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地獄の門 制作記録①

ただ、これが好きだ

これの持つ力はまだまだある

それに気づいてしまったのだから、
その大きさを考えるよりも先に手をあげてしまったのだから、
きっと人生に最初から予定されていた事だったと思う

自分にとって命とは一つの彫刻みたいなもので、死を迎えるまでひたすら岩を叩き削り続ける
その過程で色々な姿に形を変えていく事ができる

無邪気な虫だったり、妬んでばかりいる餓鬼だったり、性に狂った獣だったり、どれも醜いものばかりだった

それもそのはず、ノミと槌をふるうだけで岩を思い通りにしてやろうと思っていたからだった
思い上がりも甚だしい
岩にはあらかじめ決められた形が用意されている
自分はその命令に従って命を削っていくだけ

その命令は心が震えた瞬間にしか訪れない
その命令は人それぞれ異なる
自分には死神か悪魔っぽい何かが寄り添っていて「これ」と命令してくる

「これ」が今回の記録に繋がってくる

ここまで目を通してお分かりの通り自分には教養がないので、ダンテの神曲は小難しいオッサンの黒歴史ノートくらいにしか捉えていなかったし、ロダンに関しても海外の人でもトイレでは苦悩するんだという感想しか無かった

地獄の門に関しても、こんな愉快そうな装飾の門が地獄行き??
自分なら“立ち入り禁止”って立て札用意するけどな?
そんな感覚を上野で持っていた

この時点で既に岩の形は見えていたのだろうと今更思う

人生は全て今更だけど

3年くらい前に生きる意味を失った

いや、正確には自ら進んで生きる無意味さに気付かされたというべきか

繰り返しになってしまうが、自分にとっての生は死神か悪魔の命令通りにするしか出来ないし、それが出来た時の美しさという一瞬のご褒美は甘い毒だ

命令は3つの人格の声でやってきた

甘沼みるくという、何度も口を閉じたり開いたりしなくては発音出来ない名を持っている人物の声
よく晴れた日に遠くに見える天災の様なその声を利用して、心を動かしてきた

「これ」と一言

これが何なのか?どうしたいのか?毎回言わないのが気に入らないが、ご褒美しか人生の楽しみがない自分には逆らう理由がなかった

賽の河原の石積みも人生の岩削りも似た様なもの

紆余曲折あって

今、自分の岩の形はこうならざるを得なかった

紆余曲折とか技術に関してはただの努力で面白くもなんともないと思いますが、次回くらいに書きます

なお『地獄の門』に関してきちんとした知識を得たい方は、甘沼みるくさんのnoteを是非読んでください


ちなみに今も新しい命令がありますが、それはまた別の形で


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