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写真を撮る時に自分が置き去りにしているモノ

旅行やら出張やらでしばらく地方にいくことが多くて
その反動で真逆の大都会に足を運び写真を撮りたくなった訳です


田んぼが広がるなにもないところ、雪が降った日はひたすら真っ白が続く世界、そんな田舎の反動




東京駅

もう、少し歩いてみただけで、自分はやっぱり都会のほうが好きなタイプだと実感する
なんでだろう、単純に景色が好き

大きくてきれいな建物、行き交う人々、年末の浮ついた空気感がなんとなく街から醸し出されているのも、なんともたまらない


けどまあそれも、有楽町のビックカメラとかに間違って足を踏み入れたなら
人の多さと窮屈感にやられて田舎が恋しくなったりもする忙しい感情




お散歩しながら写真を撮ることは、一歩下がった位置から自分が人の営みを見ている感じがして
それが都会のほうがより一層と濃く感じるのが好きなのかも

この感覚って、写真を始めて、街で撮るようになってからしか経験していない感覚で

それが、本当に好きな趣味だって思えるくらいの、自分にとってすごく好きな感情だって思う

ひとりでいることが好きな人にとっては、大事な時間になるもんだとも思う




一歩下がった位置にいる感覚だからといって、正直フラットな気持ちで撮れてるわけでもなく

視点は一歩引いているのに、心だけは営みの中の一部に置き去りにして、それを、あらゆる場面で何かと比べては、悪い面を浮き彫りにして、落ちていく、きっとダメ、それはできないだろうな、とか

あるいはシミュレーションを始めたりもする、それに必要なものはなんだろうか、自分はそれは持っているのだろうか、持っていなければ、どうやってそれを手に入れればいいだろうか


どうしてこうも評価されることを恐れるようになってしまったのだろうか

書いてしまうことによって、増々悪い方向に行っちゃうんじゃないかって

それでも見えてきたことから目をそらさずに向き合うことは決めていたので、あえて、そうであると認める
認めたうえで、もがいていく、決意表明ともとる、行動の糧にする


だがしかし、具体性はまだない


もうちょっと、時間が経ってから
そんな気持ちを持ちながら撮っていた写真が、どんな風に見えるのか

それはけっこう楽しみだったりはする


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