お屋敷に火をつけてしまいました

・すみっこぐらしというサンリオキャラクターの中に「とかげ」という子がいる。青色で目がとろんとしている子だ。
その「とかげ」は、実はとかげではなく恐竜の生き残りなのだが、その事がバレると、仲良くしてくれてる皆もその事実を黙認していた罪で捕まってしまうのではないかと怯え、自分はとかげであると嘘を吐いている何とも愛らしいキャラクターだ。
私はキャラクターのぬいぐるみを集めて愛でるのが好きなのだが、そのキャラクター1人1人の背景を深く調べることをしてこなかった。
しかし、「ちいかわ」や「おぱんちゅうさぎ」など、そのキャラクターの背景となる漫画を読むとより愛着が湧くように、どのキャラクターもその子の出自を知るとより愛おしく思えてくるのだった。
とかげの背景は特に、知ると知らないとじゃ「とかげ」への向き合い方が変わってくるなあと。仲間を大事にして偉いね、私も君を大事にするからね。

うちのとかげ 恐竜の着ぐるみを着ている

・芸人をやっている友達のライブを見に行った。その人は、私が普段見に行っているような芸人達の中で頑張っていて、尊敬と憧れと焦燥のような気持ちが湧いた。
その人は、いつもネタ帳を持ち歩いていて、一緒に遊んでいる時も何かあると「それ面白い!次のネタに使えるかも!」とそのネタ帳に殴り書きでメモをしていた。そのメモがネタに使われているのを見ると「なるほど」と思う。バンドマンの彼女が自分のことを歌詞にされている事に気づいた瞬間に似ているかもしれない。

・彼氏がいると分かった途端「チッ彼氏持ちかよ」と露骨に不貞腐れて去っていく人は、目的が明け透けすぎて気持ち悪いなと思ってたけど、彼氏がいるなら近づかないと言う選択ができるのはむしろ紳士的かも、と思うようになった。

・サブスクのアプリで映画をまともに見る事ができない。
映画を再生して1秒後には、小窓にして他のアプリをいじりながらバックグラウンド再生で見てしまう。そして段々と映画より他のアプリの方に夢中になって、映画の内容が入ってこなくなるから小窓自体をバツで消してしまう。
何でも見れるし便利なのが映画のサブスクの良いところだが、便利すぎていつでも見れるから今見る時間を大事にしようと思わなくなってしまったかもしれない。

・映画と言えば、映画館でポップコーンを食べる文化がずっと理解できない。
シンプルにうるさいと思う。何で映画のお供がポップコーンなんだ。ホームシアターで見る分には確かに片手でポイポイ食べられるし良いと思うけど、映画館は公共の場で、しかも殆どの人は映画ならではの音響を楽しみに来ているだろう。そんな中で不意に鳴るポップコーンの咀嚼音にどれだけ集中を削がれたか分からない。しかもポップコーンを食べるような人はそういう音の機微を誰も気にしないから(言い過ぎ)息を呑むような静寂のシーンでも平気でボリボリとポップコーンを貪る。そんな事にいちいち腹を立てていたらキリがないだろうが、またか….と悔しい気持ちになるし、何のために映画館に来たのか分からなくなる。映画館としても飲食物の販売で利益を得なければいけないことは分かるが、せめて音の出ない物を売り出してくれないだろうか。
ポップコーンを食べる人も、本当に今から映画を見るという時にポップコーンを食べなきゃいけないのか一旦考えてみてはくれないだろうか。

・M-1グランプリ2023が終わった。芸人と、お笑いファンにとっての一大イベントだ。1年間の集大成であるとも言える。普段はお笑いを劇場に見に行っているから、テレビにはまだ出ていないような芸人を見る機会が多いが、そういう芸人の面白さを知ってる私達、という内輪感で盛り上がっていたものが、いつの間にかユーチューブにネタが上がって、地上波で放送されて、どんどん世間に見つかっていくさまが何だか妙に思えた。
それと同時にテレビが恐ろしく思えた。テレビに出て、知名度が上がって売れる事が成功と言われることに何だかモヤモヤした。テレビ用、M-1用にその媒体にウケるように方針を変えて迎合していく芸人を見るのが何だか悲しくなる。劇場だから見れるお笑い、ラジオだから言える内輪ネタ、そういうのを好んでしまうのはかなりイタいと思うけど、そういった小さな輪の中にいるときの安心感が、無くなってしまうことが悲しかった。自分の好きな芸人が売れる事を嘆くのはおかしい話ではあるが、テレビに出る事だけが成功という風習が変わらないかなと少し思ってしまった。

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