見出し画像

「平和」とは何か。-シリーズ《〇〇とは何か》Ⅰ

筆者は、政治学や歴史学、政軍関係を専門にしていますが、政治や歴史を考究する上で、「平和」というのは、極めて重要な概念のひとつです。

では、「平和」とはどのような状態を指しているのでしょうか。

手元にある辞書を引いてみると、「①戦争がなく、世の中が穏やかなさま。②なごやかで安定しているさま」(『旺文社 国語辞典[第十版]』)乃至、「普通、人間集団の間に戦争の行われていない状態をいい、戦争の反対概念である」(『法律学小辞典 第5版』)とあります。

いずれの辞書にも共通しているのは、「戦争が行われていない状態」、つまり戦争の反対概念が「平和」であるという点です。

ということは、まず「戦争」を定義づけることを出発点としてこれを明らかにし、「戦争」から控除された残余物を「平和」と呼ぶことが出来そうです。

では、「戦争」とはどのような状態を指しているのでしょうか。

『法律学小辞典』は、「兵力による国家間闘争が通常の意味」であり、「国際法上は、戦時国際法が適用される状態」と定義づけています。

国際法の父と称されるグロティウス(H. Grotius)の主著『戦争と平和の法』の主要な関心も、その名の通り戦争と平和に向けられていました。

グロティウスの出現後、西洋社会を中心に国際法や戦争観が発展していきました。その後、戦争の研究領域においてターニングポイントとされるのは、クラウゼヴィッツ(C. P. G. Glausewitz)の主著『戦争論』です。

クラウゼヴィッツは、『戦争論』のなかで戦争を「敵をしてわれらの意思に屈服せしめるための暴力行為」にして「一つの政治的手段」に過ぎないと論じました。

開戦によって「政治的関係が中断し、独特の法則に従うまったく別の状態が発生する」のではなく、戦争とは「開戦から講和に至るまで切れ目なく続く政治の姿に過ぎない」というのが、クラウゼヴィッツの戦争観です。

ここから、シビリアン・コントロールの前提として、政治と軍事を制度的に分離しなければならないとする分離論が導かれるのです。

閑話休題。クラウゼヴィッツの戦争観に立つと、戦争とは政治の延長線上にある「一つの政治的手段」に過ぎないということになります。とすると、控除説に基づいて平和を定義づけることは困難を極めます。

そこで、別の角度から「平和」について検討してみることにしましょう。

「平和」を英訳すると、「ピース(peace)」となります。『ジーニアス英和大辞典』を引いてみると、「ピース」の語源はラテン語の「パーケム(pacem)」乃至「pax(パックス)」とあります。

社会科学系の学部出身者ならどちらも見聞きの覚えのある単語ではないでしょうか。

"Si vis pacem, para bellum."(汝平和を欲さば、戦に備えよ)との警句はあまりに有名ですし、"Pax Romana"(ローマによる平和)は高校世界史でも登場する言葉です。パックス・ブリタニカやパックス・アメリカーナであれば、見聞きしたことがある人も多いのではないでしょうか。

幸いなことに、手元に『羅和辞典 増訂新版』(研究社、1966年)がありました。「パーケム」は第三変化名詞「パックス」の単数・対格なので、ここでは「パックス」の意味を引いてみます。

辞書には、「1 講和、協定。2 平時、平安、平和(状態)」とあります。すなわち、ラテン語において「平和」を意味する「パックス」は、国家間闘争が講和条約等によって解決され、一時の平和状態にあることを指しているのです。

つまり、"Si vis pacem, para bellum."という警句の言葉通り、狭義の平和とは次の戦争までの準備期間に過ぎず、広義には戦争も平和も一つの政治の姿に過ぎないと指摘できるでしょう。

一方、20世紀以降の現代社会においては、平和学の進展に伴い、平和とは「戦争」のない状態ではなく、「暴力」のない状態である、と積極的に定義づけられます。このような平和概念を「積極的平和」といいます。

「積極的平和」概念を確立したガルトゥング(Johan Galtung)によると、貧困、抑圧、差別などの社会構造を素因とする「構造的暴力」をも含んだ「暴力」の不在状態こそが、真の「平和」状態であると考えられます。

平和学の分野において、「積極的平和」は広く受容されてはいるものの、一方で、現実主義を基調とする国際政治学などからは「理想主義が過ぎる」との批判に晒されることの多い概念でもあります。

理想主義を掲げることは簡単ですが、現実政治を考える上で、現実主義に優先して理想主義を掲げることは、思考の停止と同義といえるでしょう。しかし、だからといって理想主義を完全に排除してしまうことも危険です。

最後に、国際政治学者である饗場和彦徳島大教授のこの言葉を紹介して結びとします。

「平和を具体化するには、高邁な理想主義(非軍事) を怜悧に説くだけでは不十分であろう。理想主義・非軍事をひたすらに渇望する情念と、必要悪として武力の合理性を甘受する理性と、両面を視野に入れた取り組みの中で、平和の曙光が差し込むのではないか。」(饗場和彦「平和学とは、平和とは」『大阪女学院大学紀要』第14号、2017年)

今回から不定期で「〇〇とは何か」というシリーズを書いていきます。シリーズ第一回は、「平和」とは何かについて考察しました。

いいなと思ったら応援しよう!