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生きるために大切な…

人間は生きるために食べます


”食べると出します”
「おしっこ」 「うんこ」
そう排泄物は生きる糧の残り物。残滓・残骸。
「臭い」「色」「形」 
観察するのがいつの間にか自然になり、それは介護の仕事をしていると気を付けなくてもやっている自分がいます。
排泄については、世間一般の方とはちょっとずれた感覚になっています。
(もはや修正出来ないスキルとなって…😅)

初めて人様の排泄物に触れたのは
介護の専門学生時代。初めての施設実習先でそれを目の当たりにする。
排泄行為は生きる行為そのものであり自然な営みですが、他人のそれは衝撃そのものです。やがて恥じらいや非日常感の感覚が回数をこなしていく中で麻痺していく。
人様の排泄行為に慣れている自分がそこにいました。

「臭い」におののき
「色」にびっくり
「形」に人間はみな同じだと感心したもの

この仕事をしていなければ有り得ない訳で、他者の排泄行為や排泄物に出くわすのは、看護、療育、保育など限られた世界で働いていないとお目には掛かれない。
誰しもが毎日行う生理現象。そしてあくまでも個人的であり、かつセンシティブなもの。仕事と言え因果なものですな。



人はどんな環境でも生きて行けると思う

かつて太平洋戦争で過酷な戦場を生き延びた人
事件や交通事故で家族を失った人
災害被災など辛い体験をした人…

世の中は想像だにしていない事象もまた多く発生していて
直接体験した訳でもない話なのに、見聞きしたものから想像力で追体験する。この才能によって人類はもっと起こりえる野蛮な事件事故を回避していると考える。


今の日本は平和だろうか?

毎日弾丸が飛び交うような戦争状態では無い
明日突然食べれなくなる
目覚めたら体が動かない
記憶が消えていく…など

上記の様な環境や心身面において、強烈なインパクトが引き寄せられ、巡り合わない限り、生死を伴う状況にはならないだろう。個々人において幸不幸は置かれている状況や捉え方次第で変わる。

平和の定義はこれまた人それぞれだろうが、今回は小難しい話はしない。
今の日本は私見であるが平和だと捉える。ただ、この状況がいつまで続くか分からない。それは明日突然すべてを終わらせる状況に陥るかもしれないし、自分が老衰で死ぬ時まで平和に続くかもしれない。
まことに神のみぞ知るのです。



便秘は体からのSOS
排便は1日や2日無くとも大丈夫。
けれど、3日4日以上続くと体調変化が起こり始める。

食欲が無くなり、落ち着きが薄れイライラ感が募り、そして常に不快な気分になる。
更に便秘が続けば腸捻転など糞詰まりを起こし一大事になる。

高齢者はもちろん若い人でも便秘になるのです😰


[便秘解消のメソッド]
適切な睡眠
適度の運動
食物の気遣い
水分摂取量一日1.5L前後
などこの他にも様々ある

便秘の原因は様々であるが、心的ストレスや別の病のために内服している薬の副反応も考えられるため、慢性的な便秘になっているのなら、受診をおすすめします。
快便を目指したい
そう下剤を持ち要らずに…。

下剤は習慣性(依存性)があり耐性が付き、人体はいい意味でも悪い意味でも進化するのです。施設で使用している薬に「ラキソベロン内用液」と言うものがあります。

TEIJIN Medical Webより

見たことある人いるでしょう。大人で一日15滴までと推奨されている甘い薬で、医師の処方が無いと手に入りません。通常個人の排便リズムに合わせて便秘1日目より3滴程度から始めます。(医師の指示によります)

便秘日数が増えて行くとこの薬推奨内服量15滴を越えて、人によっては
20滴、30滴と増えて行く様は恐怖でしかないのです。
(繰り返しますが医師の指示に行っています)

けれど出ない人は出ないのです!うんこが!!
そして、あるリミットが外れた瞬間惨劇が始まります。
それが私が排便の様子をブログなどで常日頃表現している
「祭り」と称している状態になります。
出始めたらもう止まりません。
溜め込んだ日数や食べてきた食事内容に準じて排出されます。
そして、胃腸内のものが出尽くして最後は水の様なものになるまで祭りは
続きます。

トイレで排泄が出来れば良いのですが、祭りは時・場所は選びません
止まるまでジャンジャンバリバリです。
やがて、祭りが終わり当人はげっそりし、介助者もげっそりします。
多くの副産物と残り香を残して…。



人とは何か?

生活環境は選べるが、一度慣れた生活習慣や環境を正したり変えるのは難しい。

うまく適応、管理出来る人
そうでない人
手伝いなど支援を受ける人など
これまた人の数だけいる訳だ…

福祉の道に進んで、改めて
「人とは何か?」を考えます。

生まれてからの
環境、生活、習慣、学びなど千差万別。

成長過程で自分の体のスペックはどうだろか?
身長の高低
頭の良し悪し
身体の丈夫、病弱
足が早い遅いなど
ここには他者との比較によって、一喜一憂する。


「自分は自分」

このシンプルで聴き慣れた言葉は、昨今言われている
「自分軸で生きる」と置き換えられます。
何とすばらしい言葉の響き。ただこの境地に達するまでに日本ではどれだけの時間を有するのでしょうか?
そして現代のこの国において、このシンプルな考えに辿り着ける人はどれだけいるのでしょうか?

意識高い系の人
信念を最後まで貫き通せる人
自分は自分と思える人

シンプルにその考えを体現するためには、多くの行動が必要です。


「行動」とは、自分が決めた思いに対しておもむくままに、結果は伴うが、本人にとって実際に取り組んでいる活動です。
全ての行動には始まりがあり、その過程の中ではトライ&エラーが数多く
繰り返されて、現時点での途中結果として現れる。
すると大きく二つの次のような感情が湧いて出る。

①上手く進んでいる!この調子で続ける
②上手く進んでいない…どうしたらいい?
⇒見直しが必要
⇒ひょっとしたら出来ない?
⇒落ち込み⇒不安⇒出来ないことを他人のせいにしたり、嫉妬する
⇒止めてしまう

人はネガティブに思考が働きやすく、負の感情、言い訳は次からへと頭を巡り、やらない(諦めてしまう)行動へシフトしやすい。
ただ、ここが分かれ道。続けるか否か。シンプルであるが悩みが多いのも事実です。



「人生一度きり」

行動が取れるか、行動が取れない根源には「何かに恐れている」ことが考えられる。

それはこれまでの経験より
かつて引き起こしてしまった失敗なのか?
周りからの視線・評価を気にするからか?

「他人は他人」と理解していても、容易に拭えない厄介な感情である。


本来他人など、どうでも良いのである。
繰り返しになるが、過去の経験などから「痛い・恥ずかしい」思いが、突然フラッシュバックする。
過去の記憶は時として何の価値も無く意味すらなさない。もちろん置かれている環境など様々な要因もあるので、見極めは必要です。

出来ない現実にだけフォーカスせず、どうすれば出来るかを考えたり試す。時には立ち止まり方向転換も余儀なくされるが、行動を続ける中で何かが見えてくるのも事実です。

「人生は一度きり」
ならば自分の納得いくところまで進むに限ります。


おわりに


今回は排泄から行動論に繋がりました。
私の身体に染み込む仕事臭は、周りを不快にします。けれど大切な人の営みのサポート臭と捉えると大切な臭い(本当か😓)
今日も産まれる
生きた証を確認する一日になるでしょう。


今回はここまで

最後まで読んでいただきありがとうございます
次の記事で会いましょう。





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