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進むtechnology!今の知識はすぐ埋もれて…

12月20日
この記事は昨日から書き始めましたが、なんだかんだで20日になってしまいました。😨

なので19日に出したものとして読んでいただけると幸いです。

Altair8800
これなに?って思いますね。
今日は
1974(昭和49)年12月19日、アメリカのMTS社から、個人利用を目的とした世界初となるコンピューターが発売された日だそうです。

価格は当時の価格で約60万円

何だ?この箱どうやって使うの?って思いますね。それにしても流石はアメリカですね、すでに洗練されたデザインですね。

さて日本ではウキペディアより調べてみると

日本では1976年5月に東芝よりTLCS-12A EX-0(定価99,000円)が発売された。電源装置を別途用意すれば、12ビットのLED表示とディップスイッチを使ってテレタイプ端末などの入出力機器を必要とせずに動作させることができる日本国産初のワンボードマイコンである。のちの「国産マイコン」に連なる最初の製品は1976年8月3日に日本電気(NEC)から発売されたTK-80(定価88,500円)とされる。本機はTK(Training Kit)という名前からも分かるように、元来は8080互換マイクロプロセッサの採用を検討する企業の技術者に向けた評価・教育用ツールであった。これはボードに16進キーボードとLED表示器がついただけのものだったが、同年9月に秋葉原に開設したBit-INNでサポートが行われ、同年10月にNECマイコンクラブを結成するなど積極的なユーザ支援体制もあって、企画当初の予想を超えたベストセラーになった。


始めは今のPCとは違い、キーボード、基盤など何だかこれだけで使えるのと思える代物です(モニターも無いようです)
更にTLCS-12A EX-0で検索したら、以下の画像が出てきました。

先ほどのAltair8800にせよTLCS-12A EX-0の購入先は研究機関などで、研究者や学者などが使用し、まだまだ庶民が使いこなせるものではなかったようですね。
そしてうーんと思ったのがすでに秋葉原で、PC(当時はマイコン)の部品などを取り扱い始めたいたとのこと。すごいよあきば、さすが電気の街ですね😁

ところで、今はとても便利ですね。分からないことは”ググって”
今日は何の日とかで調べると、時間を遡り、過去のことが瞬時に出てきます。
(誰かが調べて載せてくれた訳で)

そんなことで、今回の記事は”私のPCの思い出”です。

始まり~PCとの出会い~

個人的に初めてPCと出会ったのは、確か小学3,4年生の頃。
当時住んでいた団地の会館で、はじめてPC教室なるものが開催され興味深々で出掛けたことを覚えています。

機種は日立のものだったか、東芝だったか?形は今のデスクトップ型ですが、ちょうど世間ではファミコン第一世代が浸透したころで、初めて見るPCに未来を感じました。

当日は今で言う簡単なプログラミングをして、画面上に絵を描くことだったり、簡単なゲームをする程度だったのかと記憶しています。
それでも小学生の私はわくわくして参加していました。

しかし、実際PCを買うのには当時の私には高額過ぎて、また実際今とは使い方も分からず、知識もないので難しいPC。気が付けばファミコンのほうに心が奪われていくのでした。

次の波は高校時代に、この頃になると、MSXなる形態のPCが登場。


MSXとは1983年に米マイクロソフトとアスキー(現アスキー・メディアワークス)によって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格の名称

ソニー「HiT BiT」 HB-75

画像より今のPCに近いですね。ただ左側に見えるのはカセットデッキが!!
当時はデッキにカセットテープを入れて再生すると、カセットテープに入力されていた音源!?
(当時仲間内ではマシーン語と呼び、ギーギービーギーなと変な音が再生されると、PCにダウンロードされ、モニターに映し出されていました)
が…鳴りました😲

私はMSXは持っていませんでしたが、友達の家で夜な夜なエロゲームなどに興じていたことを思い出します。
しばらくして友人が購入したNECの98シリーズ。カセットテープからフロッピーそして、フロッピーデスクへと変遷を目の当たりにしています。

初めて所有のPCは?

更に時間は進み27歳の年。
この頃は今の福祉業とは違う業界で働いていましたが、その時の仕事でPCを使うことになり、無理やり覚えさせられ…。
(未だにブラインドタッチは出来ませんし、エクセル、ワード、パワポもいまいち分かりません…😨)


その仕事を辞めた後失業中に何をとち狂ったのか、
「俺はマックを買う」と決め、当時出ていたパフォーマーシリーズを購入。

マッキントッシュ パフォーマー6400


今思えばこの機種なぜ買ったかと言うと、グラフィックやDTMをやろうと思い購入したのですが、全然使えこなせず専門書など読んでも、ちんぷんかんぷん?…😓
結局付属のゲームやら、年賀状制作程度で最終的に売却。
インターネットにすら繋いでいないこともあり一体何のための購入だったのかと、高い勉強でした😫

(これ以降マックには手を出していません😅)

その後の変遷

次の購入までにちょいと時間が経過して、福祉業界に転職したころなので
32歳頃です。

この時購入はNECのノートPC(機種名は忘れ)で初めてインターネットにつないだ機種でした。(当時はADSL回線  懐かしい!!)
仕事で使い始めていたのと、ネットサーフィンが主でしたね。


そうそう、ミクシーを始めたりプロバイダーはAOLに契約だったかと。
(AOLは当時流行っていた映画、You've Got Mail (トム・ハンクス、
メグ・ライアン共演の作品)で使われて、メールが届き開封すると、
You've Got Mail と音声が流れてきて、それの憧れから入っていました)

しばらくして結婚し、妻の所有のPCやらNECの2台目のノートPC、中古のノートPC、レノボのデスクトップ、そして前回壊れたノートPC、そして現在新たに購入したノートPCへと繋がります。

この間だけでもウインドウズ95から2000、XP、7そして10へとOSも変わり、ネット回線も今では光回線。Wi-FiやらBluetoothなど目まぐるしく変化が有りました。
そして、インターネットサービスも劇的に変わったり、携帯電話からスマホの普及。デジタル環境も常にアップデート中で、取り残されないようにしていますが、分からないことだらけです。

新たなる野望

2021年を目の前に新たなる野望は
①noteの継続執筆
②個人ブログを軌道に乗せる
③音声配信アプリでラジオ的な発信
④YouTubeへ動画投稿

これらがこの先10年間(60歳までに)に始め、継続していくことです。
そして、今後の老年期に向けての新たな働き方につなげようと考えております。

YouTubeを見ても現役の方で90歳近い方もやってらしゃるし、ブログ、音声アプリも今以上に盛り上がっているのかなーと思う今日この頃。
年齢だけで、自分の限界を決めてしまうのははっきり言って勿体なく、
始めたもの勝ちですね😊

自分の好きなことのための勉強、これからの人生が楽しくなります。
そのためにも体調管理や健康に留意し、コロナ禍を乗り越えていかなければなりませんね。

さて今回の記事は”私のPCの思い出”でした。

ざっと振り返ると案外色々有ったなーと思い返されます。
今もこうしてPCと睨めっこしながら戦っています。
日々進化しているPC環境、まだ見ぬ新たな出会いを求めてゆるーく記事を書いていきますので、皆さんよろしくお願いします。

今回はこれまでです。

最後まで読んでいただき有難うございました。

それでは次の記事でお会いしましょう。

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