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言葉の花束ーアキの詩集No.68


1.「あの時のときめき」

仕事の帰り道
運転をしていたら

前の車を運転していた
彼の横顔が


それとなく想いを寄せていた
あの人に似ていたから

つい
はっとしてしまって

けれど
よく見たら
人違いだった

でも
がっかりしていない

だって
一瞬でも
あの人を思い出して

昔みたいに
あの人に思いを馳せ
胸をときめかすことが
出来たから

あの人に
似ていた彼に
感謝している

今頃
どうしているかしら?

誰からも好かれる
そういう人だったから

きっと
色んな人に
寄り添われ
支えられて

元気にやっているんじゃ
ないかしら?

支えられた分
きちんと
返しているかしら?

なんて
母親みたいな気持ちで
遠くから見守ってしまう私も
私よね

きっと
大丈夫でしょ

そう
信じて
心配する気持ちを
手放すのも大事ね

私のことなんて
忘れてもらって構わない

むしろ
ずっと想っていて欲しくない

過去のことを引きずって
今を存分に生きられないなんて
勿体ないから

お互い
別々の人生を
歩んでいきましょうよ

あの人の傍に
誰か寄り添っていて
あの人が幸せにしているなら

私も
嬉しい

それぞれの幸せを見つけ
自分の幸せを
掴んでいきましょうね

それにしても

あの時のような
ときめきを再び
もたらしてくれた

前の車を運転していた
あの彼に感謝ね



2.「包み込まれたい」

人間って
常に楽しみたい生き物じゃないみたい

たまには
やる気スイッチをオフにして
心をフラットにしないと

メリハリが
上手くつかないのよね

でも
何かを感じたい

刺激的なものじゃなくて
何かで
ふわりと
包み込まれたい

優しく
心地よい温かさの
何か

たとえば
天使の羽で
そっと包まれてみたり

猫の
もふもふお腹に
顔を埋めてみたり

色んな
心地よいものが
あるけれど

一番は

愛する人に
やんわりと
抱きしめられるのが

自分がもっとも
安心する心地よさかな

人の温かさに
包み込まれる

それに勝るものは
ないと思う



3.「変化のない人生に意味はあるのか?」

人間は
変わらない

人を傷つけたり
迷惑をかけるような人に対して

「長年、この性格で
やってきてしまったのだから
この人を変えようとしても無駄」というような
諦め方をする人が多い

確かに
他人を変えるのは至難の業だし

そんなことに労力をかけるよりは
自分が出来ることを探した方が
手っ取り早い

だけど
私は思う

人は
変化があって
成長があるわけだから

変化のない人生に
意味はあるのだろうか?

この人は変わらないと
諦める観念は
自分を守るためには
必要かも知れない

けれど
変わるきっかけを与えることは
してみても良いのではないか?

人は
人との関わりの中
影響を受け合って生きている

人が変わるタイミングというのも
自分の力のみで変わるよりも

誰かに何かを言われたりとか
されたりとか

他者の影響を受けたことがきっかけで
変わる方が多い気がする

変わると言うことは
自分の中の過ちや弱み
自分の中の強みや可能性に気づき

考え方や行動が変化していくことだ

それはすなわち
成長と言える

私自身
他人から受け入れられる経験をしなければ

未だに
自分を受け入れることは
出来なかったと思う

だからこそ
たとえ凄く嫌な相手だとしても

相手を無理矢理
コントロールするわけではなく

相手が気付けるような
関わり方をしてみた方が
良いと私は思う

自分の過ちや至らなさに
気付けない

または
自分の強みや可能性に
気付けないまま

土ツボにはまりつつけるのは
あまりにも不幸なことだ

人は変化を繰り返すことで
成長し続ける生き物だから

互いに与える影響を
上手く活用して
成長し合うこと

そこに
生きる意味があると思う



4.「私は良い孫だったか?」

祖母の通夜

読経と木魚の音色と共に
蘇る記憶は

楽しかった思い出
ではない

あの人とは
色々葛藤があったから

苦しくて悲しい
怒りも混じった
記憶ばかりが
蘇る

外面は良かったから
みんなからは良く思われている
みたいだけれど

一番身近で
接していた私は

あの人の
弱いところや
醜いところを
まじまじと見ていたから

あの人に対して
あまり良い印象がない

霊感の強い私は
あの人が
死んでもなお

重く悲しい気持ちを
引きずって

無念の中
苦しがっているのを
感じていた

それに対して
「死んでも相変わらず
みっともない」なんて

哀れに思うこともなく
淡々と受け取って

迷惑そうに
浄化をする孫なんて
こんな不孝者
いないと思う

通夜の終わりに
いとこや叔母達に
「私は良い孫じゃなかった」なんて
呟いたら

「そんなことないよ
あなたは
誰よりも一番
おばあちゃんに尽くしていたし
一番おばあちゃん想いだったよ」なんて
言われて

とても
複雑な気持ちになった

確かに
あまり良い思い出は
ないけれど

誰よりも一番
あの人に気持ちを注ぎ
想いを込めて接していたのは
私かも知れない

心地の良い関係では
なかったけれど

だからこそ
誰よりも深い関係を築き

そこから
学んだことも
多かった

私はあの人に
ここまで鍛えられたと言っても
いいくらい

そうだね

私は
都合の良い孫ではなかったけれど

良い想いも
そうでない想いも

色んな想いも含めて
深く強く

あの人を
想っていた人は

間違いなく
私だね



5.「祖母の骨を持ち帰り思うこと」

祖母の告別式を終えて

お骨を家に
持ち帰った

やっと
帰ってこられたね

一生
病院とか施設に
いて欲しい

二度と帰ってくるな
なんて
思っていたけれど

こうして
骨になって迎えると

帰ってこられて
良かったね
なんて
思ってしまう自分に
驚いている

大分
祖母とは
葛藤があった

その葛藤を
ようやく手放すことが
出来たのかしら?

祖母との縁は
良くも悪くも
私の心に
深いものを残してくれた

始めから終わりまで
何の苦しみもトラブルもなく
平穏な人生を送るよりも

かなりドラマチックで
学びの多い人生を
歩ませてくれた

そう思うと
祖母には感謝するしか
ないかもしれない

認知症が進んで
家族の顔も分からなくなっていたけれど

死と共にボケから解放されていたら
良いなと思う

ゆっくりじっくり
我が家を満喫して

満足したら
天に昇っていってね



6.「もっと夜が続いてくれるならば」

夜更けにて

そろそろ眠る時間と
分かってはいても

眠いと目をこすりつつ

もっと詩を
楽しみたいと
思ってしまうのです

眠気と
詩作への意欲は

眠いときほど
何かが作れそうだと
意欲が湧いてしまう

それを殺してまで寝るなんて
なんと勿体ないことで
心苦しいことだ

想いは
殺すのではなく
生かすものであって欲しい

生かし
命を込められた言葉にこそ
人の心を揺さぶり
心を慰め
心の彩りを豊かにする力が
込められている

心の中で
詩の種が芽吹くものなら
育てたいと思うのが
親心

あぁ
もっと夜が続いてくれるならば

絵本を読む途中で
本を閉じるようなものだ

途中で寝るなんて

何て
口惜しい

その想いを
率直に書きたくて仕方なく
こうして書き綴る



7.「夕暮れ時のアゲハチョウ」

仕事帰りの
夕暮れ時

ふと
足を運んだ
神社の境内に

ひらひらと
羽ばたき
待っていく
アゲハチョウ

夕日の陽射しの中を
飛び交う蝶の

儚げに
光の中へと
消え入りそうな様に

私は
つい
見とれてしまった

この蝶は
神様のお使いかしら?

ひらひらと舞う
蝶の行く道を
目で追っていくと

陽射しの中に
溶け込むように
消えてしまった

あぁ
やはり
お使いだったのね

この神社の
神様の元に戻ったのかしらね

神様は
目には見えないけれど

こうして
「ここにいるよ」と
伝えに来てくれる

困ったときの神頼みなんて
ご都合主義すぎて
私は好きじゃない

けれど
こうして
陰ながら見守ってくれて
支えてくれる存在がいるならば

それは
嬉しいことなのかもしれない

もちろん
自立はしたほうが良い

けれど
蝶を使って
挨拶に来てくれるような
そういう温かな想いは
ありがたく受け取りたい

一人で立つこと
歩くことが難しいときは

誰かに
支えられてもいい

この世界は
支え合いで出来ているんだから

そこまで
気を張らなくて良い

そんなことを
蝶を介して
神様から伝えられているような
気がした




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