める時ほど、現実の自分も見てないことになる。

できない部分を責めていたら、全部できないと自分を誉められない。(多分できるようになっても責め続ける)
そんな何でもできる人間に簡単になれるなら世界中完璧な人間だらけになれるだろう。

不完全で当たり前で、悪い部分だらけが普通なのだ。

残念ながら比較しても仕方がない。

受け入れるには

客観的に今の弱さを見る。

わたしは今、早く起きられない弱さを持っている。んだなあ。

すぐに怒ってしまう弱さがあるんだなぁ。

期待を背負いすぎてしまうのが今のわたしなんだなぁ。

と思えばいい。それが現状なんだな。と

そこで責めたり、抵抗してこうであっちゃダメだ!と言わないで

さて少しでもより良くなるために踏み出せる小さなステップは何かを考える。

そして一歩でも改善できたら誉めてあげる。
現状維持でもそれでもともとだからオッケー👌
下がってしまってもまたその現状を受け入れてあげる。

弱い自分と同じ目線になって、手を取って支えてあげるように自分のペースで歩んでいく。

受け入れられないことも受け入れる

それでもどうしても受け入れられないこともある。
どうしても比較してしまうし、ダメな部分を素直に受け止められない。

その現実も事実であることを認める。

そしてその弱さが存在している現状を一旦置いておく。触れられるくらいになれたら少しずつ前に進んでいく。

まるで自分自身が医者になって、患者の症状を聞く、そして必要な処置を施すように。

医者は病気の患者に何でそんな病気になってんだ馬鹿野郎!なんて絶対に言わないだろう。

その痛みや症状を冷静に受け止めて、できることはこれですよ。必要なら安静にしてくださいね!というだろう。

どうしても傷んでしまう弱さは存在してしまうことも認めてとりあえず安静に。向かい合えるようになれたら必要な処置を。


ありのままを受け入れることは、
ダメなまま良し!と全部野放しにするわけではないのだと思う。

変える必要のない部分もあるけれど、
弱さや痛みの現状を事実として認めて、自分のペースで付き合っていくことなのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?