わかりあえない傷の話

わたしが変わろうとする上で、1つ避けては通れない話がある。わたしは人生のいろいろなことがうまくいかないと思っている訳だけれど、その根底には『自己肯定感の低さ』というのがあると思う。

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ここから先はかなりネガティブな話で、取り留めもなければ答えも出ない駄文です。だから苦手な人はここまで。自分の心の整理のために書いています。ただ、自己肯定感が低く、わたしと同じように苦しむ人へ。少しでも同じように苦しむ人がいたんだと、心が軽くなると嬉しいです。

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自己肯定感が低くなった要因は大きく分けて2つあると思う。
① 中学校時代のいじめ
② 弟の存在

① 中学校時代のいじめ
いじめられている側に、要因はあるんだろうか。きっとあるんだろうな。
わたしは中学時代いじめにあっていた。結構重めの。

どれくらいかっていうと
・すれ違いざまに耳元で「ブス」「目ちっちゃ」「死ねばいいのに」等の暴言を吐かる。
・教室での無視は当たり前、いない存在として扱われる。
・菌扱い。
・部活の顧問をはじめ、複数の教員がわたしにだけあたりが強い。
(先輩から「先生、ゆうにだけあたり強いよね」と言われ「あぁ、やっ  
ぱり」と思う)
・テストの点が同一で、提出物等も自分の方がしっかりしているのに、その人より低い成績を付けられる。
・部活の準備は1人でする。
・あらぬ方向からボールが飛んでくる。
・見えない位置での暴力で全身痣だらけ。

思い出すだけで気持ちが落ち込む。
わたしは嫌われやすいし、きっとわたしに何か原因があるんだろう。
あの時わたしはどうしたらよかったかな。何度考えても答えは出ないな。

高校は同じ中学校の人が誰も受験しないような、通学に片道2.5時間かかるところを選んだけれど、また嫌われるのが怖くて話すときは常に緊張。結果、あまり周囲と話すことなく3年間を終えた。

今でもずっと周囲との距離の取り方が下手。嫌われやすいから話すのが怖いし、複数人で遊ぶのはすごく疲れる。わたしが自己中だから嫌われちゃうのかな。

②弟の存在

奇想天外な行動をするわたしの弟はとにかく周囲から可愛がられる。親戚、親、友達の親。
幼いころはかわいいで済まされていたそれは成長するにつれて『手がかかる』ことの裏返しでもあった。弟が手がかかることでわたしが我慢することは幼いころから多かったのだけれど、歳を重ねるにつれてどんどん拍車がかかった。部屋から出てこず、学校に通わない。大声でゲームをし、夜中は町を徘徊。万引き、不法侵入、器物損壊、喫煙。毎日家族が怒鳴りあう声と、物がどこかにぶつかる音が聞こえる。母はよく学校に呼び出されたし、警察やご迷惑をかけた方にいつも頭を下げていた。児童相談所に保護されたこともある。

ちょうどわたしがいじめられていた時、弟が一番手のかかる時期だった。障害があるのではないかと言われたりして、母は自分のせいなのだろうかと深く思い悩んでいた。だから母はわたしの話なんて聞いていなかったし覚えてもいなかった。進路の話、部活の話、何1つ覚えていなかった。

今なら親の大変さとか、よくわかる。だけど当時はそんな余裕なくて、
「わたしのこと、どうでもいいんだな」
そうとしかどうしても思えなかった。今でも弟の方が大切なんだろうな、とどこかで思ってしまう。

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『自己肯定感』と聞くと鼻で笑う人もいるくらい、ほとんどの人には理解されない。『うわ、メンヘラ、、、』、『大人になってからのメンタルくらい自分で何とかしろよ』って。確かにそう。どんな過去があったって、未来をどうするかは今の自分が選べる。過去に支配されつづけるのは無駄なことだって、そんなの言われなくてもわかってる。

だけどわたしは『その過去を乗り越えることがどれくらい大変でしんどいか』よく理解している。何度振り返っても「わたしが悪かったんだろうか」と思う気持ちは止まらない。何度『自分には価値がある』と言い聞かせたところで、全然そんなこと思えるようにはならない。

「いやいや、価値があるって思わなきゃ。生きているだけでみんな価値がある、わたしにも価値がある。価値がある。価値がある、、、、。ねぇ、それってほんとうに?」

『わたしだって愛されたかった。ただ愛されたかっただけなのに。』
苦しくて、苦しくて、何度も泣いた夜がある。

「価値があるって唱えるだけで何が変わるの?価値のある人間になる努力を、あなたは何かした?」

そんな声が聞こえるたびに
「そうだね、何もしてないね、ごめん 笑」と笑って答えながら

『、、、努力なんてとっくにしてるよ。自己肯定感なんて言葉に出会う必要がないくらい恵まれたあなたに、わたしの気持ちは理解できない。』
と心の中で唱えた。

『努力なんてとっくにしているよ』
以前の自分はそういったけど、『努力=我慢』と信じ、『自己肯定感』なんてダサい言い訳を盾にして、なんにも変わる努力なんて出来ていなかったね。同じところでつまづいている人はいるだろうか。

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わたしはこれで最後にしよう。もう生きづらい世界はおしまい。だって、ちゃんと『変わる』って決めたから。まずは努力の方向性をしっかり定めていかないとね。これはわたしへの戒めと浄化の文章です。とりとめもなくつらつらと書いたけれど、少しはすっきりできただろうか。

それから、もしこれを読んでくれた苦しい人がいたならば。
わたしよりも苦しい人が、世界にはたくさんいると思います。わたしはすべてを理解することはできないけれど、あなたに寄り添うことくらいできたらいいなと思います。いつでもご連絡ください。また、spoonという配信アプリで時々みんなの悩みを聞いています。『真夜中のお悩み相談室』という枠です(こちらもわからなければご連絡ください)。解決はできないかもしれないけれど少しの気晴らしになれたらうれしいです。

こんな取り留めもない文章を最後まで読んでくれてありがとう。


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