我慢したら負け
うちの母親は支配的で、躾に効くのは痛みだと思ってるタイプの人間だった。(リヴァイかよ)
だから私は叩かれるのが嫌で、反抗期まではいい子を演じていたし、反抗期もちょっと髪染めたりタバコ吸ったりするくらいで、母親に口ごたえをしたことはなかった。
そうやって自分の本音を抑え込んできたからか、我慢する癖がしみつき、大人になってからもその癖はなかなかなおらなかった。
恐らく、我慢する方が楽だったんだろう。
だが、ちょうど30歳を迎える頃くらいにふと、「我慢の先にあるのって、我慢よな」と、我慢の無意味さに気づいたのだ。
それ以来は我慢癖を意識しながら、本音で行動するようになった。
しかしそれでも甘かったようだ。
人間の「我慢をやめる」など所詮は我慢癖がマシになった程度で、猫からすれば「え?それで我慢やめってるって?なわけw」である。
なぜそんなふうに思うのかと言うと、うちの猫様は一切我慢しない達人(猫)だからだ。
子猫のうちはすんなり動物病院に連れて行けてたのだが、生後3ヶ月(推定)辺りから嫌がるようになった。
その嫌がり方が、尋常じゃない。
暴れに暴れて、私と獣医さんを殺す勢いで引っ掻き噛み付き、こちとら腕から流血である。
全然我慢しない、してくれない。
まぁこの場合、猫からすればいきなりバッグに収納されて知らん建物に連れて行かれ、知らん大きな生き物に拘束されるわけだから、そりゃ納得もいかないだろう。
ただ、もし猫が我慢(というかおとなしく)してくれたら、今後も「この子は病院大丈夫だから」と、猫にとって嫌なことは続いていたのだ。
もちろんこれだけではない。
結果的に何をされてるかわかったことで、尚且つなんの痛みもないこと(爪切りや歯磨き、ブラッシングなど)でも「不快」、「なんか嫌」という理由で猫は我慢しない。
気に入らないことには抗い続けるのが猫だ。
そしてそんな猫に対し、我々飼い主はあらゆる工夫を施し、我慢させてしまったあとに許しを乞うかのようにちゅーるを差し出す・・・。
だから猫は飼われている状況ではあっても、飼い慣らされることはないのだろう。
そう考えると、改めて、私の「我慢しない」などショボイなと思った次第である。
現実が答えだ。
私にはまだ、我慢しなきゃいけない現実がある。
回避出来るはずの「嫌なこと」が起きているのだから。
つまり、我慢したら負けだ。
我慢したらまた、我慢しなきゃいけない状況がやってくる。そして自分の世界は我慢が当たり前になる。
我慢が報われることは無い。
なぜなら、我慢するからだ。
嫌なことに対しては全力で、「NO!!!」と暴れなきゃ環境は変わらないし、誰にも伝わらない。
我慢したら負けだ。
我慢したら、自分の望む現実を勝ち取れない。
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