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【小説】俺は信号無視をした

横を通りすぎる歩行者が青信号を見つめながら立ちすくむ俺を怪訝な顔で一瞥していった。
俺はこの青信号を渡るわけにはいかない。
俺はこれから信号無視をしなければいけないのだ。
なぜ信号無視をしなければいけないのかというと、世間では今、歩行者の信号無視が大変な問題となっているからだ。
信号無視は様々な問題がある行為だ。信号を守らないことによって、信号無視した本人の身に危険が及ぶだけでなく、びっくりした車やバイクのドライバーが運転をミスして大惨事になる危険性もある。歩行者を轢いたことでドライバーの社会的生命が終わる危険性もある。そもそも立派な違法行為だ。それなのに歩行者の信号無視は無くならない。人々は声を上げ始めた。
「信号無視する歩行者を許すな、その場で捕まえて殺せ」
「信号無視を許しているから子供が悪影響を受けて非行に走るんだ、もっと厳しく取り締まれ」
「信号無視するバカは人間じゃない、生まれるべきではない」
朝から晩までテレビやネットは信号無視に関する議論で大騒ぎだ。今日も一人、タレントが酒の勢いで過去の信号無視を笑いながら生放送で自白した件で泣きながら謝罪していた。泣いたから許されるようなものではない、信号無視は大罪なのだ。

俺はルールを守るところだけが取り柄の人間だ。他人から褒められるのはルールを守った時とルールを破った奴を告発した時だけだった。それ以外で家族や他人から褒められたことはない。
そんな俺があるまじき大罪を犯したことがある。
俺は信号無視をした。
高校一年の頃だ、下校中友人とのお喋りに夢中になった俺は信号が赤であることに気づかず歩き出した。
耳をつんざくようなクラクションの音。「死にてぇのか!!」と叫ぶドライバーの怒号。今も毎日のように脳内で再生される忌まわしい記憶。
大事に至らなかったものの、大事に至る危険性があったのである。未成年の頃だからといって許されることじゃない。あの日俺は信号無視をした。それなのにそのことを隠し、今日まで生き延びてしまった。こんなことは早く終わらせなければならない。
信号無視は消えない罪だ。償うことは出来ない。だから死ぬしかないのだ。社会的に死ぬべきなら、物理的にも死ぬべきだ。
俺は信号無視をする。信号無視をして、車に轢かれて死ぬのだ。どーせ一度許されない過ちを犯しているのだ、一回も二回も変わらない。それにどーせ死ぬのだから。

信号はまだ青だった。渡るわけにはいかない、俺の人生にはもう進むべき青信号は点らないのだ。

信号が赤に変わった。血の色と同じ赤。目の前に俺をこの窮屈な現実という牢屋から連れ出してくれるであろう車がビュンビュンと走り抜けていく。
「赤信号、一人で渡るが怖くない。」
目の前に点る赤信号を見据え、駆け出した俺の身体に横から走って来た大型トラックが衝突し、俺の身体は宙に撥ね飛ばされ、地面に叩きつけられた。

俺は信号無視をした。
ルールを守ることにしがみつき続けた俺の人生は、誰からも注目されないモブだった。
人生が終わったこの瞬間に初めて、俺は衆目を集めるモブとなった。

─完─

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