著作者_nhi.dang

1-3.Oriental Wisdom

ねぎぽんです。ワークショップのデザイナーとファシリテーターをしています。

マインドフルネス瞑想を使ったワークショップもしています。マインドフルネス瞑想を経験したのはだいぶ大人になってからだけど、瞑想の感覚自体はずっと以前から覚えていたものでした。かつて実践した座禅の感覚に似ていたのでした。

座禅会に顔を出していたのも学部時代のことだから15年も前のことになります。当時二十代前半の男子学生がどうして座禅などに興味をもったかと言えば、ぼくの哲学遍歴が「東洋思想」に多大な影響を受けたからです。

高校時代はイスラーム世界の歴史に興味がありました。だからイスラーム研究で定評があった慶応義塾大学の文学部東洋史学科に進学したのですが、入学して二年経ったころには哲学に興味が移っていました。

とはいえ在籍は東洋史学科。この環境にありながら哲学を学ぶには「印籠」が必要でした。どうしたものかと考えを巡らせて出会ったのが学部の大先輩井筒俊彦だったのです。

井筒俊彦は「コーラン」の全訳をひとりで成し遂げた(井筒訳の「コーラン」はいまも岩波文庫で読むことができる)知の巨人です。イスラーム研究の印象が強いためにイスラーム研究者として思われがちだけど、井筒本人は哲学と宗教の研究者です。

哲学研究者に必須の英・独・仏・ギリシア・ラテンにとどまらず、ヘブライ語、アラビア語、ペルシア語、トルコ語、パーリ語、ロシア語等、優に三十を超える言語を自在に操る天才で世界各地の哲学や宗教を総まとめで比較分析するという空前絶後の仕事を残しています。

型破りな天才だったので、日本国内には評価される枠がなく、海外での評価のほうが高いとさえ言わた井筒は、実際、スイスで開催された学術学会エラノス会議では世界各国の碩学たちと対等に渡り歩き、ホメイニ革命前のイランに滞在しては現地の知識人と論を戦わせ、革命直前に泣く泣く飛行機で帰日したり、そのエピソードもいちいちロックンロールで、当時のぼくにとって井筒はまさしくヒーローでした。


さて、マインドフルネス瞑想が仏教の伝統に多くを負っているとしたら、その哲学的な背景に東洋の叡知の影響が垣間見えるはずです。それを井筒俊彦の力を借りて考えてみたいのです。

マインドフルネス瞑想は、いまやストレス対策やビジネススキルとして、多くの人に実践される技術となりました。でも、その土台には哲学の知が横たわっているのです。

それを伝えていきたいというのが、このセクションのアウトカムです。

では、始めましょう。ナビゲーターは井筒俊彦不朽の名著『意識と本質』です。

以下15000字です。


1-3. Oriental Wisdom

晩年の井筒俊彦が注力したテーマが東洋思想の構造分析だった。日本の禅宗、中国の老荘思想、仏教哲学、イスラームのスーフィズム思想、ユダヤ神秘主義思想といった東洋各地の哲学や思想には共通する構造があるとして、それらの比較による分析を積み重ねていった。そのエッセンスは岩波文庫の『意識と本質』で読むことができる。『意識と本質』はぼくの転機となった本である。

 『意識と本質』というタイトルは堅い哲学の専門書を思わせる。しかし、ひとたびページをめくれば、プラトンから現象学にいたるまでの西洋哲学、ユングのアーキタイプ理論、仏教思想に禅宗、中国の老荘思想や朱子学、インドのヴェーダーンタ哲学、イスラーム神学からスーフィズム、ユダヤ神秘主義のカバラ思想、それだけにとどまらず、日本からは古今和歌集や松尾芭蕉や本居宣長が居並び、リルケやマラルメまで登場するという絢爛豪華で光彩陸離の世界を楽しむことができる。後にも先にもこれほど色彩豊かな読書経験をぼくはしたことがない。

 『意識と本質』で井筒は西洋思想に相対する東洋思想の素描を試みる。はじめに断っておくけれども、東は日本から西は中東に至るまでアジア全域にわたって共通する「東洋思想」の真相があるかどうかは、ぼくには分からない。正直疑わしい。が、ここで大切なのは、井筒が「東洋」という言葉に何を覗き見たのか、見ようとしたのかであって、そこにはたしかに「東洋的」な何かがあると、ぼくは思っている。



1-3-1. 二つの本質

『意識と本質』という書名なのだから「意識」と「本質」について書かれた本である。冒頭、井筒は「意識」についての整理から始める。人間の意識は「何かに向けての意識」である。意識は対象を捉えるものである。意識はその対象に向かっている。そのとき、その対象の「本質」を人間は何らかの形で了解している。

 ぼくがいま目の前の猫を見ているとしよう、ぼくはそれが「猫」であることを理解している。そのときぼくの意識は「猫」に向かっている。そして「それがなんであるか」、要するに「猫」とは「なんであるか」を漠然となりに了解している。この「なんであるか」が「本質」である。

 ぼくが「猫」を意識できるのは「猫」の本質をあらかじめ了解しているからだ。「猫」がなんだか分からないのに「あれは猫だ」とは意識できない。「本質」があって、それに向かうものとして「意識」がある。意識と本質にはこのように切り離せない関係がある。


本質を巡る問いの源流は古代ギリシアのアリストテレスにまで遡る。アリストテレスは本質を「ト・ティ・エン・エイナイ」と定めた。日本語に訳せば「それが何と呼ばれるものであるか」である。

 ぼくが猫を指して「それが何と呼ばれるものであるか」と問えば、誰もが「猫」と答える。木を指せば「木」、椅子を指せば「椅子」と答えてくれる。それが「猫」の本質、「木」の本質、「椅子」の本質である。畢竟、本質とは「名」のことだ。これを哲学の伝統では「概念」と呼ぶ。ぼくたちは、「猫というもの」「木というもの」「椅子というもの」の概念を、なんとなく、漠然とした形でも理解している。

 でも、ときおり見たことも聞いたこともないような概念に出会うことがある。「超越論的観念論」とか「脱構築」とか「絶対矛盾的自己同一」とか、はじめて聞いた人はポカンとしてしまうだろう。これらは哲学の用語だけど、なにも哲学に限った話ではない。「対抗要件」とか「罪刑法定主義」とか「禁反言の法理」とか、あるいは「エントロピー」とか「シュバルツシルト半径」とか、ぼくにもいまいち分からない。

 世界は分からない言葉で溢れている。もし知らない言葉に出会ったら、昔は辞書や事典で引いてみた。いまならネットで検索するだろう。そして、辞書の項目やウィキペディアのページを読む。見知らぬ言葉の意味もまた言葉によって説明されている。概念は言葉であり、さらに言葉によって定義される。

 井筒は、意識を支える本質が言葉すなわち言語によって定められていることを強調している。多国語を自在に使い分けた井筒だけにそれぞれの言語にはそれぞれの本質があることを理解していたろう。それゆえに、言語が違えば意識の有り方も違うことも身をもって経験していたのではないだろうか。

 いずれにしても、本質とは言語によって規定された概念である。だから、ここにいるキジトラのタマも、あそこにいる三毛のミケも、向こうにいる黒猫のジジも、見た目はバラバラでも、同じ「猫」という「名=言葉」で呼ばれる。そういう意味で「猫」という本質を同じにしている。つまるところ、本質は概念的に普遍でなければならない。その過程でタマとミケとジジそれぞれの差異は抽象されてしまう。

 抽象化は論理を重んじる思考には欠かせない。本質が概念的普遍者でなければそもそもロジックは成り立たない。したがって、三段論法を整理したアリストテレス以来、西洋哲学の伝統は本質をすべて概念的普遍者として考えてきた。

 といっても、それは西洋世界に限った話でもない。東洋世界においても儒教に根ざした中国哲学には論理性を非常に重んじる伝統がある。中国哲学には西洋哲学と同様の本質観が存在する。



孔子の「名」

孔子に源を発する儒学の伝統には「名」という言葉がある。「名」は物の名前のことだ。日本語でもしばしば「名実」や「名は体を表す」という形で使われるが、名にはそれに対応する正しい実質(実や体)が存在するという考え方が儒学には存在する。

 果たして、孔子は名の正しい使い方に徹底的にこだわる人だった。「論語」には「觚」(こ)の故事が伝えられている。「觚」は来賓が宴席で酒を酌み交わすために用いられる儀礼の器である。この「觚」はそもそも「稜」(かど)のある形の器だった。しかし、孔子の目にした器には稜がなかった。稜がないのに「觚」と呼ばれていた。そのとき、孔子は「觚」でないものが「觚」の名で呼ばれていることを心底嘆いたのだった。

 器の名前など大した問題でもないように感じられるが、孔子にとっては名前こそもっとも重要な「本質」である。「論語」には弟子子路との有名な問答がある。子路が孔子に「危急存亡の国の政治を任されたとしたら、はじめに何をするべきか」と尋ねたときのこと、孔子は「はじめに国中の名を正す」と答えたのだった。子路は「そんな遠回りなことをしている場合ですか」と孔子に口答えをするのだが、孔子は「名の秩序が崩れれば言葉の意味が崩れてしまう。言葉の意味が崩れれば世が乱れる。世が乱れれば礼儀も乱れ、礼儀がなければ法や政治もままならない。いずれ、民は体を休めることもできなくなってしまう。だから、名を正さなければならない」と子路を諭すのであった。

 孔子にとって「名」と「実」を一致させることは最重要の哲学的命題であった。「名」と「実」がずれることにすべての過ちや諍いが起こる原因がある。孔子の生きた時代は群雄割拠の春秋時代。孔子は世の秩序の紊れと名実の齟齬を重ねていたのである。


名実を一致させる「正名」は、孔子にとって重要な実践課題であり、その伝統は後年の儒学にも継承されている。宋代の朱子学には「大義名分」という言葉がある。すなわち、この世の事物には「名」のあるべき姿がある。あるべき名の秩序によって「分」けられた世界こそ、あるべき世の姿である。世はその分別をつける「大義」によって治められなければならない。そういう考えだ。

 朱子学の生まれた宋代は帝権の非常に脆弱な時代であった。北方からの遊牧民族による度重なる侵入に悩まされ、ついには満州族によって都を奪われてしまう。あまつさえ皇帝一族がみな捕縛されるという憂き目にもあう。それを嘆いた朱子は、民族にはその民族が治めるべき土地が、民族の名によって分けられた土地があり、その名の乱れは正されなければならないと強く主張した。それがこの「大義名分」論の背景である。

 「名」は普遍にして不変の本質である。それはアリストテレス以来の西洋哲学の伝統にも通じる考え方だ。三毛猫もキジトラも黒猫も「名」は「猫」であり本質において不変である。

 しかし、個体としてみたときは、見た目もばらばらで明らかな差異がある。このような個体における差異をアリストテレスは「偶有性」と呼んだ。偶有性は英語で「accident」偶発的な事故や出来事を意味する。だから、アリストテレスにとって偶有性はたまたま現れてしまった誤差に過ぎない。



マーヒーヤとフウィーヤ

中国の儒学においてもアリストテレス同様に普遍的で抽象的な概念を重んじる伝統がある。世界は名の本質によって分けられるべきであって、そこからの逸脱は正されなければならない。

 しかし、これに対して異を唱える立場もある。『意識と本質』において、その筆頭として井筒が取り上げた存在が、日本の本居宣長であった。本居宣長の活躍した江戸時代は大陸由来の儒教が公式の学問として認められていた。主には主の名があり、家臣には家臣の名があり、その分を守るのは当然である。この名分論が幕藩体制の維持に都合がよかったのである。しかし、本居宣長は、この中国由来の考え方「漢意」(からごころ)に真っ向から異を唱える。

 本居宣長によれば、中国式の考え方は、名に固執して、理屈をこねることに終始している。現実からかけ離れた机上の建前をこねくり回しては、口先でごまかそうとするばかりである。日本古来の価値観はそのようなものではなかった。宣長はそう断言する。それこそ「大和魂」(やまとだましい)である。

 宣長にとって、大和魂とは「物のあはれ」を知る心のことである。儒学由来の名の考えに従えば、花は花である。だから、ここに咲く花も、向こうに咲く花もすべて同じ名をもつ「花」でしかない。しかし、それは頭で概念として考えた話にすぎない。

 実際に目で見てみれば、この花はこの花であって、向こうに咲く花と同じ花ではあるはずがない。どの花とも異なる唯一無二の花である。この唯一さに触れること、それが「物の心」を知ることであり、「物のあはれ」を知ることであると、宣長は言う。

 要するに、本居宣長は、アリストテレスが本質のノイズとして切り捨ててしまった偶有性こそ、物の「本質」だと考えていたのだ。彼にとって中国的(西洋的)な抽象的・概念的で外的な知的アプローチではなく、具体的・直観的で内的なアプローチ、それが日本人の大和魂だった。

 井筒俊彦は、ここに二つの本質があることを指摘する。抽象的・普遍的概念としての「本質」と、具体的・個別的存在としての「本質」である。井筒は、この差異の弁別がイスラーム世界の哲学ではきわめて初歩的な常識として考えられてきたと述べる。


   ***


簡単に世界史を振り返っておきたい。繁栄を極めたギリシア=ローマの古典文化はゲルマン民族の侵入によるローマ帝国の崩壊に終わりを迎える。そのときプラトンやアリストテレスをはじめとした古典ギリシアの知恵はヨーロッパ世界から散逸してしまう。

 中世において古代の叡知を保存したのがイスラーム世界だった。エジプトやシリアに残されていたギリシア=ローマの哲学者たちのテキストをイスラームの学者たちは熱心に学び、自らの文化へと吸収していった。そうしてイスラーム世界は独自の哲学を花開かせたのだった。

 イブン・スィーナやイブン・ルシッドが活躍した10世紀から12世紀がイスラーム哲学の黄金時代だった。ヨーロッパ世界がプラトンやアリストテレスの存在を「再発見」するのは彼らの著作を経由してのことである。

 アリストテレスの哲学を学んだイスラームの哲学者たちは、「マーヒーヤ」と「フウィーヤ」の二つの言葉を生み出した。「マーヒーヤ」とは、「ma huwa?」(それは何か?)を語源とする言葉で、普遍的概念としての本質である。アリストテレスの「ト・ティ・エン・エイナイ」を直接に翻訳したものだ。一方の「フウィーヤ」は、「これ」あるいは「それ」を意味する「huwa」を語源として、この花の「この花さ」、要するに「このもの性」を意味する。

 普遍的な概念を本質とする「マーヒーヤ」と偶有性を事物の本質とする「フウィーヤ」と二つの本質がある。いまここにいる「ぼく」は、「人間」というマーヒーヤとともに、「このぼく」というフウィーヤも有している。

 ただし、ここには大きな困難が生じてくる。ぼくは唯一無二の存在であり、ぼくの経験は唯一の経験である。しかし、ぼくの唯一の経験を言葉にして周囲の人に伝わるようにすれば、その言葉はぼくに唯一のものではなく、誰にでも共通のものでなければならない。結局フウィーヤを伝達するためにマーヒーヤを使わなければならない。それではフウィーヤの真にフウィーヤな要素はもれ落ちてしまう。

 知覚の際も同様で、これは「猫」であると認識した瞬間、その猫のフウィーヤは消えてしまう。だから、フウィーヤをそのままに知覚することは簡単なことではない。言葉を使わなければならない人間にとって、古今東西の別を問わず、マーヒーヤとフウィーヤの矛盾はかならず突き当たるはずの難問なのだ。



偶然性の世界

東洋哲学の共通の精神をさぐると始めておきながら、儒学の「名」に西洋的本質を重ねるなど、矛盾を感じないではない。が、井筒が強調したかったことは、本質にはマーヒーヤとフウィーヤの二種の本質があって、普遍的で抽象的なマーヒーヤに事物の本質をみるのが西洋哲学の伝統であるのに対して、偶然性や偶有性のフウィーヤに事物の本質を見るような伝統が東洋の思想には存在するということだ。たしかに、西洋哲学の歴史を紐解いてみれば、フウィーヤに焦点を当てた思考にはまず出会うことがない。

 ところで「偶有性」とは、あまりなじみのない言葉かもしれない。「普遍と個別」「抽象と具体」「一般と特殊」の対を並べてみれば、後者に縁のある言葉であることは直観的に理解できる。アリストテレスの用法では「本質」に対する言葉ではあるが、やはり「偶然」と何かしらの関係があるのではないかと考えてしまう。

 偶然の対義語は必然である。必然とは論理的に根拠のあることを意味する。だから「偶有性」の対にある概念的な「本質」は必然性の領域に関係する。

 アリストテレス哲学や儒学の考え方に立てば世界は本質によって秩序づけられている。目に見える形、耳に聞こえる音、世界は多様な現れ方をする事物で満ちているけれども、その現れを超えたところには、永遠に不変な本質が存在すると考える。

 火には燃やすという本質があり、紙には燃えるという本質がある。したがって、火を紙に近づければ紙は必然的に燃える。水には火を消すという本質があるので、火に水をかけても必然的に火は消える。このようにして、本質の世界はすべてが必然的かつ論理的に展開する。これを「因果律」と呼ぶ。

 因果律に支配された世界では、すべての事物がそれぞれの本質をもち、その本質によって、他から作用され、他へと作用する。運動の行き先は本質においてすべて定められており、逸脱することはない。ビリヤードの球が次々とぶつかって動きつづけるように、ひとたび事物が作用を始めたら、次々と作用は連続して、運動は永遠につづく。本質に定められたものとして独自に展開をつづけるのである。


   ***


因果律の概念がもとで、アリストテレス哲学が一神教を奉じるイスラーム世界に導入されたとき、大きな混乱が起きた。なぜなら、因果律の合理性が世界のすべてを支配してしまうのであれば、神の役割は存在しえないからだ。しかし、神の奇跡は自然の因果律さえも超越するはずではないのか。理性が神の奇跡よりも優越するなどということがありえるのか。

 哲学と神学、理性と信仰の対立は、初期イスラーム哲学において重要な論点であった。アリストテレス哲学に対してイスラーム神学の立場から徹底的な批判を加えた人物がガザーリーだった。「ムハンマド以後最大のムスリム」としていまも敬意を集めるガザーリーはイスラーム神学を大成させた人である。現代になってもいまだ彼の理論はイスラーム知識人にとって必須の教養とされている。

 さて、ガザーリーは本質による因果律を徹底的に退けた。火を紙に近づけたからといって紙が燃えるのは必然ではない。とは言え、日常の経験では、火を紙に近づければ燃えてしまう。ガザーリーは、それを自然の「慣習」として説明する。

 紙が火に燃えるのは、偶々そうであるだけで、偶然にそうなっているだけにすぎない。では、この慣習が継続しているのは、なぜか。それこそ神がそうあれとさせているからだ。神の創造的行為によって、この慣習は保たれている。しかし、神がそれ以外の有り方を望めば、紙が火に燃えない世界も十分にあり得る。慣習はいつでも破られうる。要するに神の奇跡とは慣習を書き換える出来事だ。

 ガザーリーは、世界の実相を不確定的なものと説いた。この世界がいま有るように有るのも、瞬間ごとに繰り返されている、神の不断の創造の奇跡に依存している。神は瞬間ごとに世界創造を繰り返し、いまあるように慣習を定めている。その結果、世界はいま有るように有るのである。

 残念なことに、人間の理性は限られているから、神のわざのすべてを見知ることができない。なのに無理に有限な理性を用いて理解しようとするから、本質などというまやかしを見てしまうのだ。このようにしてガザーリーの世界観は、連続性を退けた、断続的な時間意識によって構成されている。

 マーヒーヤに親和する思考はアリストテレス的な不変の本質の秩序として世界をとらえ、フウィーヤに親和する思考は偶然性が支配する不確定で非連続的な流動を世界の実相として考える。このように図式化することもできるだろう。たしかに、井筒を導きの糸として東洋思想の文献に当たっていると、偶然性を重んじる考え方に幾度となく出会う。


   ***


偶然性に基づいた世界観から見ると「いまここ」に存在している事物は、普遍の本質を備えたものではなく、偶々「いまここ」に存在することになった出来事としての存在ということになる。それでも、「どうしていまここにこの存在が存在することになったのか」という理由は気にかかる。ガザーリーはイスラームという一神教を前提にしたのでそれを神の奇跡と恩寵に求めることができた。

 仏教もまた偶然性を事物の本質として考える。「いまここ」にあるものはたった一回きりの存在であり、二度と同じ存在が現れることはないと考える。だから、すべて存在の本質は「空」である。そのような仏教が「いまここ」の存在の理由を説明するために導いた考え方が「縁起」の理論だった。

 縁起とは「此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」という釈迦の説法に遡る考え方である。この見方に立てば原因と結果は相互依存関係にある。

 アリストテレス的な因果律では、AがBに作用し、次いでBがCに作用するという直接的な因果関係しかとらえられない。縁起は、AがBに作用すると同様に、BもAに作用する、循環的な因果関係である。仏教思想は原因と結果の間に相互作用があると考える。さらにいえば相互依存関係である。

 西洋思想の因果律において原因は結果がなくても原因でありつづけられる。けれども、仏教思想の縁起には結果のない原因はありえない。存在は他への依存なのだ。そこから縁起の思想は「多因多果」の考えを展開する。すなわち「いまここ」にある存在には唯一の原因があるのではない。ひとつの存在には様々な関係性があって、それぞれの関係の力は互いに影響しあう。そして、無数の力のひとつの結び目として「いまここ」に存在が生まれたと考える。


縁起の理論は大乗仏教の伝統のなかで拡大発展を遂げ「華厳経」では「一即一切、一切即一」の極みにまで到達する。「一」のものが「一切」へと開かれていき「一切」のものが「一」のものへと収斂する。世界の存在する一切のものがいまここの一個の存在へと結びつく壮大なる世界観だ。

 その視点に立てば「いまここ」に生きているぼくは、いまこの瞬間に生起した全世界の力の関係性、その力の場の一点ということになる。だから、次の瞬間、その関係性に変化があれば、ぼくはもう今のぼくではいられない。関係性は瞬間ごとに時々刻々と変化する。

 曹洞宗の開祖道元は『正法眼造』において「前後裁断」という言葉を使っている。人間の意識は前後を連続したものと考えてしまう妄念に囚われているので、現在・過去・未来が一連の流れと思いこんでいる。しかし、現在あるものは現在の関係性において現在存在しているにすぎない。過去の関係性、未来の関係性、現在は、どれとも相違する。すなわち前後は裁断されている。そのように説いた。前後裁断は現在に居続ける禅宗の時間を一言で表現したエッセンスであるが、これも縁起に基づく考えである。



1-3-2. 無・即・有

偶然を重んじる東洋の叡知の伝統は一回限りのものに価値を認める。この世界に有るものは、ただこの一回かぎり現れ出たものであり、この一回だからこそ価値がある。すると、一回かぎりの事物のフウィーヤを抽象化して抹消してしまう言葉のマーフィーヤはそもそも認識の罠であると考える傾向も、また必然的に生まれてくる。

 言語的本質を厳しく退けた一派にナーガルジュナに始まる大乗仏教の流れがある。大乗仏教は概念的な本質の一切を虚妄として否定する。「大乗起信論」には「一切の言説は仮名にて実なく、ただ妄念に随えるのみ」とある。言葉は仮につけられた名前でしかなく、実態など存在しない。ただ妄念に従って生まれてくるものにすぎない。だから、大乗仏教において本質はすべて「空」なのだ。「般若心経」にある言葉の通り「色即是空」この宇宙に存在するすべての現象(色)の本質は、「空」すなわち「無」である。

 井筒は「無」に東洋的思想のエッセンスを見てとった。アリストテレスの本質論に依拠する西洋哲学の伝統は絶対的「有」の哲学である。西洋の知性にとってたしかな実質が有ることは絶対的な前提である。しかし、東洋思想においては「無」の哲学が主流をなす。


「老子」(道徳教)は「無名天地之始、有名萬物之母」という書き出しで始まる。天地のはじめにはなにも無かった(無があった)が、名(言語)が万物の母として有(存在するもの)を生み出したというのである。

 「老子」の書き出しは東洋思想の存在と本質の関係をきれいに定式化している。はじめに無がある。そこに言葉が本質をもたらす。すると、その本質に従って存在が区分されて有の世界を成り立たせる。このプロセスを井筒は多くの東洋思想の伝統に見ている。

 無から有へと至るプロセスを追っていると、この無はただの何も無いことではないことに気づく。無は、世界が言葉によって分けられる「前」に存在していて、言葉によって分けられることによって個別の有へと生成していく原初のエネルギーである。ここで無は存在そのものなのだ。

 無こそ有である。要するに、無とは言葉によって分節される前の存在、存在の生のままの塊、絶対的な無分節存在のことなのだ。だから、東洋思想の視点からすれば「ここに花が存在する」のではなく、「ここに存在が花する」のである。存在は個物に具わるものではなく、存在が一時的に花として現れているのである。

 といっても、あまりに抽象的に過ぎるだろう。イメージとしては、「ところてん」が分かりやすいのではないかと考えている。テングサを煮て濾した液体、まだなにも形になっていない状態、それがはじめの「無」の状態である。これを冷やすとところてんの塊になる。ただの塊なのでいまだ無分節の状態といえる。いわば「有」へと転じた「無」である。

 これをところてんを押しだす道具(ところてん突き)に入れる。つけば、その網目に従って、ところてんが形になって出てくる。この網目が「言葉」に相当する。これが言葉によって分節された「有」の生成である。ちなみに、このできたところてんは温めれば、また形を失って、もとの液体、すなわち「無」へと帰っていく。

 世界の万象は溶けるように空無の内へと消えていく。永遠に変わらないと思えるものはすべて言葉のまやかしにすぎない。すべては一回限りのものとして現れてはそれきりである。それは一見ニヒリズムにも感じられる。

 しかし、「無」は否定的なだけではない。「老子」は無を「ふいご」のイメージで語っている。--天地の間すなわち世界は中空で中味がない。その実相は無である。しかし、炉に空気を送る「ふいご」のようなものでもある。だからこそ、動きをもたらし、万物を生じさせ、様々な変化を起こす。無は存在を存在として有らしめるエネルギーそのものなのだ。



色即是空の力

大乗仏教の伝統ははじめ言葉を妄念を導くものとして否定的にとらえていた。しかし、たとえ「色」は儚い「空」だとしても、この世界が存在することは否定できない。そして、無は有を生みださせる存在のエネルギーであるならば、言葉をまるきり退けてしまうこともできなくなる。

 老荘思想や仏教思想が、言葉の実質を否定するものの、それゆえに言葉に強くこだわる言語哲学の側面をもつのも、このような理由がある。仏教思想の潮流でひときわ言語に焦点を当てた実践は、やはり禅宗だ。

 禅も言語的な本質によって固定された論理的で必然的な構造として世界を見ることはない。禅にとっても、言語的本質、「名」、概念は虚妄である。ぼくたちの目の曇りのゆえに虚空に映し出される幻影のようなものにすぎない。人が経験するこの世界は何ひとつとして確かな根拠をもたない。空、一切は空である。

 禅は世界からすべての本質をひきはがす。そうして、世界を徹底的にカオス化してしまう。その実践の方法が座禅だ。座る。ただ座る。すこしでも意識を動かしたり、理性を働かせたりしてしまえば、たちまち言葉に縛られてしまう。だから、五感のすべてを外へと開放しながらも、それを意味づけることをしない。そうして存在の根源へと迫ろうとする。

 しかし、禅は世界をカオス化して、無の実相を明るみにするだけではない。世界のカオス化は禅の体験の前半部でしかない。一度カオスとした世界に禅は再び秩序を回復させる。しかし、前とはまったく違った形で、である。

 無の経験の前、世界は言語的な本質によって分節されていた。禅はいったん本質を奪い、分節を失わせる。絶対的無分節を経験する。その後、世界の経験を回復させる。そのとき、分節は帰ってくるが、本質は帰ってこない。言い換えれば、世界の事物は本質という固定点をもはやもたない。

 禅体験の前「花は花」「鳥は鳥」であった。いちど花も鳥も無へと消失した後、花は花として、鳥は鳥として、帰ってくる。しかし、その本質は存在の凝固点としての力はもはやもってはいない。だから、本質に固定されず、互いに透明で流動する。鼻は鳥に流れ込み、鳥は花へと転変する。これは「華厳経」の「一即一切、一切即一」の理論を受け継ぐものだ。

 道元禅師は「水清くして地に徹す、魚行きて魚に似たり。空闊くして天に透る、鳥飛んで鳥のごとし」と残している。鳥が鳥であるのではなく「鳥のごとし」という。しかも、その「鳥のごとし」が無限に空を飛ぶ。鳥としての本質が脱落して、鳥として固定されていないからだ。しかし、鳥としての分節は存在している。井筒は、これを禅特有の存在の「無本質的分節」と呼んでいる。


   ***


禅と言葉の結びつきを考えるうえで「公案」に触れないわけにはいかない。禅宗の思想のエッセンスを凝縮したものとして、いわゆる「禅問答」と呼ばれる問答がある。その記録が公案である。「公案」を読んでみると摩訶不思議な禅宗の言語世界を知ることができる。南宋時代に編まれた著名な「公案集」である「無関門」には様々な説話が収められている。

 「無関門」にある公案では、中国禅宗五家に数えられる「為山」(本来は為にさんずい)がまだ若く、修行をする寺の台所で炊事係をしていたころの話がある。寺の和尚が弟子たちにむかって、浄瓶をとりだして「これを浄瓶と呼んではならぬが、お前はなんと呼ぶか」と問うたことがあった。多くの弟子たちは「まさか、木片と呼ぶわけにはいくまい」などと答えているところ「為山」は卒然とその浄瓶を蹴り倒して外に出て行ったという。その「答え」が認められて「為山」は寺をひとつ任される大抜擢をうけたとのことだ。

 浄瓶を指して浄瓶と呼んではならないという問いかけも無体なものだが、それに対する答えが浄瓶を蹴り倒すというのも無茶苦茶にみえる。この応答が何を露わにしているのかといえば、問いと答えの関係性を、である。

 言葉を用いた問いに対して、言葉による答えがあると前提してしまえば、言葉からは離れることはできない。浄瓶を「浄瓶」と答えることは浄瓶の本質があることを認めたことになってしまう。しかし、答えないでいることも、無を無のまましておくことでしかない。だから、本質によらない分節を示さなければならない。そこで「為山」は蹴倒すという分節で答えて見せた。一見非合理的で暴力的に感じられる行為によって、あらゆる存在分節を一気に超出して見せたのである。

 禅のいう「無」や「無心」という言葉には存在の非分節だけを思わせる向きがあるが、そうではない。無は変化と運動の原理である。だから、絶対的な無分節者が時々刻々として新たに自己分節をして、経験世界を創造していく動的な運動として捉える必要がある。

 前に見た孔子と子路の子弟の問答と禅師と弟子の問答には明らかな差異がある。比べてみれば、有的本質に立った世界と無的本質に立った世界の違いを明瞭に見て取れるだろう。



1-3-3. 無の東西

東洋思想のエッセンスとして、マーヒーヤとフウィーヤの差異、そして、有と無が一体化する理論、この二つを見てきた。『意識と本質』において井筒は、この二点にとどまらず、東洋思想のさらなる多様な側面を描いてくれている。たとえばユングの元型論を援用しながら、チベット密教の曼陀羅やユダヤ神秘主義のカバラのイメージの世界についても言及している。しかし、いまは差し控えておきたい。

 東洋思想の伝統は無の体験を自家薬籠中の物としていた。では、西洋の知性が無を感じたことがまったくなかったのかといえば、そうでもない。井筒は好んでジャン=ポール・サルトル『嘔吐』の一説を引く。主人公アントワーヌ・ロカンタンが、街路樹として植えられていたマロニエを見て、吐き気をもよおす有名なラストシーンを、である。

 ロカンタンは存在の真の姿をマロニエの木の根元に見る。無定形で、汚くて、ぶよぶよして、ねばつく、淫らでいかがわしい塊として見る。根、幹、葉といった、人間が認識のために引いた言葉の境界線はすべて脱落している。裂け目も切れ目もない、ただそこに有りつづけるだけの生の存在そのものだ。

 畢竟、サルトルにとって言葉の脱落した無は、目眩を起こし、吐き気を覚える、どこにも逃げ場のない監獄のような領域でしかなかった。だから、サルトルは形のない存在に本質としての形を与えようと考えた。

 人間存在の本質は無である。生まれつきそうなるべき本質を備えているわけではない。だが、無は吐き気をもよおす不気味な塊でしかない。だから、この無としての存在に切れ目をいれ、そうなるべき本質の形をあたえてやらなければならない。人間は自己の本質を掴み取ってなるべき存在へとなるべきである。それがサルトルの「実存主義」のエッセンスだった。


西洋的知識人の伝統の頂に立つサルトルは絶対的無分節の有=無を拒絶するほかなかった。それに対して、東洋思想の賢人たちは絶対的無分節の有=無のもとにいともたやすく有ることができた。このことは西洋の知性と東洋の知性、その双方にとって世界の実相がいかに見えるかの差異を顕著に示してくれている。

 世界の実相について、西洋思想の知者の目には神的な法則によって整然と秩序づけられた美しいコスモスが見える。それに対して、東洋思想の知者の目には生々流転する絶え間ない流動のカオスが見えるのだ。井筒が東洋思想と西洋思想の別にこだわるのには、こういった差異がたしかに認められるからだろう。

 もっとも、西洋思想にも東洋的な無に肯定的な価値を与えた思想がなかったわけではない。エックハルト、ニコラウス・クザーヌス、ヤーコプ・ベーメらいわゆるドイツ神秘主義者に代表される「否定神学」の伝統がまず思い起こされる。それから、ハイデガー。そして、サルトル以後の西欧の思想は、サルトルが開いた無への扉を、さらに大きく押し広げ、その先へと進んでいこうとするだろう。

 いずれにしても、西洋の哲学は論理性を重んじてきた。理性によって理解されるものこそ真理であるという前提に即してきた。しかし、東洋の哲学は理性の操る言葉は妄念であるという前提にある。だから、知的理解だけで真理に到達することを認めない。真理に至るためにはむしろ理性を放擲する必要がある。

 それゆえに、西洋的思考が純粋な知的運動に基づいた精神性を重んじるのに対して、東洋的思考は言語から離れた非知的な修養、すなわち呼吸や瞑想に基づいた身体性を重んじることになった。ぼくは東洋思想を学ぶことで身体への感覚を強く意識するようになった。そこから、座禅も体験したり、クラシックバレエやコンテンポラリーダンスを学んだりした。マインドフルネス瞑想の受容は、ぼくにしてみればごく自然な流れだった。


   ***


マインドフルネス瞑想からは井筒から学んだ東洋思想のエッセンスがたしかに感じられる。仏教の伝統という元を同じくしているのだから当然と言えば当然のことなのだが、いまやビジネスマンでも手軽に実践できるスキルとして広まっている瞑想の背景にはこれだけの哲学的前提が潜んでいるのである。

 グナラタナは『マインドフルネス』において、世界に現れるすべてのものは無常であり、儚く移り変わっていくと述べている。あるいは、ティク・ナット・ハンは『〈気づき〉の奇跡』において、世界に存在するすべてのものが相互依存の関係にあって一者としてつながっていると述べている。

 彼らの言葉は、宗教的な直観からもたらされた教えであり、平易な言葉でわかりやすいけれど、受け取る側としては、そういうものとして受け取るほかはない。しかし、東洋思想の伝統に学んでみれば、グナラタナの言葉は「東洋的無」を語っていて、ハンの言葉は「縁起」を語っているのだと理解できる。

 いずれにしても、マインドフルな意識は「いまここ」の一回限りの呼吸を意識する瞑想にひもづいている。畢竟、呼吸などどれもこれも同じだと考えているうちは妄念のマーヒーヤに縛られているのである。それこそマインドレスな意識の有り方だ。

 だから、マインドレスな意識は言葉によって縛られている。「いつも失敗する」「人は信じられない」と言う人がいるけれど「いつも」は本当にすべてそうだったのか、すべての「人」が信じられないのか、マインドフルな意識は言葉の魔力から距離をとって細かな動きやブレを見ようとする。そうして、一回きりの存在の現れ方、すなわちフウィーヤを看取しようとするのである。


   ***


マインドフルネス瞑想は永遠不変の本質などないことを、生まれてくる変化や運動が世界の本質であることを、その思想的な前提にしている。だから「いまここ」で一回限りの存在として浮かびあがる自身のフウィーヤを感じ取ること、そのフウィーヤが世界のすべてと結びついていることを感じ取ることが、マインドフルネス瞑想の伝える全体性の回復ではないだろうか。

 重要なのは、フウィーヤとしての「このもの性」は永遠不変の本質ではないということだ。個人の性格や人格のようなものとフウィーヤを同一視してはいけない。人は変わる。いま有る存在はすべてこの一回かぎりにしか存在しえない。世界に起こる出来事はすべて一回きりだから、それに応じて、人もかならず変化してしまう。

 畢竟「いまここ」に存在している唯一の存在、フウィーヤとしての存在、ぼくの唯一性、ぼくのフウィーヤは、他とのつながり、縁起として有る。ぼくの唯一性は「いまここ」にある関係の唯一性に等しい。だから、マインドフルネス瞑想の「全体性」とは、ぼくがぼくとして有ることにしがみつくことでは決してなく、ぼくがぼくをめぐる関係性を受容して、そのすべてと共にあると自覚したときにフウィーヤの感覚として体験されるものなのだ。


【了】

画像著作者: nhi.dang
画像は著作権フリーのものを使用しています


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?