自分が思っているほど、自分は特別じゃない

自分の人生において「迷う期間」というものが存在する。
それは苦しくて、出口の見えない迷路で、結局は自分の意志で解決をしなければならない。

・・・とまあ、人間、人生のどこかでつまづく。
「いいな」と思う。迷う期間があるってことは、少なからず解決できる見込みがあるからだ。本当に解決できない時は、迷うことすらしなくなる。

生きていて、自分をどうにかしたいとか、誰かを守ってやりたいとか。いろんなことを考える。
それは人のため?自分のため?
答えは「自分のため」だ。
自分なんていつも自分のことしか考えていない。人に良く思われたい。嫌われたくない。優しい人でありたい。好きになってもらいたい。そのくせ卑屈で、相手から嫌われたと勝手に思い込んで、その人のことで頭がいっぱいになって勝手に落ち込んで、周りも巻き込んで迷惑をかけてしまう。傲慢にもほどがある。結局、自分の人生に他人を巻き込みたくないと言い出して、誰も寄せ付けず、好きにもならず、自分だけが大事で大事で仕方がなくなる。

「実につまらない人生」である。
幸せってなんだ?と考えても、人を寄せ付けないから人の温かみも知らないし、温かい言葉や褒められたことなんて一度もない。だから、迷惑をかけないように、かけないようにと生きてきた。そしたら「優しいんですね」とたくさんの人に言われるようになった。それがお世辞だとわかっているけど、「お前は俺のことを何も知らないんだな」と、また勝手なことを思い、相手の善意を受け取ろうとしない。本当に信用して言った言葉かもしれないけど、相手の本心なんてわからないから、また卑屈になって、自分が悪いとか言い出す。

「自分の言葉は人をマイナスにさせてしまう」と勝手に思っている。でも実際はそうだと思う。ここまでの文章で少なからずマイナスにしているのではないだろうか。
自分みたいなやつといて楽しいことなんてない。そもそも楽しい気持ちにさせたり、笑顔にする方法を知らない。それは相手の気持ちを汲み取る能力が絶望的にないからだ。相手の気持ちをわかってあげられるやつなら、今どんな行動をすれば喜んでもらえるか、どんな言葉をかければ元気にしてあげられるのかを知っている。
「なら、それができる人になればいい」
いやいや、人間そう簡単に根っこを変えるなんて難しいことだ。自分のことしか考えられない人が、誰かの役に立つ、頼れる人になるということは相当な苦労が必要となるのだ。

これからも僕は人の役に立てるほどお人好しでもないし、人の善意や助けを素直に受け取れないし、卑屈になって自分なんていなくてもいいんだと悩み続けるのだろう。
これが自分に課せられた「迷路」。
たぶんきっとこの迷路から抜け出せる日はやってくるだろう。
というか抜け出せないと、自分が自分でいられる環境をどんどん失うこととなるだろう。その時はもう迷路から抜け出すことも諦め、考えることをやめてしまうから、そんな人にならないように。

もう少しだけ、人間関係を見直していきたいと思う。

まずは卑屈になるところから直していこう。「自分なんて」って考える時間は、人生において無駄な時間だ。


文責  一期・ねこなべ

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