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どうにもならんことで。

いかんせん諦めはわるい。いつでも絶対に投げ出したりせず、いつでも「うまくいく」ために、わざわざ「失敗だった」とか「まちがっていた」なんて考えることもない。

「失敗」だとか「成功」だとかはあくまで「道中」なのであって結果ではない。結果とはいつか肉体がなくなってしまったときに、ふりかえってみた時に発生するものであって、いつでも伴うものではないのだ。

たとえ途中の冒険が思うようにことが運ばないとしても、道すがらの寄り道であって「全て」ではない。

相手が「弱い」と感じる時、なにも考えなくてもなんとかなるもの。でもそれは相手が弱いからではなくて、強い敵や、やっかいな相手でもいつでも「なんとかしてきた」経験値によるものだ。

なんとかしてきたことって全然かっこいいことだけじゃない。

戦うのを避けたりちょろまかしたり、挑んではみたものの、怖くなって逃げ腰で一目散に這いつくばって一心不乱に背中を向けたこともある。

側から見たらなさけないかも知れない。だけど「なんとかなる」から何度もどうにかこうにか考えて挑戦してみてのトライアンドエラー。

「なんとかなる」ことを何度も繰り返すことで「なんとかできる」ことを知り、未知への強敵に挑むことへの圧力も減り、以前よりも軽い気持ちで、さまざまなことへ、ところへと旅立てるようになった。

でも、それでも神様はぼくに言うのだ。
「まだまだだね」と。

「なんとかなる」を「なんとかしてきた」けどそうでもないんだよね、と淡い自負のようなものをあざ笑う。

大人になるというのは
「どうにもならん」ことをたくさん見ることでもある。気持ちでは全然、当たり前に「どうにかしてやるさ!」と熱く燃えたぎっているけれど、
ほんとうに「手は尽くしたけどどうにもならん」ってことが、残念ながらあるんだ。

いつのまにかシリーズが終了したゲームタイトルとか
好きなバンドが解散したとか
食べたいスイーツが食べられないまま生産終了とか。ボリュームを振り絞っても届かない想いだって悲しいかな、現実にはつきまとう。

どーにもならん。
さらに追い討ちをかけるように
どーすることもできない。

マヌケなくらい青い空が頭の上に広がっている。


さて、ホ。

なにをするべきかなにが正解なのか見失ってしまいそうだけれど、今は置いといて

コーヒーでも飲もうかな。

悲しい現実に
コーヒーは最高の相棒だ。

どーにもならん時に飲むコーヒーは
普段のコーヒーよりも格別の味がする。
こういう時のコーヒーってなんでこんなにおいしいのだろう。
一口、二口と重ねるたびに、どーにもならんこともとりあえずは宇宙の彼方に飛んでいく。

カラになったカップを両手で転がし、窮屈だったココロに気がつく。すっかりぱんぱんだったココロを、コーヒーはカラカラにしてくれる。

カフェインがひとしきり体内を巡ったあとに、もう一度想いにふける…。
何度考えてみても、なにをどうしてみても、
やっぱりどーにもならん。
どーにもならんのよ…いろいろ…。

どーにもならん…。
どーにもならんのだけど…。

なんか…笑けてくる…。
どーにもならん加減がどーにもならんすぎて
おかしくなってひとり「ふっ(笑)」っとする。


どーにもならん時

なんだか笑えてしまうのは

「神さまの思し召し」なのかもしれない。

コケでした〜。



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