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中国語小説の翻訳教室――神の代弁者になるために(コラム3「センスと時間と意欲は知識や肩書に勝る」)

 高名な教授だからといって、翻訳が上手だとは限りません。多くの小説を翻訳したことのあるベテランというよりは、研究目的で翻訳している初心者の人もいます。あるいは出版社が実績よりも肩書を重視し、経験のない人に依頼することもあります。前者の場合、真剣に取り組もうとしているので、ぎこちない訳文でも誤訳は少ないという傾向があります。後者の場合は受動的で、しかも多忙な人が多いため、丁寧に訳文を作る時間はありません。

 現代小説の翻訳で武器になるのは知識や肩書ではなく、センスと時間と意欲です。よっぽど専門的な内容の小説でなければ、知識の不足は検索でカバーできます。論文を書くわけではないので、訳文をより良くするためガンガン検索しましょう。それから自分の肩書などはドブにでも捨ててください。読者が目にするのは訳文という結果だけであり、それが小さな訳者紹介の肩書によって良くなることはありません。知識や肩書というものは時に、翻訳の足かせになります。専門用語の注釈や解説ばかりに力を入れ、肝心の訳文の推敲を疎かにしがちだからです。

 私は学生の方が教授よりも翻訳に適していると自信を持って言うことができます。時間的に余裕があり、大胆かつのびのびと翻訳できるからです。若い作家の作品も、近い感性を持っている学生の方が訳しやすいはずです。遊びやバイトではなく、翻訳に専念する意欲さえ持てば、若者でもこの業界の権威になれます(非常に狭い業界ではありますが)。

 それではセンスを身につけるにはどうすれば良いでしょうか。これは訳者の天性に関わる問題ですが、面白い文章を嗅ぎ分ける鼻を持ち、自分の文章にも活かそうと心がければ、少しずつ身についていくものだと思います。手っ取り早い話、自分でも小説やブログを書けばいいのです。それによって「初めに」で書いた危うい自己顕示欲を満たし、他人の小説を翻訳する時に冷静になれます。また翻訳は自分の文章の肥やしにもなるので、相乗効果が発揮されます。いいこと尽くしですので、ぜひ試してみてください。

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