2010年代のオタク文化って何だったんだろうな

『ニコニコ動画』がサイバー攻撃されて、急遽仮サイトを作って昔の動画を流してる。それを見てるとやっぱインターネットもオタク文化もだいぶ変わったな〜って、もう何度目かわからないけど改めて実感する。

そこでいつもの「ねちねち年寄り臭く昔のオタク文化を振り返りたい」という発作が起きてしまったんだけど、今回は2010年代に絞って個人的な目線を交えて思い返してみようかなって。2010年代ってさ、「平成文化」として一括りにされるけど、結構平成の中で浮いてる時期というか、空気がだいぶ違うよなって感じるから「平成」として語られてるといっつも何か違和感があるんだよね。いやもちろん「平成」ではあるし「令和」とも結構違うんだけど。




2010−2013

2010年代の序盤は普通に楽しんでたなーと思う。当時はまだ若者で、ニートフリーターだから時間も体力もあって、そのうえ深夜アニメブームで名作がひっきりなしに生まれてくる時期だったから、そりゃ依存もするよねって。ていうか、素直に「楽しんでた」って言葉が出てくるのすごい。最近「楽しい」なんて感情ほぼ忘れてるもん。

『けいおん!』の映画に13回くらい通った記憶あるし、毎週変わる入場者特典商法に踊らされまくってた。「限定」って言葉に弱い日本人の典型すぎたな。

毎週のように大阪日本橋のオタロードに通って、ポストカードやブロマイドなんかの店舗特典欲しさにアニメショップはしごして、クソ重い漫画雑誌買って帰ってくる。今じゃ考えられないくらい熱意があった。

「声優になりたい」と思って『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』のセリフと音痴な歌をカラオケで録音して声優事務所のオーディションに送ったりもしてました。恥知らずだよなー、当時はダメ人間がラノベ作家や声優を目指すのはあるあるだったんだけどね。

アフィカスまとめブログも夢中になって見てたと思う、今考えれば汚点だけど。
管理人が女性であることを謳って美少女フィギュア化してるとこもあったよね、部屋紹介したり。今考えるとVtuberみたいなことしてんな。

スマホ持ち始めたのもこの辺りかな。自分は結構遅れてたから、携帯キャリアから「もうそのガラケー通信は終了するのでスマホに変えてくださいね」って感じのお達しが来て変えたんだと思う。いよいよスマホが半強制になってガラケーが廃れていく感じの時期にやっとスマホに変えた感じ。

『Twitter』はどうだったっけ?『魔法少女まどか☆マギカ』放送当時のブームの最中、蒼樹うめ先生が出した同人誌のとらのあな委託販売列に朝から並んでた時に、後ろにいたオタクが「今Twitterで確認した感じだと〜」とかドヤ顔で話しかけてきたのがTwitterを強く認識した初期の記憶かな。
最初の方ってなんか動画どころか画像もまともに貼れなかったり、ふぁぼ(いいねの前身)やリツイートも別ページ開かないと数が確認出来なかったような覚えがある、クライアントの使い分けみたいなのがあって。
始めたては楽しかったな。けど自分が始めた頃はすでに古参が「最近のTwitterは面白くない」って言い始めてた時期だと思うから、おそらく当時の自分は「文化を壊すつまらない新規ユーザー」のポジションだったんだろうけど。

『AKB48』グループが時代を席巻してたのってこの辺りなのかな、当時は割と嫌いだった。今思えばもう少し乗っても良かったかも知れないけど。
いや、最初は好きだったのかな?けど「オタクってAKB48好きなんでしょ?」みたいなイメージが生まれて、その頃はまだアニオタ界隈では「三次元(現実)の女に興味無い方がクール」みたいな価値観があって、アキバ文化といえばAKB48みたいな偏見が生まれたのがウザったかった。しかもそう思ってるのにドキュメンタリー番組かなんかでAKB48が「アキバのイメージ付けられて売れるまで苦労して辛かった」みたいな話ししてて(はぁ〜??そっちが利用してんだろお〜??)って腹立ってきて嫌いになったんだと思う、たしか。

今思えば運営と演者の方向性のズレみたいな話だと思うし、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど、こういうのって今でもVtuber界隈であるよなーって思う。
Vtuberだと「リアルとバーチャル」当時だと「一般文化とアキバ文化」みたいな対比構造があって、そこの垣根が薄くなってくると吸収合併が始まって「偏ったイメージ付けられて色眼鏡で見られて辛かった」みたいな話になってくる流れが確実にあって、ここに筋通ってないって反感覚えて批判するか、発展を感じて称賛するかってもう性分なんだろうなって。

アニメ方面でも『アイドルマスターシンデレラガールズ』や『ラブライブ!』なんかのアイドル作品ブームが生まれてくるし、その後の「推し活」ブームに繋がる布石が打たれてた時代なんだろうな。どのコンテンツも多人数取り揃えて、生誕祭とかイベント事を盛り上げようみたいな。
キスマイの宮田俊哉さんが有名になり始めるのも『ラブライバー』として認知されたのが最初だった気がする、当時はまだオタクタレントも把握出来る範囲に収まってた気がするなー。




2014−2016

中盤あたり、2014とか2015とか2016とかどんなだっけ?あんまり覚えてないというか、嫌な思い出しかないような……

自分も若者扱いされない年齢になってきて、オタク文化もTwitterのネガティブさが天元突破して学級会やら政治闘争やらに巻き込まれて憂鬱だった気がする。
アニメ業界ブラックすぎ問題もあったし。

(『SHIROBAKO』が2014年?今から10年前?嘘だろ?)

『SHIROBAKO』といえば、1話の導入でラジオから「前期のアニメがまだHDDに残っててパンパンで〜」みたいなトークがラジオから流れるシーンがあったよね、言い回しとかうろ覚えなんですけど。当時の僕もずっと「録画消化」に追われていて、頭の中は常に「HDD」の文字があって結構苦しかった。サブスク時代になるといつでもいいやって感じでプレッシャーが薄くなって逆に見なくなるし、視聴習慣って難しいもんだなと思う。それこそアニメ業界の人間でもないのにアニメの未来とか勝手に考えてたよなー、当時の想像と令和の現実は全然違う方向に行ってるけどね。

『艦これ』が多分この辺りのブームなのかな。いつだったか「今期ほとんどのアニメ見れてるじゃん!」って時があって、いわゆる「強いオタク」になったみたいに勘違いしかけたクールがあったんだけど、Twitterはだーれもアニメの話してなくて『艦これ』のゲーム一色でがっかりした時期があったの覚えてる。2010年代前半あたりってオタクの主流が「アニメ<ソシャゲ(ブラウザゲー)」になってた時期の感じある。パソコン持ってない、無職だから課金する金無い、そもそも面白さがよくわからないって感じで全然流行りについていけずに疎外感味わってた。

他にオタク界隈のコンテンツって何が流行ってたんだろう?『月曜日のたわわ』とか?なんかTwitter漫画ってジャンルが生まれて同人の地位が上がってったイメージかな、イラストっぽい漫画というか、そういうスマホ特化型コンテンツの時代というか。
(でも『艦これ』はパソコン主導のコンテンツだったよな確か、ややこしい時代だ……)

『絵師』ってジャンルも定着したよね。
『神絵師』って呼び方も、そう呼ばれ出したのいつかははっきりしないけど、最初は一悶着あった記憶がある「その呼び方は失礼、『イラストレーター』と呼べ!」みたいな。でも結局定着しちゃった。今思うとこの頃悩んだ炎上沙汰って相手にしなければよかった様なことが多いというか、掌くるくるの連続で、悩むこと自体が無駄な時代がその後やって来ることを考えるとほんと無駄な時間だったな……

あー、調べたら『ガーリッシュナンバー』が2016年になるのか、あのアニメは当時のオタク文化の微妙さを生々しく描いてて印象深いな、たしかヒロインが承認欲求強めでそんなにアニメ愛も深くないのに声優になってちやほやされたい感じで。特に印象深いのがモブオタクが「そのアニメ知らないけどまとめで見たわー」的な発言するシーン。情熱もなくいい加減、オタクがアニメを見ることなくアニメを語る時代になってたのが当時のリアル感あった。

自分はいよいよ「声優になる」ってのが夢じゃなく口だけになってきて、アニメ見るのも「声優になる勉強のため」みたいな言い訳とか義務感になってきてた。ただ時代的にも声優にオタク属性が求められてたと思うんだけどね、「信頼できるオタク」ってワードがいつから出てきたか覚えてないけどそういう感じの。今でもVtuberが「信頼できるオタクだ」とかちやほやされてると嫉妬して劣等感覚えるんだけど、そういう価値観に縛られて苦しくなってた。若い頃はそういう他人からの圧力もオタク文化への帰属意識になってアニメ見るモチベーションだったから「痛気持ちいい」的な楽しさはあったんだけど。
「◯◯は義務教育だから絶対見ろ!」みたいなね。オタクの型にハマりたかったけど自分は歪でハマれなかった。「ハレ晴レダンスうろ覚えだし、プリキュアの口上全部言えない…」とかそういうのばっか気にして。令和になると旧来の「オタク」って型そのものが社会から溶けて無くなってくんだけど。

この時期は2000年代のオタク達が老害化してきたのと若い世代のオタク趣味が一般化してきたことからか「ガチオタ」属性アピールも殺伐としてた気がする。変化に対する不安というか。ある種の同調圧力に洗脳されてましたね自分も。
声優といえば『声優グランプリ』とかが性的に攻めてる感じで話題になってたと思うけど、週刊誌や写真集で脱ぎまくってるのが当たり前な今と比べるとまだまだ大人しかったというか、清純ぶって出し惜しみしてたと思う。「百合営業」って言葉も流行ってたよね、今もまだやってる人いるのかな。

2017−2019

終盤の2017年〜からがおそらく『けものフレンズ』とか『Vtuber』黎明期のブームがあって、一瞬だけ古き良きインターネットのノリが帰ってきてポジティブな気分になってたな、まあすぐに地獄へと豹変してインターネットの闇に吸収されていくんだけど。

あとなんだろうね?『漫画村』とか?見ないようにはしてたけど、あれ関連の話も当時の自分的には不満溜まってたな。自分は割と権利関係気にする方で、ニコニコの『淫夢』すら元をちゃんと見れていなくて、オタク界隈の文化について行けてなかった疎外感があるから、オタクが著作権にうるさいのめちゃくちゃ違和感もあったし。とはいえMADとか吹き替え動画みたいなものは我慢しきれずに見てきたから自分も矛盾してるんだけど。あと子供の頃に漫画雑誌広告で見た「中古で買うのをやめよう!」って出版社のキャンペーンが強く印象に残ってて、脅されて真に受けたのに自分が大人になる頃には中古業者と結託してて「えぇ……」ってなった。そのうえ「中古と漫画村を同列に語る奴は黙れ」みたいなことをおそらく年齢下だと思われるオタクが言ってて(お前が黙れ……)って内心キレてたし(笑)。漫画村が潰れてからは良くも悪くも漫画アプリで無料読みが当たり前の時代が来るのも色々複雑なんだけど、その辺はもう令和の文化に入るのかな。

まとめ

湿っぽくなっちゃった(苦笑)。まあ序盤までだな、個人的に楽しかったのは。その後は鬱だし。けどアニメとか作品単体で見ていくと面白かったのはそれなりにたくさんあるんだよなー、というか後から見返して気付いたりするから、やっぱ当時のSNSの空気が嫌だったって話に着地しますね。

振り返って何が大事か考えるとフットワークの軽さなのかなって。時代が常に変化して「流行りに乗るのか乗らないのか、どっちなんだい!」と迫ってくるわけだから、答えを用意出来なきゃいけない。自分の場合はニートだったから、地に足がついてないから意外と不自由で、流行りに乗ろうとしても乗れないし、何となく昔のやり方を続けるものの自分の「好き」を信じて貫き切る事も出来ず、オタク趣味自体が苦しくて続かなくなってしまった。

2010年代のオタク文化はスマホ社会の到来でオタクが自然淘汰された時代だったのかも知れません。皆が身の振り方を迫られた。そこで新しいブームに食らいついて行くなり、徹頭徹尾自分のルーティンを守って人目を気にせず楽しむなり、自分なりのやり方を見つけて今もオタク趣味を楽しんでいる人は人生楽しむのも上手いんだろうなって感じがする。

よく考えたら前も似たようなこと書いてました、合わせてお読みいただけると幸いです。


というわけで個人的な目線すぎて恐縮ですが、2010年代のオタク文化・インターネット文化について振り返ってみました。書いてみて、自分の視野の狭さが自覚できました。他の人はどう過ごしてたんだろうな、楽しかったのかな?

それではまた。

おまけ

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