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中国語小説の翻訳教室――神の代弁者になるために(はじめに)

 中国語小説の翻訳だけで食べていくことはできません。仮に定価2000円の小説の、翻訳家の分け前が5%=100円だとする場合、運良く3000部発行されても稼ぎは30万円です。これは平均的な月給に相当する額ですが、長編小説1冊の翻訳にかかる時間を300時間と仮定すると、時給1000円の計算になります。こんな仕事でも、年に一つ舞い込んでくればラッキーなほどです。さぁ、あなたはそれでも翻訳家になろうと思いますか?

 夢のない話ですが、日本で人気のない中国語小説の翻訳家を志す以上、打算的になってはなりません。金のためではなく、やりたいという気持ちに従い、趣味としてやることです。趣味であれば締め切りに追われ、手を抜く必要もありません。あなたが全幅の信頼を寄せる作家と作品のため、好きなだけ時間を使い、精力を注ぐことができます。

 全幅の信頼、と書きましたが、これは小説をぜひとも趣味で翻訳しなければならない理由でもあります。考えてみてください。金のためとはいえ、こんなくだらない小説をなぜ翻訳しなければならないのかと思いながら、果たしていい仕事ができるでしょうか。翻訳家たるもの、作家と作品の価値を完全に信じ、この素晴らしい小説の持ち味を損ねることなく、自国の読者にそのまま紹介しようという心構えを持つべきです。押しつけられた仕事の場合、それは困難です。金のためならなおさらです。

 翻訳の苦労は原稿料ではなく、翻訳の愉しみそのものによって報われます。原文の素晴らしい表現を、和訳として再表現する。これは自分で苦しみながら言葉を構築するよりも楽な作業ですが、たやすく快楽を得られるため、翻訳家は間違いを犯しがちです。すなわち自分の愉悦に浸り陶酔するあまり、本来ならば何の変哲もない表現を「うまく翻訳してやろう」と力むことです。翻訳家はこのような原文書き換えという冒涜によって、自己顕示欲を満たしてはなりません。作者が原文で伝えようとした意図を最もよく伝えうる訳文を作れた時に、初めて達成感を得るべきなのです。

 翻訳家は謙虚でなければなりません。最も偉いのは作家本人であり、私たちは下僕にすぎません。作家の思想、文体などをありのまま受け入れ、神の忠実な代弁者になる。これは苦しい営みのように見えますが、得られるものも少なくありません。読書とはそもそも、別の人生を生きようとする行為です。上述した心構えを持ち翻訳すれば、あなたは別世界にいっそう深く浸ることができます。それによって作品の創造主、あなたが憧れる作家に少しは近づけるかもしれません。一冊の本を翻訳したあと、あなた自身も一皮むけていることでしょう。

 長々と語りましたが、どうでしたか? まだ小説を翻訳するという狂気を捨て切れないならば、実践してみることです。趣味だからまずはやってみて、向いていなければ止めればいいだけです。私の場合は、中国語学科を卒業するのだから、記念に長編を一冊翻訳してみようと思い、翻訳を始めました。私は当時、中国の海岩(ハイ・イェン)という作家に傾倒していました。作品はほぼすべて映像化され、陸毅(ルー・イー)や孫儷(スン・リー)などのスターの人気に火をつけました。小説もドラマも話が面白く、愛にひたむきな若者の姿が多くの読者、視聴者の共感を呼びました。本書では海岩の代表作『永不瞑目』(テキストは群衆出版社2007年初版)を読みながら、翻訳のコツを学んでいきます。実践事例ばかりでは疲れるので、息抜きとしてコラムも用意しました。さぁ、もう堅苦しい話は抜きにして、お茶でも飲みながら一緒に翻訳を楽しみましょう。

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