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「中国撤退物語」 中国からの中小企業撤退奮闘記 

はじめに

私はサラリーマンとして、中国に赴任し、一つの小さな支社の責任者となり、最終的に自ら撤退の決定をし、会社を清算処理をする経験をしました。赴任が2012年秋口で、撤退の決定及び発表が2017年夏、完全に処理が終了したのが2019年年末でした。赴任時は40歳、家族は妻と子供一人の3人家族、撤退時は46才で、中国赴任先で子供が一人増えて、4人家族となっていました。家族がおり、住宅ローンもしっかりある典型的なおっさんサラリーマンです。

撤退決断までは、ストライキ、大量退職、解雇など人事面で苦労が絶えませんでしたが、撤退時にも、団体交渉で紛糾したり、逆に感謝されたりと濃密な経験をしました。特に団体交渉期間中はストレスで体重10キロ減、左目が見えなくなる、などかなり追い詰められた経験もあります。

中国からの事業撤退は中々厳しい体験です。孤独であり、しかも中国という環境であり、私の場合は日本の本社も業績が悪く社風的にも人的支援は期待できません。現地のみ(最終的には私一人)である意味孤立した中で対応するという撤退作業でもありました。一人といっても法律面、手続き面でのサポートとして弁護士の先生方や現地会計士(中国では弁護士は律師、会計士は会計師といいますが、弁護士、会計士といたします)についてもらっておりましたが、実際の作業、従業員の対応は現地組織の責任者がやらなくてはなりません。

そんな中、当時知りたかったのは、どんな処理プロセスが必要かというテクニカルな内容はもちろんそうですが、それ以上に知りたかったのは精神面においてどんな心構えが必要か、どれだけ大変なのか辛いのか、撤退の覚悟を決めるための当事者の体験談的な、心理状態も含めた撤退の詳細を詳しく知りたいという思いがありました。やった事のないことですし、周囲に同様の経験がある人がおらず怖かったので少しでも心構えできるようなものが欲しかったのです。

こうした事業撤退、廃業などの「マイナスな経験」は、大局的に見れば決して「マイナス」ではなく経営的に必要で、仕事としても大切と思いますが、あまり公開される内容のものでも無い気がします。なとなく「敗北」「恥」ととらえられていることなのかもしれません。周囲に同様の経験を持った人がおらず、いろいろとネット上で探しても良い文献やブログなどの情報がなく、本を探しても現場の苦労を映した書籍も見当たりませんでした。撤退の是非を論じる評論家然とした論評や手続き的な内容を説明したものはありますが、実際に格闘してきた現場の人間の「現場の声」が聴ける、読めるものがありませんでした。成功談や武勇伝ならばともかく、失敗談、不名誉な出来事はあまり公開したいものではないのかもしれません。

そんな中、唯一参考となったのが日本国内で中小企業を廃業された方のブログでした。廃業、破産の決定から実際の廃業へのプロセスを詳しく時系列で述べられており、ご自身の心理的な面や「考え」にも言及され、その内容は私にとって非常に励みにもなり、共感でき、慰めにもなったのを記憶しています。当時は何度も繰り返して読みました。
当時の私にはこうした共感できるものや、人々と何か心情的に共有できるモノを欲していました。励みと言えば、社外活動として地域の日本人駐在員の登山グループに属しており、そこの方々との利害を超えた付き合いがあり、彼らからの間接的な励ましをいただき、大いに励みになりました。今でもその方々とは日本で交流があり大変感謝しております。

そうした経験を通じて今回は、当時の私のように「現場の声」を知りたいと考えている方がいて、少しでも参考になればと思い、つたない文章ですが私の経験を「中国撤退物語」としてネットに載せてみることにしました。自分自身の記憶整理と精神面での整理を付けて吐き出したい気持ちもあります。

一人でも参考となり、これからおそらく増えるであろう厳しい中国撤退作業の励みとなればうれしいです。
陰ながら応援しています。ぜひやり切って気分スッキリ日本に心残りなく帰国いただければ幸いです。


赴任から撤退まで ~撤退までのバックグラウンド~

おっさんの退屈な昔話

私は若年より日記をつける習慣があり、当時も日記を付けておりましたが、日記といっても毎日書いているわけではなく、思いついたときに書くという代物です。それでも記録をたどる良いツールとなります。これよると2012年3月に中国への赴任を打診されています。

私が中国への赴任時からどのように撤退への決断に至ったかを説明するめ、いささか冗長ではありますがその背景と沿革の説明をさせて頂きます。

まず会社のスペックです。
当時勤めていた会社はプラスチック部品製造の中小企業で、中国には合弁の製造工場が2つ、設計事務所が1つ、東南アジアに工場1つを保有するメーカーでした。人数は本体約250名、世界全体で2,000~3,000名はいる会社で、ガラケーの部品がメインだったのでスマホ登場とともに思いっきり落ち込んでいる最中の会社でした。ある意味典型的な中国の成長とともに大きく伸び、そして中国に逆に仕事を取られて衰退していった業界の企業です。

業績は悪く10年ほど大赤字続きでしたが、大きく伸びた時期に貯めた内部留保があり、一応は再浮上を模索中という状態でした。その過程で、すでに用無しとなっていて開店休業状態の中国の設計事務所を商社活動ができるように切り替え、事務所維持を図る、という方向での赴任打診でした。

そして自分のスペックです。私は海外営業としてすでに10年近く勤めておりましたが、事業低迷もあり最近は仕事もなくなっており、私自身も開店休業状態でくすぶっていたところ、中国駐在の打診がありました。妻も中国人ということもあり、すぐに赴任命令に従い赴任となりました。

実際に赴任したのは2012年9月ぐらいで、前任者の解雇と同時に、中国の小さな支社(元は設計事務所)の副社長(副総経理:社長は不在で本社の社長が兼務)として赴任、その後支社長(総経理)となっています。
自分の身柄を中国から撤退させたのは2018年11月で、処理が完全に済んだのは2019年12月です。赴任期間は約6年となります。
当初は部下は5名で営業が2名、総務系人員が3名という所帯でした。(閉鎖時には10名以上に増員しています)

赴任後は、設計事務所を商社に切り替えるという目的があましたが、取引は一切なく売上ゼロでした。本社からのサービス提供名目での資金提供だけで生き延びている状態でした。赴任と同時に合弁工場の一つが突如閉鎖、撤退という手痛いアクシデントもありましたが、もう一つ残っている合弁工場と協業して、気を取り直してあらゆる仕事を集め、単月度黒字が出せるまで売上を上げました(ここまで2年経過)。

ところがその後、最後に残っていた合弁工場も撤退の運びとなり、売上をすべて失いました。その状態で支社を生き残らせるのはかなり厳しいものがあります。残せたとしても会社的にあまり意味のないポジションではありましたが、本社よりは何ら指示もないため、生き残りを図るためあらゆる努力をしました。新規開拓をするため、新しく訪問した企業は100社以上、北は長春、南は珠海デルタまでいろいろ飛び回りました。いわゆる賄賂を使い仕事を取る方法を試したり、合弁工場から人材を引き継ぎ、小さい検査工場を作ったりしました。元々合弁工場にいた日本人の同僚2名に合流してもらい、総勢15名以上の所帯に拡大し、現地サプライヤーと協業するOEM事業を始めたりしました。

売上は上がりましたが人数が増えた分費用も増え、また売上確保のため相当無茶をして受注した製品が大トラブルを起こしてしまい、利益の確保が難しくなりました。資金ショートも迫り、自分自身もそうでしたが、従業員もトラブル対応で相当疲弊してしまい、このままでは組織が空中分解するのではという恐怖が芽生えてきました。

阿修羅のようになって働いていたと思います。しかしいよいよ限界がきてしまいました。冷静に考えれば合弁工場がことごとく閉鎖となったため、事業の関わり上、この支社を残していく意義がそもそもなくなっていたと考えています。日本の本社から特に指示もなく、自分としては人を解雇したり撤退などしたくはなかったので目をつぶって生き残らせようと無理をして努力した、というのが本音のところです。

日本の本社に資金提供を1回は申し入れましたが、渋られました。資金がなくなるのは時間の問題でした。それならば、本社から言われる前にまだ余裕があるうちに閉鎖の決断をしようと考えました。

こういう重要な決定は普通は会社の責任者がするのでしょうが、彼らのズルいところは理解しており、このままであればこの子会社を兵糧攻めして、私の方から根負けするのを待つ、撤退すると言わせ、責任も取らせるのを狙っている、と感じていました。何かあれば下々の従業員の責任にして解雇するような会社です。こうした環境下でこの中国子会社の従業員のことを考えると、早めに決断して資金的時間的にも余裕をもって従業員に有利になるように退職金を準備してから、終わらせるべきでは、と考えました。そこで「先手を打とう!」と決めました。

10年大赤字が続いている会社です。内部留保はたんまりありますが、拠点を減らし、人員も減らし、貯金で生きながらえているようないはば「年金暮らし」のような状態の会社です。撤退続きの中国など目も向かないのでしょう。
本社に戻り報告会議の中で資金提供についてお願いをしまたが、案の定スムーズに進みそうもなかったので、こちらから「資金提供をスムーズに受けられないのであれば、閉鎖します」と伝えました。
役員だれも反対しません。そして特に意見も言わないで黙っているという状態でした。そして、どのように撤退するか、撤退時に資金ショートに陥った時は最低限の資本提供を要請したい、等々今後の進め方を説明し、報告を終えました。自分で勝手に閉鎖を宣言、決定し、勝手に進める、という感じでした。

後から聞いた話ですが、あと半年分の資金は出し、半年だけやらせてみようか、と役員内部で話していたそうです。結局私の決定に乗っかるような形で閉鎖が決定しました。「やらせてみよう」とは他人事みたいですが、他人事なのでしょう。

煽るときには煽り、ダメとなれば手のひらを反す。「この人たちとはもう働きたくないな。。。一緒の場所にもいたくない」---日本に帰国すれば毎度食事に誘っていただいていましたが、その後はすべて断るようになりました。良くないことですが、彼らを頭から拒絶するようになってしまいました。実際の撤退作業はきつかったですが、今思えばこの日本の本社や社内の人への失望みたいなものが心理的に一番ダメージが大きかったという気がします。

「100%相手の責任というのはあり得ない。何%かは自分にも責任がある」

人事コンサルタント 原田祐一

一方、撤退を決断し決定となった時、実は同時にどこかすっきりした開放された気分がありました。もうこの苦しみから解放される、子会社を生き永らえさせるという悩み、苦しみ、責任からの解放というか、解放感がかなり強くほっとした感覚がありました。

「案ずるより産むがやすし」というやつかな?

昔の人の言葉

一度決断してしまえば、一種のこだわり、執着を手放して楽になれるのかもしれません。自分が参考にした「倒産ブログ」を書いていた人も同様の内容のことを書いておられました。「解放感がある」と。。。

閉鎖、撤退への当事者の心理的ハードルとモチベーション

デメリット


基本的にだれも自分のいる組織がつぶれるのは望まないと思いますし、自分が責任者であればなおさらでしょう。撤退、倒産は普通考えてサラリーマンにとって貧乏くじと思いますが、その点も踏まえ責任者個人としての「つぶしたくなかった理由=撤退のデメリット」を考えてみます。撤退の是非、というより撤退担当者になることの是非、を勝手にまとめたいと思います。

1.
「海外駐在のチャンスそのものを失う」

いままでチャンスに恵まれず、海外赴任もなく、リーダーになれたことはありませんでた。部下の1,2名は持ったことはあり世界中を飛び回ったこともありますが、独立した組織の責任者という経験はありません。しかも海外支社長という立場です。撤退すれば、かねてから願っていたそうした経験、チャンスを失うことになります。

2.
「好待遇の喪失」

日本国内にいる時と比べ、赴任手当もあり、給与は高めでした。現地採用であれば違うと思いますが赴任者であれば大体待遇は良くなると思います。私の場合これは理由として結構大きかったです。この収入アップのおかけで私は家を建てる頭金をそろえることができました。実入りが良く、中国と日本の両方で給与がもらえるシステムで、為替差益もあり毎月結構多くの貯金ができました。もうその時の貯金はローンと子供の学費で1円も残っていませんが・・・(笑)

3.
「現地従業員への日本人らしい?義理があり従業員を裏切りたくない」

 普通は誰も他人に人生に対してマイナスの影響を与えたくはないでしょう。自分の決定、責任のせいで、従業員が職を失うとしたら、責任を感じるものではないでしょうか。会社の決定としてもです。今考えれば自分なりにやれる努力はしたと思うし仕方のないことと思いますが、当時の自分は違いました。そんな失礼なことはしたくないし、カッコも悪いし、人に嫌われるようなことはしたくない、と考えていました。この考えは撤退への決断のひとつの足かせでもありました。

4.
「キャリアにマイナス、汚点となる」

 いかなる理由でも、自分のいた組織を潰した責任者ともなれば、汚点は避けられないでしょう。その会社に留まるのであればこんな面倒なことは避けたいでしょう。ただ私の場合特にずっと在籍したい会社でもなかったのでそれほど意識していませんでした。

5.
「閉鎖の仕事そのものがやった事はなく、未知のもので怖い。」

 この理由も大きいです。日本ならまだしも海外、しかも中国です。私の置かれた状況からして、自分一人で対応しなくてはならないことも怖さを倍増させます。また、中国に駐在していればいろいろな話を聞きます。現地の人はあっさりもしていますが、主張も強い人が多いため、おとなしい日本人には彼らとぶつかり合うことは結構な荒事であると思います。何が起きるかわからない、乗り越えられるかどうかわからない恐怖と対峙する・・・怖いです。

デメリットのまとめ
会社的には利益が出ないのならば撤退も視野に入れるのは当然でしょうし、経営的に正しいことでしょう。むしろマイナスの決断、引き算こそ経営者の仕事と思います。ただその後始末に追われる人材が置かれる状態は、厳しいものにならざるを得ないのではと思います。その仕事が評価されるかされないかは、会社とその人次第と思いますが、あまりいい評価とはならないのではないでしょうか。「マイナスの決断」の重要性を知っている経営者であれば評価できると思いますがそう単純でもない気がします。組織では失敗には生贄が必要、みたいな雰囲気もあるのかもしれません。どうなのでしょうか。

要は閉鎖、撤退に携わる者はいい思いしない、ということです。さっさと覚悟を決めましょう。

「勝つことばかり知りて負くること知らざれば、害その身に至る。」

ー徳川家康ー

メリット


上記、撤退に携わることの「デメリット」を述べましたが、「撤退した方が良い理由=メリット」みたいのはあるのでしょうか。いささか強引ですが、前向きにメリット=撤退作業に携わった方が良い理由を強引にまとめたく思います。

1.
「破壊欲の充足、カタルシスを味わうことができる」

人には破壊欲というのはあるのでしょうか。わかりません。ただ私は撤退が終了して空っぽになった事務所を明け渡した時、きれいさっぱりしてやったりという解放感、爽快感がありました。破壊するというより大きな仕事を全うしたという気持ちだったかもしれません。

2.
「しんがりはツワモノにしか務まらない」

戦争の経験などないですが、見聞きするところ戦争では撤退戦は難しいとされています。サムライの戦記物などを読むと殿(しんがり)は労多くして得るところ少なし、と言われていますが、それだからこそ同時に戦巧者で勇敢でなければうまく務まらないそうです。事業撤退も似ている気がします。顧客に迷惑をかけないように仕事をきれいに納め、もめないように人を解雇しつつ、実務をこなしながら後腐れないように組織を消滅させて、一人あるいは少数で戻ってくる。そして結果はどうであれ評価はされない。そうです、あなたは勇敢なデキるサムライなのです。(こじつけですね。。。)

「関東勢は百万も候へ、男は一人もいなく候」

ー真田幸村ー 大阪夏の陣 道明寺の合戦 しんがり時の言葉

3.
「サラリーマンの仕事としてレベルは結構高い」…かもしれない
撤退作業を最後までやり抜いた経験はサラリーマンとして信用を得られるかもしれません。帰国後、転職サイトに登録したことがあります。私の在籍していた会社はそれほど名の知れていない会社ですが、そこそこ高給で海外赴任、責任者としての転職のスカウト、打診はすぐにきました。団塊の世代が抜けて経験者も少なく、特に海外拠点の責任者を務めた経験のある人材というのが少ないそうです。赴任先の異文化圏で「撤退」という荒事をできる人であれば、当然自信も付き、再就職先に困らないかもしれません。給与アップも望めるかもしれません。(またまた海外赴任になってしまいますがが。。。)

まとめ
メリットのまとめはちょっと強引だったかもしれません。しかし何事も前向きにとらえるべきと思います。メリット、デメリットを見ると、世間的にはすぐに得るものは無いですが、自分の経験、感覚としては大きなものを得ることができる、というのが私の結論です。世俗的な評価に直結するものではないと思います。帰国後しばらくして私は独立し、現在も独立して事業を行っていますが、こうした経験を生かすも殺すも、撤退作業終了後の前向きなとらえ方、それぞれの選択ではないでしょうか。


プロに相談しましょう

撤退のサポート体制

撤退を決断したら、鞄に荷物を詰めて日本にそのまま帰るわけにいかず、いろいろすることがあります。どうしたらよいのかなど普通はわかりません。自分で調べる必要もありますが、サポートいただける強い味方が弁護士の先生方です。

弁護士(律師)を探しましょう

地域によって日系の弁護士事務所がない場合がありますが、日本語のできる現地弁護士(律師)が在籍している事務所は相当数あると思います。私の地域では、日系の弁護士事務所は撤退が多く、ほぼなくなっていましたが、幸い良い先生が残っていらっしゃいました。事務所統合にて、途中で他地域に移動されましたが、最後まで手伝っていただきました。日系の弁護士事務所にこだわるようでしたら、打ち合わせはリモートで、たまに出張に来てもらえれば他地域の事務所に依頼しても問題ないと思います。

日本人の先生は日本にて弁護士資格を持っていても、中国では弁護士活動は実際にはできず、リーガルアドバイザーのような立場でのサポートとなります。そのため、中国で資格のある弁護士の先生と組んで仕事をするパターンになると思います。中国では優秀な方が多く、日本語ペラペラ、さらに弁護士資格もある、という方が相当数いらっしゃいます。そして私の場合は実際の役所対応などの実務を手伝っていただくアシスタントの方もいらっしゃいました。合計3名でのサポートをいただきましたが、大枠の方針、対策の説明は日本、中国の弁護士の先生お二人から、実務はアシスタントの方に手伝っていただく、という感じです。

弁護士はコストもかかりますし、必ずしも必要というわけではありませんが、特に労務問題への対応などいろいろサポートいただいた方が間違いなく心強く「必要」と思います。

親身になってくれそう、というのが一番大事かな。

会計士(会計師)を探しましょう

会社関連ともなれば、現地の会計士のサポートも必要となります。すでに顧問となっている会計士がいるかもしれませんが、ここは少し考えた方が良いかもしれません。会社清算の場合、最終的な処理として清算報告書なるものを作成してもらいますが、同じ会計士にお任せすることも可能と思います。しかし、社内従業員と親密すぎる関係があり、なにか細工をされたらちょっと困るし、細工が元々あったらなお困るので、別の会計士と契約を改めて結ぶというやり方もあります。

顧問会計士にそのままお願いした方がスムーズかもしれませんし、これは会社の方針やいろいろとあると思うので何とも言えません。私の場合は契約している会計士はいたのですが、顧問弁護士の推奨する中国人現地会計士と契約しました。現行の会計士は社内の経理担当とやり取りしていたので、撤退時はできるだけ業務を手元に寄せておきたいという思惑があり、社内の人間と撤退業務を一旦切り離したかったため、弁護士推奨の会計士と契約しました。この方は日本語は話せません。日本語のできるアシスタントの方がやり取りしていただけるので問題ありませんでした。

会社清算のみで言えば、テクニカルには会計士のみで対応可能と思います。ただ彼らは、清算手続きなどに習熟していますが、最も面倒な労務問題などについては対応しないのではないでしょうか。そのためお勧めはやはり弁護士の先生方についていただくのが無難と考えています。


お金払っているので少しぐらいの愚痴も聞いてもらえる

弁護士の先生との契約は「必要」:日ごろから部下任せにせず組織トップが対応すべき

弁護士の先生とは、撤退決定前より2年ほど法律顧問をリーズナブルなお値段で引き受けていただいていたので、そのまま撤退作業もお願いしました。余談ですが、弁護士でも会計士でも会社トップと普段から直接やり取りをし、現地人材に任せるようなことはしない方が良いと思います。何かあった時のための方々ですので、常にこちら側(経営側)の味方になっていただかなくてはならないからです。

サポートいただいた日本の弁護士の先生は労務の専門家で、人柄がよく若くて細身、失礼ながらガリ勉タイプの印象に見受けられましたが、中国にてもご自身の仕事に自信を持っておられ、気持ち的にタフでその細身には筋金が通っているのだろうと、非常に頼もしかったです。日本語のできる中国の律師(弁護士)の先生も同様でした。

良い先生に恵まれればそれだけスムーズに進むと思いますが、撤退作業というのは孤立しがちで、何より精神的なサポートの方が大きかったです。親身になっていただけるかどうか、という視点で探されるのが一つのポイント、というか一番大事なことではないでしょうか。

この先生方には今でも深く感謝しております。

まとめです。
撤退コンサルタントなるサービスもあるようですが、何をするのでしょうか。よくわかりません。代わりに前面に立っていろいろやってくれればよいですが、金銭的な責任、決断が絡む場面が多くなれば前面に立つことはしないのではないでしょうか。価格は知らないですが、安いサービスとは思えないです。金額に見合ったサービスをしていただければ良いですが、経験がないのでわかりません。

というわけでアドバイザー的な方は弁護士の先生がいれば十分と思います。


撤退決断からまず準備へー

方向性を決める:執行は責任者自身

撤退を決めたとはいえ、弁護士の先生に相談しながら、何をどのように進めていくか決めるのは撤退担当者になります。そして基本的に執行するのも会社側の担当者になります。大体の方法については弁護士の先生に教えてもらえます。便利な世の中で、方法や一連の流れに関するざっくりした内容であれば大体ネット上にあり、弁護士事務所や撤退コンサルタントのホームページ等に結構情報が転がっています。

それでは手順を見ていきましょう。まずは大方針からどのように会社を処理するか選択が必要です。

1.会社を売却(持ち分譲渡)
2.解散、会社清算
3.破産させる

の3択があります。このうち一番楽なのは、1の会社売却で、引受先があれば手続き上も、処理も楽でしょう。従業員も引き受けてもらえたらなおさら楽です。一番面倒なのは破産で、中国で破産させるというのは雇用、当局対応で苦労する可能性が高くなります。負債などを残した場合、どんな魑魅魍魎がうごめきだしてくるか、どうなるかわからないと思います。やった事が無いのでわかりませんが、中国にマイナスを残す、というのは損させられたと感じるのか、当局にも嫌われる気がします。

例外となりますが、上の3つの選択以外で、たまに聞いていたのが「夜逃げ」です。正直できなくもないと思いますが、夜逃げする場合、その後一生中国にはいかない方が無難です。会社的にも関わりは持てなくなるのではないでしょうか。当事者は、入国はできても出国できなくなる可能性大です。夜逃げするにはできるだけきれいにして、まさしく「立つ鳥後を濁さない」ように、逃げる、ことをお勧めします。まあ、それができたら夜逃げする必要もないと思いますが・・・・

会社にお金があれば、ある日突然日本人駐在員が消えて、オフィスに1枚張り紙を張り付け、「閉鎖のご連絡」をするという方法もあると思います。日系IT企業で実際ありました。従業員との退職交渉、退職金の条件などあとは専門家に任せてさっさと帰国、というのも可能と思います。このやり方については詳しい方法は知りません。専門家に聞いてみてください。ある意味私にはうらやましいやり方です。IT系の企業であれば、仕事上の在庫や設備などはほとんどなく、人、PC、賃貸物件と金ぐらいしか無いと思うので可能と思いますが、実際物品のやり取りする企業で、顧客と今後も関係を維持しるのであれば具体的な仕事の処理が必要なので、「丸投げ」は条件が限られる方法と感じます。

どんな方法でも中国に何かしらの負債を残し立ち去った場合、特に責任者の方は出張などで再度中国に来た後、出国時に指摘されてそのまま1か月出国停止になる、なんていうこともあります。解決策を提示しないとさらに伸びる可能性大です。たとえ日本に帰国し、違う会社に転職して再度中国へ来たとしても、中国側からしたら前の会社の責任者が戻ってきたことになるだけなので、同様に負債やら何かしら残務があり、当局の「ブラックリスト」に載っていれば出国停止でしょう。後を濁さないことは大切な考え方と思います。

やらない方が良いのは、どんなに信用していても中国の現地人材に清算や売却を任して帰ってしまう、というものです。任せてたまに見に来る、ということもできなくは無いと思いますが、監視がなくなり関係が希薄になれば、何をしだすかわからないです。中国には表と裏が必ずあり、人にも表と裏が明確に存在すると考えています。高い確率で悪い結果を招くと思います。会社に金目のものが残っていたらなおさらです。中国人パートナーに裏切られたというのは良く聞く話です。(彼らからしたら当然の反応と思いますが。。。)

私の会社でも経理会計関連はがっちり管理していたつもりでしたが、閉鎖が決まって、後から現金が少し増えたということがありました。多分どこかにプールしていた裏金を従業員が勝手に戻したのだと思います。みんな表向きは真面目で、日本語堪能、日系企業に長く務めてきた人たちですが、その金がどこから来たのか、どこにあったのかもわかりませんでした。聞いても困ったように「わからないです」と首を振るばかり(の芝居)でした。おそらく清算時に何かしらの使途不明金がばれて、ヤバいことが起こる前にこっそり返したと思います。

昨今、不動産大手の債務超過が話題になっています。法治国家での解釈ではとっくに破産状態なのに、破産させないというおかしな事態になっています。誤魔化しているのか、逃げているのか、裏で「調整」しているのか知りませんが、国家ぐるみで訳の分からない状態を作り出してくるので、こうした環境下、撤退作業をするとはかなり緊張感を強いられることになると思います。中国にいる方ならばこうしたいい加減さはさもありなん、と思われるのではないでしょうか。

だからこそ私は当局が決めたルール通りにガチガチに対応するのが無難だと思います。少しも後を濁さず、残務を残さず、負債も残さず、登記も残さず、きれいさっぱり消し去るのが一番と考えてそれを目標としました。

「立つ鳥跡を濁さず」中国語では「好來好去」「圓滿結束」というそうです。日本語と中国語とでは何となく感じるニュアンスが違いますね。

選択と方針―自社の事例:会社解散、清算 最後まで日本人担当者が対応

中国支社の状況は、設備もほとんどなく、拠点は街中のオフィスと工業地帯の小さな検査工場だけでした。人員は、総務、営業、技術とひとそろえいるのみです。抱えている仕事も大きなものではなく、良い仕事はすでに合弁工場閉鎖時にすべて失っており、残った仕事もトラブルを抱えていたりして、とても事業売却できる代物ではありません。「会社売却、持ち分譲渡」は選択肢から除外です。破産も除外です。規模も大きくなく、資金もまだあり、いざとなれば本社の資金支援も受けられます。当局の協力も得づらいというリスクもあるようで、時間がかかることが予想されます。(最悪、処理の終わりが無い状態になる)もちろん候補から外します。

むしろ私としては、資金ショートできつくなりすぎる前に決断したというところもあり、選択としては「解散、会社清算」が最適としました。中国からの撤退時、売却先が無ければ多くの企業が選択すべき方法が「解散、会社清算」になろうかと思います。

さらに清算業務について、事務作業は手伝ってもらいますが現地人材に任せ切ることはせず、責任者(私)が全てを把握し、最後まで残り自分の名前が当局の記録から完全に消えるまで面倒見続ける、という大方針を決めました。物理的にもオフィス、工場を引き払うのも、書類も確認し撤去し、がらんどうになったオフィスから最後にでるのは自分と決めていましたが、現地人材に任せられるものでも無いと思います。

中国では資本取引は「不自由」

合弁企業の場合、事態はかなり複雑になると思われます。相手方が持ち分を引き取ってもらえれば楽と思いますが、そうでない場合「棚上げ」となり後に引きずることになるかもしれません。大きな企業、資産のある企業になると多いパターンと思いますが、当局の邪魔が入ったり、いろいろなハラスメントを受けるかもしれません。大きな設備や土地を持った企業であれば、中国には「資本取引の自由」が無いため、たとえ購入時は安かった土地の値段が上がって時価で事業用地(実際は借地権)を売ろうとしても、当局の横やりが入り時価での取引ではなく原価(例えば、2000年ぐらいの原価ならば数十分の1の価格)で取引するように指示があったり、土地ごと一旦ネコババしようとしたり・・・いろいろ妨害があると聞いたことがあります。こうした時大手日系企業では、今後のことを考えて交渉で損切りして事なきを得るような対応をしているところもあるようです。

ある日系大手企業の工場を撤退させる時に、工場と工場用地を現地他社へ売却することが決まりました。しかし地方政府からの指示で、その地方政府に一旦取得原価で売却し、その後売却先に時価で地方政府が売却する方法と取るよう要求されたそうです。従わなければ許可を出さないと。。当然です。資本取引の自由がないのですから。結局時価から大幅値引きの価格で地方政府へ売却で折り合いをつけたようです。もちろんその利ザヤは地方政府の懐に入ります。大手なので他にも拠点があり、従わざるを得なかったのでしょう。

出典:根拠のないうわさ1

投資した金額は残っていたとしてもそのままスムーズに帰ってこない「覚悟」だけはしておいた方が良いと思います。こうした話は株価などに影響するからか、何が理由かわかりませんが、あまり表に出てこないと思います。しかし実際かなり強引かつ深刻なことが起こる可能性があると思います。資本取引は自由にできませんので・・・

私の場合は小企業なので注目されることもなく、シンプルな会社清算で資金もそれほど残っていません。問題は従業員の扱いがメインでした。私がお伝えできるのはこうした小規模企業での撤退作業となります。

他国の外資小規模企業の話ですが、会社を閉めて帰国しようと準備し始めた時、責任者はなぜか投獄され、警察と結託した現地の方に銀行口座を奪われ、企業ごと乗っ取られたこともあるそうです。怖いですね。その方はすぐに釈放はされたみたいです。

出典:根拠のない噂2
兵法百計 尻に帆かけて逃げるにしかず

一番の山場:撤退の発表と従業員の解雇

<リストラ・解雇 心理的ハードルの乗り越え方>

さて、方法が決まれば次は労務問題です。従業員に辞めてもらわなくてはなりません。そして、清算業務を手伝ってもらう人に長めに残っていただかなくてはなりません。

この人事の件がなければ、会社清算など、ただの事務作業で大したものではないと思います。

「人のクビを切る」というのは、考えれば考えるほど、躊躇してしまうのではないでしょうか。自分もサラリーマンであれば、相手もサラリーマンです。雇われ人が、同類の雇われ人のクビを切るのですから、相手の気持ちもわかるので気分良くありません。実は解雇するのはこの時が初めてではありませんでした。以前態度の悪い、評判の悪い中国人営業がいましたが、契約更新(3年契約)の時に解雇しました。「この会社を潰してやる!!」などと毒づいて去っていきましたが、その時と今回は違います。真面目な人々を解雇するのです。人の人生に影響を与えるということもあり、多くの日系企業が嫌うところ、高いハードルと思うところではないでしょうか。私はその現場で「切る側の張本人」になるのですから、正直嫌でしたし怖かったです。とはいえ、総経理なので自分がやるしかありません。

また、会社がなくなるのに残ってもらう従業員との交渉もあります。いずれやめてもらわなくてはならないのに残ってもらい、手伝ってもらうというのは言いづらい話です。清算のための事務作業などより、多くの方が一番気にかかるのがこの「人事」ではないでしょうか。


<閉鎖のお知らせと解雇条件>

会社を解散するのですから、その事情の説明が必要ですが、大体似通ったものに落ち着くと思います。「業績が悪いので撤退・・・」とか、「会社の方針で、統合の方向に・・・」とかあると思います。そして「皆様には何卒ご理解を・・・」とか、働いてくれて感謝するとか、ネットで調べればそれなりのテンプレが出てくる時代です。私の場合は自分からも誠意を示したかったので文面は一応自分なりに考えました。「皆様に努力いただき自分も努力したが、良い成果を得られず資金ショートのリスクが生じてきた。そのため、資金にまだ余裕があるときに閉鎖をしたいと考え、決定した・・・云々」という感じです。

理由はともあれ、そんなことより従業員の一番の関心事は、退職金の条件ではないでしょうか。そして人事でもめる条件も結局は「お金」です。そのため慎重に考えなくてはなりません。ただ、非常にありがたいことに中国ではこうした会社清算時の退職金の額が決まっています。現地では「経済補償金」と呼ばれます。


こんなには払えません。

経済補償金の額=勤続年数×1か月の賃金

これだけ支払えばとりあえず法律違反ではありません。しかし、残業代がちゃんと支払われていないとか、いろいろ理由を付けられて、問題になる可能性はそこそこ高いです。問題が無くても問題にするのがこの地のやり方です。大きな組織であれば必ずいっていいほど交渉が発生すると思います。人数が多くなればストライキが起き、地方政府を抱き込もうとしたり、労働基準監督署に訴えたり、いろいろゴネる人々が出てくると思います。何をしても、会社清算であれば法律通り粛々と処理すれば問題ないですが、その交渉は経営側はやはりしっかりと対応しなければ余計なトラブルを招く恐れがあると思います。

「兵ハ拙速ヲ貴ブ」と孫子の表法にありますが、閉鎖決定の「発表」から退職までの期日はあまりダラダラと伸ばさず短い期間で決着をつけた方が良いように思います。閉鎖発表から退職までが長ければ長いほど、いろいろ知恵もつけて不安も募り、デマがめぐる可能性も高まります。その分トラブルも増えることが予想されます。退職期日まで長くても3か月ぐらいが目安ではないでしょうか。工場であれば少し長いかもしれません。

私の場合、現地人材は10名ほどいましたが、当初はほとんど問題になりませんでした。条件はできるだけ良くして、勤続年数×1か月の賃金+数か月分 として追加を増やし、会社都合での退職なので、推薦状も書きます、という条件も付けました。

それぞれに金額を提示し「Aさんはいくら、Bさんはいくら」と一人一人呼び出して、いくらもらえるのか説明して納得いただけるようにしました。皆様納得いただき、特に検査工場の方は、前の会社を2年ぐらい前に辞めたばかりの人がほとんどなので、再び退職金をもらえるということで、ホクホク顔の人もいました。「猫林さん、しょうがないよ、気にしてないよ。ゆっくり次の仕事探すよ」みたいに嬉しそうに言われたりもしました。こちらとしては申し訳ない気持ちがあるので救われた気分ですが、中国の人は転職、退職それぞれ非常にあっさりとして考えているので、なんでも要は金次第のところがあります。考えようによってはちゃんと国が経済補償金の法律を持っているので、ひょっとしたら日本より条件はかなり良いかもしれません。

閉鎖の発表と退職面談はほぼ同時に行い事なきを得て、意外とあっさりと終わりホッとしました。そういうものなのかもしれません。発表前はドキドキですが、発表してしまえばこちらも腹が座り覚悟もできる、というものです。

少し辛かったのは、一緒に活動することの多かった営業の方に、この会社が好きだったので残念です、と泣かれたことです。評判が良く真面目で優秀、日本が好きな方で、まとまったお金をもらうよりもずっと働きたかったようです。お別れの時には友人の書家に書いてもらったという漢詩を贈ってくれました。この時初めて中国に来てよかった、とようやく思えたぐらい感動しました。

退職してもらう方には、経済補償金額と退職期日が記載された「退職合意書」にサインをいただくことになります。サインいただければ、期日には退職いただき、こちらも期日には経済補償金を支払い、お別れとなります。

この経済補償金の額に納得いかない場合、サインをしなければ期日に強制的に解雇となり、プラスαの部分、追加の退職金を払わず、法定の経済補償金のみ支払う、という条件しています。そのためサインした方が得、という条件にもなっています。これが一般的なやり方でしょう。

もし労使交渉で揉めたとしても、揉め方にもよりますが、追加の補償金がある場合は、大体最後にはサインしていただけると思います。この期間が一番緊迫したものとなると思います。そのため、労働者側に足元もを見られるような、弱みを取られるような状態で閉鎖発表はせず、その前に懸念事項は潰してから発表し、労使交渉に臨んだ方が良いと思います。これはそれぞれの業務内容、引継ぎ状況によると思うので現場をよく見てのご判断となると思います。

私の場合、最大の問題は最後まで残ってくれた古参の総務担当、会計担当の2名でした。50歳を過ぎた方々ですが、この方々とは最後に大問題が発生し、7,8回ほど団体交渉を行うなどエンドレスなバトルが勃発しています。


睨まないでください。。。

<紛糾!アウェーでの労使交渉 日本人1人 VS 中国人2人>

会社が中国での貿易会社にあたるため、税金還付手続きの関係上、閉鎖時期が予定より大幅に遅れていました。2017年6月に「閉鎖のお知らせ」を出し、3か月以内に8割以上の従業員が退職しましたが、実際に手続きを始められるのが、2018年7月になってしまいました。それまで従業員2名に交互に出社してもらい残ってもらっていましたが、彼らの退職時期直前になったある日、深刻なこわばった表情で団体交渉を申し込まれました。

受けざるを得ないので内容を聞くと、退職金を法定経済補償金の約10倍出してもらいたい、というものでした。1人数千万円となります。勤続13,4年だったと思いますが、そんな大金を払えるわけがありません。

余談:とある日系大企業が現地人員を1人解雇するとき、多額の退職金「ウン千万円」を要求され、その要求を飲んだそうです。理由は会社の裏金の事実を当局かどこかにばらす、と脅されたからだそうです。会社側の「負け」です。事実だったのでしょう。

出典:根拠のないうわさ3

理由としては、今まで頑張ってきたとか、会社が悪いのであって私たちは悪くないとか、いろいろ言われましたが、要は年金に問題があるようでした。
中国では「都市戸籍の」女性なら55歳、男性なら60歳から年金がもらえますが、彼ら2名は50代であり、あと数年経ってからもらえるようになります。退職から55歳までの間は問題ないのですが、もらえる年金の額が、女性なので55歳時点での賃金によって決まるそうです。つまり55歳の時点で賃金が安ければその金額が基準になり、55歳時点で働いていなければ退職時の賃金の半額ぐらいが基準になり、年金額が決まるそうです。

そのようなルールは知りませんでしたが、会社に直接関係がある話でもなく、55歳までどこかで働いてもらえればよいわけですが、彼らは働かないつもりのようでした。実際50歳を超えて再就職は厳しいとは思います。

今まで一生懸命会社のために働いてきた、支えてきたからもらう権利がある、年金もあまりもらえそうもない、そこで「相談したい」ということでした。要望内容は、退職金を10倍にしてもらいたいので本社に交渉願いたい、ということでした。こんな条件を受け入れるわけがないので断ると、「だから相談したい、<あなた>と交渉したい」と言われます。

この意味はこうです。「本社から金を引っ張ってきてもらいたい。その額の何%かはあなたにあげるので、頑張ってもらいたい、あなたならできるはずだ」という意味です。説明を細かく受けなくても「相談したい、本社から資金供給をうけてほしい。「相談」したい」と言われればそういう内容なのは感覚でわかりました。相手は裏表のある中国人です。はっきりとは言いません。「相談、交渉(「沟通」といいます)したい」だけです。

賄賂や裏取引はよくあります。「フイコウ」と呼ぶキックバックもあり、半ば商習慣です。中国の役人はみんな普通にやってましたが、最近は厳しいようです。でもやってると思います。
日本に来る富裕層の多くはこうした裏金そのものか裏金作りのお手伝いで裕福になった人々と思います。

出典:無名の人

日本語ができる方々なのですが、この時は中国語でまくし立ててきます。そしてこちらは日本語で返す、という交渉になりました。

このような要望は無理なのであきらめるように、法律通り支払うのだし問題ないのは理解しているはず、年金支給年齢は国が決めているが、それまで働けるのならば働くかどうかは会社側の問題ではなく、お国もその時まで頑張って働きなさい、という意味なのではなかろうか、と断ります。金が絡むと中国の人はそう簡単にあきらめないのは良く理解しており、何度も交渉してくるだろうと思いました。ただ退職期日はすでにアナウンスしており、それまでに「退職合意書」にサインしなければ、法定経済補償金のみを支払い強制的に解雇になります。

まずは日本の本社に一報を入れます。社長より帰ってきた返答は「あなたのやり方が悪い。こうなってしまう責任はあなたにあると思う。弁護士と相談して対応するように」ということで、さっそく逃げに入ったようです。困った時にはいつでも連絡しろ、と言ってくれていた会長に電話してみました。「法律通りやればいいんじゃないの?社長とやって」と電話を代られました。義務として報告はしましたが、こういう人々なので本社役員の人々に頼ろうとは最初から思っていませんでした。

ここはやはり弁護士の先生です。早速リモート会議を開いてもらい報告しました。

「はあ、やはり来ましたか。古株ほど厄介なんですよね。たしかに年金のそういうルールはあります。」

「ここで弁護士が出ることもできますが、弁護士としても猫林さんが伝えたように同じ内容を説明するだけになります。こちらが弁護士を出せば、相手も敵わぬ相手が出てきたと警戒して弁護士、専門家を連れてきて交渉となったらさらに面倒になります。中国の弁護士は成果報酬型の方もいます。良い結果がでれば報酬をもらうという契約で、最初は無償で引き受けるのでやっかいになります。」

「猫林さん、ここは踏ん張り時ですよ。あと1か月半で強制解雇になるので、おひとりで踏ん張ってください!後ろからサポートいたします。なんら法律的に間違ったことはしていませんのでご安心を」
と励ましてくれました。

弁護士の先生は細身のおとなしい印象の方ですが、中国での労使交渉に参加し、あまりにも理不尽な要求をされ、しつこかったためブチ切れたことがあるそうです。猛者ですね。

出典:弁護士の先生

弁護士の先生が労使交渉、条件説明などを担当する場合、多人数を相手にすることもあるそうです。その時は広い場所だと、うわっと周囲を囲まれて収拾がつかなくなるので、左右に広がりがない場所、左右狭い部屋や廊下などに机をだして、一人一人か少人数対応できるようにするそうです。テルモピレーの戦いのスパルタ軍のようです。戦略家ですね。

出典:弁護士の先生

「悪用される恐れがあるので会社の印鑑は猫林さんの方で保管してください」とも言われたので、自分で預かり、最終的に弁護士のアシスタントの方に預けました。

会社の印鑑はかなり大事なものです。中国の警察書(公安)が管理しているもので、これで変な契約書でも作られたらそれだけで効力を持ちえます。そのため管理は非常に大事です。普段は総務の担当者が管理していますが、「敵方」に回ってしまったのでこっそり自分が預かりました。これが彼らの逆鱗に触れたようです。


いままで和気あいあいとしていましたが、激突!!!

次の日2回目の団体交渉を申し込まれました。

開口一番、「勝手に印鑑を隠すとはどういうことか!!いままで信頼関係をもってやってきたのにコソコソとこのようなことをするとはどういうことだ!!」と大声で罵倒されるようにまくし立てられました。何しろすごい剣幕で圧倒されましたが、落ち着いてまずは謝りました。黙ってこういうことをして申し訳ない、と。ただ印鑑を返すことは絶対にしませんし、私は総経理です。印鑑を勝手に持っていっても誰かに何か言われる筋合いは無いわけです。彼らとしては私が本社と交渉して10倍の退職金を引っ張り出してくる可能性は潰えたと思ったのでしょう。相当ヒートアップしたやり取りになりました。
罵倒されるように怒鳴られつづけられましたが、何を言われようと最後は彼らの要望である、「退職金アップは受け入れられない」と釘をさして終えました。相手を追いつめたくはないですが、「釘をさす」というのは大事です。でも正直怖かったです。

私は20年以上のサラリーマン生活で仕事上数多くのトラブルを経験してきました。手前味噌ながら逃げたりごまかすことはせず、すべて解決してきました。トラブル処理、クレーム処理は得意でもあったと思います。そのため、トラブル、問題というものの本質を外さない「心得」みたいのを持っていました。今回の場合は、自分の立ち位置から1mmもズレずに、そして彼らの気持ちをできるだけ「成仏」させるためにも、問題を長引かせないためにも、この場所に留まって交渉を申し込まれれば受け続け、話を聞き、意見を変えず、できないことはできないとはっきりくぎを刺し、時間切れを待つ、というのが作戦です。とてもシンプルですが、耐え続ける、言われ続けるというなかなかきつい経験でしたが、これがベストでしたし、これしかありませんでした。

何度交渉したか覚えていません。トータルで、7,8回だったと思います。もう業務が無いのですが、残った2名の従業員は真面目に交代で出勤していました。交渉があるときだけ、2名そろい、団体交渉をし、終わったら廊下に出てコソコソと相談をする、というパターンです。今まで和気あいあいとしてきた方々が能面のような無表情で圧力をかけてきたり、若干ゆさぶってきましたが基本的な内容は毎回ほぼ同じ。議事録を毎回取っておりましたが、進展はありません。

彼らは町の中心部に住んでおり、政治的に有名な都市だったため、何か政治的な権力、あるいは裏社会の人々とつながりがあるのではないか、何かされるのではないかと考えたりしてしまい、正直怖かったです。一人でいるためネガティブな方向に考えが行ってしまいがちです。中国の政治的権力は相当に怖い存在です。当たり前ですが中国国内なら日本政府、大使館などまるっきり彼らにかなわないです。自社のオフィスの向かい側に中国の若者が運営している企業がありましたが、ここに裏社会の人々が5名ほど乗り込んできたのを見たことがあります。何かトラブルを抱えたのだと思います。

日本人はたまにスパイ容疑で捕まりますが、スパイなんてしていないと思います。変な政治的な背景があるのでしょうか。それがまた怖いです。

ちょっと前にはイタリア人の総経理が人事でもめて刺されたという話も聞きました。過剰に恐れる必要はありませんが、たまに聞く話なので、私も通勤時には背中がどうしても気になってしまう、という状態になりました。団体交渉中は重度のストレスで、左目が網膜に水が溜まる病気になってしまい、光は感じますがほとんど見えなくなってしまい(後に回復)、右目しか役に立たなくなりました。体重も約10キロ落ちました。

こうした状況でしたがなぜか、怖くても最後までやり抜くという謎のやる気が常にありました。少なくともこの会社では最後の仕事になるだろうと何となく感じており、後悔無いように堂々とやりぬこう、と考えていました。ただ、身体的にも影響が出ているため私に何かあった時に家族はどうなるのだろう、と不安にもなりました。すでに左目がこのまま回復せず失明したらどうなるのだろうか、家族はどうなるのだろうか、会社は何も責任を取ってはくれないだろうと感じていました。

結局のところ、実際には何も起きずに済みましたが、私にとって会社という存在の軽薄さを理解し、家族の大切さ、重さを同時に理解し、そして社外の利害を超えて励ましてくれた方々のありがたさ、貴重さを知り、何が大切なのか深いレベルで認識した経験となりました。

<解決>

退職期日の数日前、団体交渉は最終的な落としどころが見つかりました、というか勝手に相手側が解決策を持ってきました。なぜかわかりませんが、会社都合での退職なので55歳に達していなくても、年金金額はこの会社の退職時の賃金に準じて支給されることになりました。そのため、会社都合の退職になるという年金事務所の書面に会社の印鑑を押してほしい、と頼まれました。

そんな法律が中国にあるのでしょうか?―――無いです。弁護士の先生に確認しても同様でした。聞いたことが無いそうです。これこそ彼らは役所に交渉して、何か裏で手を回したのかもしれません。相当交渉したのだと思います。ひょっとしたら少し金も使ったかもしれませんし、間違いなく裏ルートは使ったのでしょう。「この書類にサインして、いくらか払えば、このようにしてあげる」という裏の役所商売がいまだに残っているようです。今はあるかわかりませんが、そういう現場に居合わせたことがあり、おそらくそんな感じの裏側で解決つけたのではないかと予想しています。また彼らは都市戸籍なのでこうした場面でも優位に働いたのだと思います。中国で権利に平等はありません。弱肉強食の世界です。今回メインで私との交渉に当たった総務担当の方はそこそこの切れ者なので、うまくやったのだと思います。中国らしい、と思いました。

「上面有政策,下面就有对策。」 = 上に政策あれば下に対策あり

中国のお話 日本人は穏やかなので無策ですか?

年金事務所の書面に印鑑を押す代わりに、彼らが「退職合意書」にサインするという、外交交渉でのサインのやり取りみたいな感じで書類を交換して、団体交渉終了、となりました。支払う退職金は当初の予定通り、法定の経済補償金プラスアルファです。

私が声を荒げることはなかったと思います。ただ彼らは交渉時、私に対してかなりの圧力をかけ、恫喝じみたことをしてきたこともあったためか、最後立ち去るときには、すまなそうに、ちょっと反省した感じで「ありがとうございました。お世話になりました・・・」と出ていかれました。私は心の中で「さっさと出てってくれ。早く一人にしてくれ」と思っていたので、彼らが最後出ていったとき、「終わった・・・とうとう終わったのだ・・・」と静かに口に出して呆然としたのを覚えています。1か月半粘ったことになります。

これで撤退作業の一番の山場を越えたことになります。


まだ終わらないです

清算委員会:順番に、粛々と後片付け

清算委員会

従業員解雇が済んでしまえば、時間がかかりますが、後はかなり楽です。清
算委員会を設置して、工商局に登録し、公告を出してもらいます。メンバーは私と中国の弁護士の先生、アシスタント、そして会計士の4名だったと思います。このメンバーがメインとなって会社の後片付けを行います。

中国当局が最も気にするのは、従業員の処遇と、それよりも大事なのが税金のとりっぱぐれが無いかの確認です。いわゆるデューデリジェンスというものです。清算委員会を設置して、清算報告書を会計師に作成してもらいますが、その内容を税務署が精査して、税金の未払い、社会保険未払いなどがないか徹底的に調べられます。大きな企業で、利益を上げていたら相当な時間がかかるのではないでしょうか。幸い?に私の会社は最終赤字に陥っており、資金もぎりぎりまで残らないように調整していたので、特に追徴課税もなく会計師の方に忙しい中頑張ってもらい終了しました。

その後は順を追って、会社の登録、登記を抹消していくだけです。ここは専門家にお任せし、弁護士のアシスタントの方に対応いただきました。日本であれば税務署と法務局ぐらいと思いますが、中国当局への登録というのは、地区によると思いますが11か所ぐらいの役所への登記がありました。途中で統合され7か所ぐらいまでに減りましたが、これら登記の抹消に時間がかかります。順を追って抹消していかなくてはりません。工会 という労働組合の組織、区政府への組織番号の届け出、税務局、通関(海关)、外貨管理局、工商局、会社印鑑は警察署(公安)など、最後は工商局の登記抹消、銀行口座抹消、印鑑の警察署への返還で終了します。

これらはある意味事務作業で、大きな組織でもないのであっさりと終わっていった印象です。私自身がすることはほとんどありませんでした。書類の準備をしただけです。

これら手続きの最中に同時に行っていくのが、事務所の設備の後片付けです。人にあげられるものがあれば従業員にあげてしまい、弁護士のアシスタントの方もコピー機が欲しいといって他の備品も含めて持っていってくれました。ゴミとして捨てられるものは捨て、ビルの掃除のおばさんが多分転売するのかどっかへもっていったりしてくれます。残りは廃棄物処理業者に来てもらい処分してもらいます。

あとは書類の保管準備です。会計書類、関連書類はたしか閉鎖後も20年の保管期間があったと思います。以前は5年ぐらいでしたが年を追って、7年、10年、20年とどんどん長くなり、今は30年ぐらいになっているようです。この保管期間に合理的な理由があるのかどうか知りませんが、後で何かあった時にひっくり返してイチャモンをつけるためでは、と考えています。このように中国に長くいると性悪説で物事を考えるようになってしまいます。日本に帰ってから性善説に直す必要があるかどうかわかりませんが、外見を気にする年齢でもないですが人相がいくらか悪くなってしまったかもしれません。

書類の保管場所は最初は弁護士の事務所で保管してもらい、処理があらかた終わった段階で日本に保管のために送ってもらって終了です。

結果として、閉鎖決定、従業員への「閉鎖のお知らせ」から最終的な登記抹消まで2年半かかりました。これは、この支社は輸出企業であり、税金還付手続きなどが残っており、この精査と還付に相当時間がかかったためです。輸出時の増値税還付の残りがあると清算できません、と会計師に指摘されました。そのため大幅に伸びてしまいました。2017年6月に閉鎖発表、2018年6月に清算委員会設置、2018年11月には、オフィス閉鎖、2019年12月に最終的に銀行口座抹消、工商局登記抹消、警察署へ印鑑返還、となり終了しました。清算委員会設置から1年半かかっていますので、これぐらいは普通かかるものと思います。

その企業の置かれた状況により、閉鎖の状況は様々と思いますが、これが自分にとっての中国撤退作業でした。

帰国後

「働かないおじさん」中国での会社登記情報抹消で終了

2018年11月に日本に帰国しました。帰国してからどうしようか、と考えていましたが、もう自分のする仕事はなく、会社そのものにも仕事が不足している状態です。元々海外営業でしたが海外に営業に行くような商品は縮小続きなのでもうないです。要は自分の居場所などないのは分かっていました。他の会社は知りませんが、会社に仕事が無い場合、自分で仕事を作っていかなくてはなりません。そうでなければ一日ボーっと過ごす「働かないおじさん」になります。

まず心に決めたことは、会社のために働かない、ということです。給料はもらうが1円も稼がないし働かない、と決めていました。そうです、実は自らの意思で「働かないおじさん」になり、何もしないことに決めていました。適当に仕事しているフリをしていましたが、それだけ管理が甘い会社で、いい加減だったのでそのままボケーっとしていました。中国である意味大暴れしてきたところもあるので、いきなりおとなしくなり上司も扱いに困ったとは思いますが、皆さん私の様子にあまり触れたがらない様子でした。
そんな雰囲気はできるだけ気にしないようにして、フレックスタイム制をフル活用し、朝5時台の電車に乗って、8時前に出勤、夕方4時に定時でさっさと帰る、という生活になりました。クビになるまでこの状態でいようと考えていました。

そうこうしているうちに帰国から1年が経ちました。相変わらず仕事はしてません。働かないおじさんのままです。

2019年11月ごろと思いますが、そのころようやく中国子会社の工商局での登記抹消が終了した、と弁護士のアシスタントから報告がありました。それまでかなり長期にわたってデューデリジェンスが行われました。会計はしっかり管理していたので特に追徴課税などは無かったです。銀行口座を閉鎖しに一旦中国に渡り、戻ってきました。公安の会社印鑑は、弁護士のアシスタントの方に返還を依頼して、これですべて終了です。これで私の名前は中国当局の記録からとりあえず抹消され、責任はきれいさっぱり消えたことになります。今後中国に行くことがあっても何か負債があって出国が止められる恐れというのがなくなります。

これで中国撤退作業はすべて終了になります。書類上もきれいに無くなりました。

以下は余談です。

その後

しばらくして役員に呼び出され新しい仕事の担当をしないか打診されました。悪くない内容ですが、いままで仕事もないまま何をしていたかを問われ適当に返事していましたが、今回新しく担当になって結果が出なかったら降格にする可能性もある、ということも言われました。

「そうですか。降格の可能性がありますか。それならば会社やめます。」

すでに46才、子供2人がおり、娘は大学に入ろうとしていました。退職金がもらえるのでそれで学費や当面の生活は大丈夫と思いますが、その後の不安がのしかかってきます。会社の業績も悪く役職で退職金が決まるため、退職金もいつか減らされる恐れがあるので、ここでも先手を打って辞めることにしました。ある意味中国撤退の決断より重い決断でした。

退職の直前、会長より呼び出され、退職すると聞いて驚いた、これからどうするのか聞かれました。「独立します」と伝えました。「いままでどうもありがとう、ありがとう」と何度も言われました。ある意味体をはって負の遺産となりつつあった中国事業を整理してきたと考えていたので、感謝されて当たり前のことをしてきたぐらいに思っていました。しかし今思えば、会長という立場で去り行く者にこうして声をかけられるのは立派だと思います。会長には中国で私が苦労しているとき、色々とアドバイスをくれました。最後は見捨てられましたが、自分にとって一部不快だった経験だけを見て全てを判断するのはフェアではないと今では感じています。会社に対しても役員の方々に対しても、今ではそのように感じています。

この会社に入って海外営業として世界中をめぐることができ、海外赴任し、好待遇のおかげで念願の一戸建て立てることができましたし、色々感謝もできるということです。

中国では2つの合弁工場の生産停止にも関わり、その余波をやわらげ、中国からの全体的な撤退の流れの中で面倒なモノをできるだけ、人知れずきれいさっぱり処理できたと自負しています。そして、与えられた分に見合う十分なお返しもできたのでは、と自分の中で今は全て前向きにとらえられるようになりました。自分の中ではトレードオフです。

施されたら施し返す、「恩返し」でございます。

「半沢直樹」の大和田常務

2020年初頭、コロナのうわさが聞こえ始める中、中国帰りでコロナを疑われ、社長命令で送別会が直前で中止となり皆さんに軽く挨拶をしてまわり、15年在籍した会社を去りました。


「日本人駐在員」というくくり

私にとっては中国からの撤退作業は怖くて、プレッシャーもきつく、社内でのサポートは期待できないため孤独でもありました。そんな中励みとなってくれたのは弁護士の先生も含めた、社外の人々との関わりでした。

当時は日本人駐在員で構成する登山グループに属しており、登山をした後は皆で食事を楽しむ、ということを月に1度か、2度ぐらいしていました。

この利害関係のない関係がとても励みとなりました。労使交渉ですり減っているとき、食事をしながら話を聞いてくれたことがあります。現地で旅行会社を運営するやり手のYさん、大手自動車メーカーの現地販売会社副社長のMさん、運送会社の美人駐在員であるYさんに山行帰りに団体交渉で厳しい目にあっていることを聞いてもらいました。それぞれの中国での苦労話やら愚痴やらをシェアしたりもして、彼らのタフっぷりにも感銘を受け、その後は勇気百倍となったのを覚えています。特に中国にいて仕事をしている日本人女性は本当にタフです。あの中国で生活するのですから、主張も強く違う人種に見え、尊敬せずにはおれません。
そしてグループの会長のMさんには特に大変お世話になりました。皆様には心から感謝しております。かけがえのない思い出となりました。

こうした社外の方々とのお付き合いがあったおかげで視力低下や体重低下に悩まされながらも、精神のバランスを崩さず乗り越えられたと考えています。

地域にもよると思いますが、いろいろな日本人駐在員のグループがあると思います。馴染むのに時間がかかるかもしれませんが、撤退に限らずいろいろとストレスの多い駐在生活のバランスをとるためにも参加することをお勧めします。日本にいる時には感じることのない「日本人駐在員」というくくりで共有できる感覚、共通する考え方や悩みがあったりで共感、交流しやすいです。私は日本にいたら絶対交流できないような世代を超えた様々な方々と出会うことができ新鮮で幸運でした。帰国後も定期的に山行が催され、たまに参加させていただいており、いずれ何か恩返しができないかと、たまーに考えています。


おわりに:中国撤退=自分を取り戻すということ

人は置かれた状況や環境によって悪くもなれば良くもなり、傷つけたり優しくなったりすると思います。日本人であれば基本自由であり、その状況が嫌であれば逃げる選択をすることもできます。自ら選択することは何であっても良いことと思います。当時の私は謎のやる気があり途中でやめたり逃げることは選択肢にありませんでした。自分からやり抜きたいと中国へ行き、売上0円の子会社に赴任して奮闘し、最後は撤退しました。その努力量に比して物理的に残ったものはゼロです。濃厚な経験と思い出だけが残りました。

本来無一物、無一物中無尽蔵

六祖慧能

ずいぶんひどい目にあったと引きずったこともありますが、ただ不思議なことに後悔は微塵もなく、どこかさわやかな気分で帰国出来、今も駐在したことに後悔はありません。ただ、2度と中国には行かないと思います。今思えば中国から撤退しようと決断した時が私のターニングポイントだったと思います。

実は中国からの撤退を決断した後、少しずつ副業をするようになっていました。帰国後「働かないおじさん」をやりつつ、こっそり本格的に副業の量を増やしておりました。その副業を元にして独立し、当初は大変でしたが、何とか食えるようになり少し余裕が出てきたところです。

ここ2年ほどは、以前より興味あった農業での自給自足を目指して稲作教室にも通い始め、小規模ですが手作業での米作りもしています。稲作教室では自由参加ですが、共同農地での共同作業もあったりします。皆で食べ物を作るのですから、稲作の共同作業は新鮮で楽しいものです。最低限の会費は払いますが、そこには中国で経験してきた「金が全て」の世界はありません。中国人なら最低限の会費を払っていれば共同作業なんかに参加しないと思います。それは「損」だからです。中国では極端に「自分さえよければよい」「金が全て」「損か得か」の考え方が中心です。自分もその考え方に支配されていたと思います。日本にもサラリーマン社会にも蔓延している考え方ではないでしょうか。

「金払ったんだから当然だ」と言わんばかりに相手から奪うことばかりを考え、自分の利益のみを重視する。全て「損」か「得」かで考える。私はこれが元々大嫌いでした。中国から帰国して数年を経て、自分もその考え方に染まっていることに気づき、改めて大嫌いであることを知り、考えを改めました。一方、稲作教室や農村にはいろいろ面倒なこともあると思いますが、日本古来の村落共同体で共有されてきた「結衣の思想」が細々とまだ生きているように思います。全体のために協力して共同で何かをする、趣味の世界と言えばそれはそうですが、そうとも言い切れない規模で展開されており、新しい文化潮流のようで、それがうれしく楽しいのです。


稲刈り中

こうして癒されているうちに生き返ったようになり、新しい目標もできました。独立したもののいまいち力の入らなかった本業にも力が入るようになり、さらに規模拡大、発展を目指して日々努力をしています。ここからの撤退はありえません。進むだけです。サラリーマンでもないので、自分が辞めない限り積み上げることができます。今は小さい利益のみですが、いずれ大きく利益が出ると思います。それでも蓄財したりせず、人々と楽しくできる何か、新しい仕事、新しい事業に全て使ってしまう気がします。私は日本人なので、これからは持っている金の分量に重きを置かず、何をしているかに重きを置きたいです。

中国という海外での撤退を含めさまざまな荒事を経験したからこそ、日本という祖国への想いも深まり、新しく日本人として生まれ変わった気分でいます。そうです、中国撤退は生まれ変わりの魔法?なのです。


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