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作品という概念

はじめに

4月22日(月)草加市にあるton ton’s toy small room 「ちいさな木のお部屋」にて、「つみきの子育て」と称したワークショップを行いました。

つみきの基礎講座、つみきで育んだ子育て、とミニワークショップをくっつけた講座です。



準備中。光が当たるのが面白いらしい☺️



今までいろんな場所、いろんなエッセイで「つみきと子育て」については語ってきましたが、こうして講座にするのは初めで、写真もスライドもたっぷり制作して臨みました。
やはり我が子の小さい時の画像や、月齢を追ったものは参考になると思いましたので…

基礎講座は、「童具」に限らず、つみき全般、こういう点は絶対意識したほうがいいよ、という積み木の基本的なお話を。

肝心の(というか私が一番注力していた)「つみきと子育て」の部分は、駆け足になってしまいましたが、

「何歳まで遊ぶ?」
「何から揃えた?」
「いつから揃える?」
「我が家の揃え方」


ということを盛り込んだ上で、
<我が家のエピソード>を語りました。



次男は積み木を通じて、
「方法は一つではない」「方法はたくさんあるから」
とよく話していました。
0を1にする思考力だったり、
目的に向かう道筋は色々ある、ためそう!という姿勢は
積み木の賜物…(と言っていいのか正直わからない 笑 ※)
※この部分は講座でも話しましたね。


そして、白木であることに対しては「何にでもなれるからいいよね」と。
見立て遊びの必要性や、想像力について、言語化してくれていました。

そうやって育まれた感性の先に、「僕、天才だから」と豪語。(苦笑)

そんな次男のエピソードを伝えている途中にオフラインになってしまい、
ご迷惑をおかけしました・・・焦

話は戻って、次男。
「僕、天才だから」って…某バスケ漫画ですか。

でもでも、そう思うことや、自分の作品・自分の個性に自信を持っていたことは、素直に尊敬しています。



ところで、よく積み木遊びって「ひらめき」だと思われているかもしれないのですが、ちょっと違うな、と思っています。


小さなことの繰り返し、失敗や挑戦の先に、自分の引き出しが蓄積されていくイメージだと思います。


家で自分だけでやってると、発展的に遊ぶことにつまづくこともあります。
が、教室の子どもたちは、他者の作品を目の端でみては、刺激を受けて、自分でもこっそり挑戦してみたりして、「蓄積」をしています。

花火のようなひらめきではなく、蓄積からの自己表現であること、それは一朝一夕ではなく、連続性と、関係性の先にあるということが、最近になってようやく腹落ちしています。

小さい子は、ボックスやお皿が大好き。

“作品”という概念を、根付かせる


さて、前置きが長くなりましたが、今日のテーマは、
「”自分の作品”という概念を持たせること」です。


自分の作品というのは言葉通りなのですが、果たして積み木遊びをしている子達が、どれだけの割合で、「これは僕の”作品”」として扱っているでしょうか。

よく、積み木が不意に壊れてしまったとき「僕が作ってたのに!」と怒る場面があります。


「僕が作ってるのに!」には、
「僕の領域に侵入しないで」
「僕の“大切なもの“に触れないで」
ということだと思うのですが、
これって、立派に、「僕が作っているもの」が「僕のプライドをかけた作品」であることの表れだと思います。


例えば、
「僕が作ってるのに!」という苦言を
「これは僕の作品だよ」と言ったら、
大人の我々は、どんな気持ちになるでしょうか。

”作品“という概念が、喧嘩をなくす!?

もし、子どもたちが、この「作品」というプライドを持った言葉を理解したとしたら‥
こんな構図が生まれたらいいな、と思うのです。


一人一人が、「作品」に本気で向かっている



自分の「作品」は不可侵だ。
だから「人の作品」も不可侵だ。


私たちって、「壊してしまう子」は少し遠くで遊ばせたり、
離したり、衝立を作ったり、物理的な方法ばかりが先立ってしまうけれど、
「自分自身が作品を作るアーティスト」であることやが根付けば、他人の作品にも「寛容と尊敬」を持てるのではないかと期待します。

「人の作ったものは壊さない」は、アトリエでの合言葉なのですが、これをもっと解像度を上げていくために、「あなたたちはアーティスト、作っているものはみんな二度と同じものは作れないかもしれない大切な作品なんだ」ということを伝えていきたいと思いました。

おもちゃと共に遊んでもらえる積み木たち。かわいいですね。

おわりにー真剣に遊ぶということー

大人にとって子どもの遊びって「とるに足りないこと」に見えるのですが、本人たちは至って真剣。そんな姿を見ていると、グッときますし、まさにアーティストなのです。
そんな真剣に遊ぶ子どもたちを「褒めそやす」のではなく、「尊敬」するような眼差しをプラスしてみてください。

そうして、こどもたちの“感性“が守られていくのだと思います。
ではまた!

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