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【経験から分析する】転職でこれやっちゃいけねえぞという話

 フォロワーが転職をしたがっている。
 この時期に。このご時世で。

 色々思うところはあったのだろう。コロナウイルスを発端とした経済の停滞、これからもどう考えても悪化していくことがわかりきっている大手企業の業績悪化、そのうえで中途で就職活動をすることのリスクは理屈でもわかっているはずだ。しかしそれでも最早こらえきれないとなれば、これは一大事である。
 というわけで、僭越ながら似たような理由で転職しようとして、派手に顔面強打するレベルで人生すっ転んだことに定評のある私が、とりあえず自分の経験くらいは書かねばなるまいということで今回筆を執らせていただく。先んじて申し上げるが、あくまでもこれは個人の経験であるということをご承知いただきたい。

Ⅰ,そもそもリーマン世代の時点でしんどい

 実は新卒の時点で私は詰んでいた。
 民間志望の同期たちは40社だか50社だかエントリーして毎日死にそうな顔で就活していたし、全国規模で就活した子は交通費だけで50万円ほどすっ飛んだと語っていた。折しも世は大卒就職率60%、厳冬の時代であった。
 地方国立大学の経済学部ではない文系がまっとうに就職しようとするならば、学力がものをいう公務員か、留学経験を持つ中国語専攻か、あるいはTOEIC800点以上でゴリ押すか、それくらいしか選択肢はない。そうでなければ激務、人手不足の業界に飛び込んでいくしか道はないのだ。
 ゼミの同期は県警と私立高校の教師、それから葬儀屋に就職が決まった。私はいくつか地元企業で面接が進んでいたが、いろいろあって親と衝突した挙句いつの間にか親戚のほうで話が進んでいて地元農協に就職が決まった。


 農協時代の話については長くなるので省略するが、親戚が話を通してしまったばかりに私はそこに3年ほど在籍せざるを得なくなってしまい、精神を著しく消耗させられた。
 あの業界はいけない。というか私が入った農協がいけなかった。
 農協によって内部はマジで全然違う。JA何某という何某部分が違う場合、完全に同業他社だと思ったほうがいい。
 世の中にはホワイトな農協も結構たくさんあると聞く。というか今私が住んでいる近くのところはかなりホワイトな気配を感じる。いいなあ。
 そんなこんなで私は3年4か月で最初の会社を退職した。そしてここから地獄が始まる。

Ⅱ,ハローワークは地獄の1丁目

 転職サイトとかを眺めてみると、大体ハローワークだけで就活するなって話が出てくると思う。私もそれには強く同意する。
 でもね、田舎で検索してみ?リクナビNEXTとか見てみ?
 パチンコ屋と飲食だけで5件とか、どうせいっちゅーのよ。
 というわけでジョブーブとかタウンワークとか見るじゃないですか。
 飲食バイトか清掃か運転手か介護よ。どうせいっちゅーのよ。

 仕方ないからハロワに戻ってくる。正社員の職を探して端末いじって、時間がかかればかかるほど頭がおかしくなっていくのを自分でも理解する。
 年間休日100日で休めるぞとか、月収15万とかでいいんじゃね?ってなることの恐怖。実際これは怖い。年間休日100日は実質80日くらいだし、月収15万は手取り12万だ。ハローワークには労働基準法を明らかに違反したレベルの求人も掲載されているのでこれだけは本当に改善してほしいと思う。一回年間休日60日という求人を見かけたが、大丈夫なのか?
 たまにここ良いんじゃない?って思ったところもないわけではなかった。しかしそういうところだと大概履歴書を書いても返送されてくる。人生そんなにうまくいかない。ただ若いだけの奴よりも、資格持ちのすごい人はいっぱいいるのだ。

 そのうち誠実な応対をして真剣に相談していると相談員さんのほうから危ない求人を教えてくれるようになる。ここ空求人ですよとか、ここは嫁姑問題に巻き込まれるのでやめたほうがとか、そんな知識が増えていく。でもいい職場には決まらない。困る。
 ハローワークのいい点は市役所とかの非正規求人が並ぶところじゃないだろうか。それくらいかもしれない。

Ⅲ,ゴミの中からマシなゴミを拾ったと思っていた

 就職先を探して決まらず数か月、しかしようやく何とか私もマシなレベルの求人を探して何とか就職までこぎつけることができた。
 結論から言えばそこの職歴は約10日で終わる。
 入社4日目くらいに突然社長に「資金繰り表作ってファックスで送って」と言われ、パニックになりながら前任者に相談して作ったものを送信したら「重要書類をファックスで送るな」って何故か社長の嫁に1時間怒鳴られるというミラクルが起きたためだ。
 簿記資格も持ってない奴におそらく2級以上、工業簿記を習得していなければならないレベルの資金繰り表を作らせる時点で笑ってしまうが(一応前職で農協簿記はやっていたとはいえあかんやろ)、社長と嫁のコンセンサスが取れていないのも笑えるし、仕事引継ぎ中の新人に1時間怒鳴るというのはすでにパワハラ以外の何物でもないのでは?と察した私、大慌てでハロワに乗り込み、この会社どう思いますかと報告。無事円満に退職、給料も2万円程度振り込んでもらった。地獄だった。

 そして再び始まる就活だったが、今度は今度ですぐ終わる。
以前書類で落ちたところが欠員が出たので面接したいという連絡がきたのだ。条件はよかったので喜び勇んで面接に行き、そして即採用が決まった。
 ありがてえ、ありがてえと喜んだ。面接官は社長夫人だったが、おっとりした人格者でこれは安心できるなと思った。
 しかしそんなにうまくいかないのが人生だ。事務職4名、零細企業、女の職場、あとはわかるな?
 すげえお局がいた。
 本当にすごかった。

 そのころその業種は業績が急激なV字回復を遂げ、猫の手も借りたいレベルの工場の1次下請けだった。碌な指導もされないまま、私は納期の管理と2次下請けに納期の催促をする仕事を投げられた。毎日死ぬほど下請けの会社のおっさんたちに怒鳴られ、お局に怒鳴られ、怒鳴られる以外は何をしていたのかちょっと思い出せない。本当に思い出せない。書類は作っていたかもしれない。
 仕事が終わらなくて残業しようとしたら死ぬほど怒られたのは覚えている。数日後にみんな内緒で家に仕事を持って帰っていると知った。
 タイムカードは始業の1時間前に切らなきゃいけなくて、一番の下っ端なので掃除を全部しなきゃいけない。お茶を出したりお菓子を用意したり、自腹切ったり、あれ?今思えばすごいやばい会社ではないだろうか。

 実際その期間ずっと逆流性食道炎に苦しんでいた。胃も死ぬほど荒れた。その後決定的な出来事が起きて心療内科に行き、診断書をもらってきて退職した。
 私の前に欠員が出たって、やっぱりそういうことだったんじゃないだろうか。

Ⅳ,職がないにもほどがある

 さすがに短期間で2回転職したというのは履歴書に書けないので、今度は空白期間10か月程度での就職活動に臨む羽目になってしまった。時間を空費した、というのはまさにこのことである。この頃には失業手当の給付も期間満了を迎えていた。精神的にも金銭的にも限界であった。
 いろいろあったが結局決まったのは最初のところとは別の農協の非正規職員であった。もう選択肢がなさ過ぎた。いまさら新しいことを覚えるのは精神状態的にも難しかったし、フルタイムで働いて食べていけるのなら、ノルマがない分非正規のほうが都合がよかった。
 実際配属された部署は居心地がよく、2年半は安心して仕事ができた。14時間労働が月8回はある、残業代は出ないとかいうブラックな側面はあったものの、仕事はぬるかった。暇すぎてしんどい時すらあった。


 だが流れが変わった。人事異動で有能な先輩と入れ替わりに使えないとボロクソにこき下ろされた新人(2年目)がやってきた。私の仕事は正職員である先輩の補佐だったが、先輩の仕事を引き継いで新人の指導をさせられる羽目になった。
 差別をするつもりはないが、新人はおそらく何らかの障害を持っていたように思われた。例えば「パスワードは8を8回打ってくれればいい、88888888って」と伝えたにもかかわらず、メモには「12345678」と記載されていた。その他も枚挙にいとまがないくらいそういうエピソードはある。
 この時期やたら残業がかさみ、私は再び逆流性食道炎になった。以前彼がいた部署の上司は年間で15キロ以上痩せてしまい、ガンを疑われたと聞いたが、やはりそういうことだったのだろう。

Ⅴ,知らない業種と知らない世界

 この時私は己の進退に悩んでいた。辞めるほどではない、だがしんどい。うんうんと唸る私の背を押したのが当時付き合っていた彼氏、今の旦那だ。

「結婚のこと考えるんなら、フルタイムで不規則な仕事だと進む話も進まないよ」

 それもそうだな、と思った。そんなわけで速やかに退職をキメて私はとりあえず結婚までのつなぎで勤められるパートを探した。
 パートはすぐ見つかった。正社員を求めなければ世界は職にあふれていた。長く勤められるか?という問いにはそのつもりですと答えた。こんなことを正直に答えてもどうしようもないし、実際に1年以上いたので長いほうだったと思う。
 私は結婚するまでという期間限定でガソリンスタンドの事務員になった。
 社員はみんなタバコを吸っていたし車が好きだった。でも下戸だらけだった。不思議なくらい明るくさっぱりした人しかおらず、俗にいう陽キャな、オタクにやさしいヤンキーばかりで居心地がよかった。
 仕事はめっちゃ大変だし、休みは週1日なのに、彼らは毎日元気だった。体力お化けじゃなければあれは務まらない。

 会社は当時在庫管理が紙ベースで、ビビった私はとりあえず己の持つ能力を駆使して、できる範囲でいろんなものを表計算ソフトで管理できるようにした。宣伝用のポスターも作った。店内の内装も好きにいじった。
 結果的に本社に褒められた。いくつかのシートは本社でも流用されたし、時給も上げてくれた。もしかしたら正社員にはブラックだったけど、パートにはいい会社だったのかもしれないな、と思う。

 当時の上司が私のことを放し飼いにしてくれていて、「好きにやればいい、できる人が伸び伸びやるのが一番結果が出る」と言ってくれたのを今でも感謝している。
 ちなみに私がいなくなった後、事務員経験者の味が忘れられなくなったらしく、本社は必死に事務経験のあるパートを募集しているらしい。がんばれ。

Ⅵ,まとめ

 正直パートのくだりは転職においては若干の蛇足だった気もするが、ここまで書いて要点をまとめる。

・家族経営はだめだ
・社長の嫁が口を出す会社はだめだ
・ハローワークはだめだ
・一番の敵は消耗する自分の精神だ
・正社員だけに狙いを絞るな
・パートで入って内情を知るのが案外いいかもしれん
・資格なんて何の役にも立たない

 以上。
 職歴汚していいこと本当にないので、焦らず計画的に進めないと地獄。
 金銭的な余裕がなくなるときの憔悴ぶりマジでえぐい。100万の貯金なんて何もしてなくても1年で消える。怖いぞ。
 あと転職すればするほど履歴書に書く内容増えるので純粋にしんどい。省力化という意味でもコンパクトな転職を目指そう。

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