見出し画像

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます ①

 2001年9月のある日の午後、K子と私はお互いの家の中間地点にある二子玉川で待ち合わせをしました。当時は数ヶ月に一度は会っていたのです。

 私たちはその5年前に美大を卒業しています。事故や病気、いわゆる破談、家族の介護に追われながら、やりたくもない仕事をしながら、21世紀の30歳になったばかりの私たち。

 2001年9月のあの日、私たちは途方に暮れていました。
 二子玉川はかつて「ふたこたまがわえん」という駅名で、日本で2番目か3番目に古い遊園地があり、亡き母からも「すごく古いところで、特にお化け屋敷はとても怖いところだ」と聞いていました。ふと、そんな世間から忘れ去られている場所は案外そのまま残っているのではないか?と、何も調べずにK子を誘って行ってみたのです。しかし、その痕跡は見当たりませんでした。

 当時スマホはありませんでしたが、行く前にネットで調べればよかったのです。でも、私は猫キャットなので、行き当たりばったりでやってしまいます。

 それならアイスコーヒーを飲もうと、デコボコでひび割れたコンクリートの側溝を歩いたけれど、めぼしい喫茶店もどこにもなく、学生時代は平気だった暑さと湿気にも耐えられなくなり、その日お金を持たない私たちは別れることにしました。別れ際、反対側のホームに立っているK子が、真っ黄色のチュニックを着て、つばの広い帽子をかぶっているのが見えました。
 それは、2台の飛行機がビルに激突する映像が全世界に流れた前日のことだったのを、今でも鮮明に覚えています。

 その日からさらに10年ほど遡った80年代末、私は高校3年生でした。大学に行くには美大しかないと父に言ったら、新宿の予備校を勧められました。実は父の会社の知り合いで、そこがいいと言っていた人がいたのです。それでK子と私は、放課後に通っていた新宿の美術予備校で知り合ったのでした。


画像1


 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?