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橘玲さんの本が好き。

最近、橘玲さんの本ばかり読んでいる。

ベストセラーになった「言ってはいけない」はもちろん、「上級国民/下級国民」、「バカが多いのには理由がある」など。特に、『「読まなくてもいい本」の読書案内 : 知の最前線を5日間で探検する』は、目から鱗の連続で、もし、誰かにオススメの本を一冊だけ聞かれたら、迷いなくこの本をあげる。

橘玲さんの本の特徴は、とにかく、「事実」がベースとして語られていることだ。著者の思い込みや勝手に作った理論がだらだら書かれて、読者が置いてきぼりになることは全くない。論文や研究などの事実がベースにあり、論理的であるからこそ、読みやすいのだ。

だからといって、無味乾燥な文章がつらつら書かれることもない。時にウィットで時にアイロニカルな文章は、他の著者にない魅力がある。

しかし、橘玲さんには謎がある。まず、性別がわからない。橘玲で「たちばなあきら」と読むのだが、男性にも女性にもいそうな名前だ。そして、国籍もわからない(勝手に中国の方なのかなと思っていた)。さらに、作家であるということ以外、何の情報もないのだ。どんな顔をしているのかも、当然わからない(ヒントはTwitterアイコンくらいだろうか)。

しかし、ある時、映画評論家の町山智浩さんがラジオで「橘玲さんっていう作家がいるじゃないですか。いま。あの人と一緒に行ったんですよ。その(ヤクザの)事務所。」と言っているのを聞いた。

え、町山智浩さんの知り合い?というか、この言いぶりからすると元同僚?

どうやら、橘さんは、町山智浩さんと同じ時期に宝島社で編集の仕事をしていたという。

そのあたりのことがわかったのは、最近「80’sーある80年代の物語ー」を読んだからだ。

この本には、橘さんが青春を過ごした80年代の出来事が描かれている。

大学を卒業した橘さんは、ある小さな出版社に入り、(かなりはしょるが)その後、宝島社でフリーの編集者として仕事をするようになる。

そこには、町山さんを筆頭にのちに「完全自殺マニュアル」を出す鶴見済さん、「「捨てる!」技術」でミリオンセラーを出す辰巳渚さんがいた。

まさに、錚々たるメンバーだ。

その後、橘さんは、「宝島30」の編集長になる(町山さんの話では、町山さんがなる予定だったらしいが、問題を起こして流れてしまったという、、、)。そして、オウム真理教の事件が起きる。

橘さんは、「オウム真理教事件がぼくにとって衝撃的だったのは、「幹部」とされた信者の多くが同年代で、同じ大学の出身者も多かったことだ」と語る。そして、ポストモダン哲学を勉強していた橘さんの近くには、スピリチュアルに向かう学生もいた。「彼らが隣にいるという感覚はいつも持っていた。そんな”隣人”と15年ぶりに再開したら「テロリスト」になっていたのだ。」。

だから、橘さんは、決して、彼らをただ批判することを良しとせず、中立の立場で、彼らを取材し、雑誌で取り上げた。それが、世間から「オウムの擁護」だと批判されることもあった。雑誌に寄稿したことが原因で、激しいバッシングの標的になった宗教学者の島田裕巳さんは、大学を辞めざるを得なくなった。

それでも、唯一、教団や元信者にアクセスすることができた宝島30は、他のマスコミの格好の「ネタ元」となり、やがて、批判の声は止んだ。

謎の作家であった橘玲さんが、この本を読んで、やっと実在の人物として存在することがわかった。いま、橘さんは、「本を読むことと原稿を書くこと、そしてときどきサッカーを観る」というシンプルな生活をしているという。「何の変化もない毎日だが、その代わり一年のうち数カ月を旅にあてている」。なんと悠々自適な生活だろうか。羨ましいと思うと同時に、おそらく橘さんは、もう、やりたいことは、やりつくしてしまったのかもしれない、とも思う。

橘さんにとっての80年代は、「大学を卒業した1982年からオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた1995年までということになるだろう」そして、「この「長い80年代」がぼくの青春だった」と振り返る。

人生で最も大切な時期、私にとって、それはいつになるのだろうか。その時代は、もう終わってしまったのかもしらないし、まだ始まってもいないのかもしれない(北野武の「キッズリターン」風に締めます)。