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内側は、にぎやかだ

井上雄彦の漫画『バガボンド』の中に、主人公の宮本武蔵が心の中でこんな風に呟くシーンがある。

「内側は、にぎやかだ」

『バガボンド』では佐々木小次郎が聾唖の剣士として描かれているのだが、武蔵は小次郎の生きている世界を感じようとして、あえて耳を塞いで一人稽古をした。
そしてその時に、身体の内側が多くの「音」に満たされていることを彼は発見したのだ。

瞑想の実践を続けていると、「内側のにぎやかさ」に気づくようになっていく。
なぜなら、たとえ身動きせずに坐っていたとしても、呼吸はずっと続いているし、心臓も鼓動しているからだ。

内側に耳を傾けてみれば、ありとあらゆる肉と骨とが、呼吸に合わせてかすかに動いている「音」が聞こえてくる。
また、心臓の鼓動に合わせて、全身の血管が脈打っているのも感じられるだろう。

ある心臓外科医の話によれば、心臓は踊っているのだそうだ。
決して一律に拍動しているわけではなく、一回ごとに跳ねる方向が違うのだと言う。
私たち自身の心臓は常に即興的なのだ。

その即興的な「命のダンス」を感じることが瞑想だ。
頭の中に閉じこもっていると、その「音」は決して聞こえてこない。
頭から身体へと降りていくことで、初めて「内側のにぎやかさ」はわかる。

命は決して止まることなく流れていく。
その流れに耳を澄まし、思考を忘れる時、瞑想はある。

反対に、命を忘れて思考に囚われている人はとても多い。
自分の命を感じないまま、名誉や権勢を求めては、たくさんの人があくせくしている。

だが、私たちの命は別にそんなものは求めていない。
命は、ただ生きることに全身全霊なだけだ。

命が奏でる「音楽」に身を浸す時間が、私たちには必要だ。
頭で計算してばかりいると、「内側の音楽」を聞き逃してしまう。

内側へと耳を傾け、「生きている」という事実を感じてみる。
その「当たり前の事実」の中で、瞬間ごとに「奇跡」が呼吸しているのだ。