コミックジェネレイションな僕らと毛皮のマリーズについて(もしくはあの日の寺山修司について)
僕は寺山修司が好きだ。
高校生のとき、同級生の好きなものを好きになれず、そんな自分が嫌になって毎日のように音楽や漫画に逃げていたころ、大好きな先生がいた。
暇さえあればずっと漫画ばかり読んでいた僕に、小説を読むことの面白さを教えてくれた恩師だ。
その先生は現代文を担当していて、校内は禁煙にも関わらず、校舎から一歩でればOKという謎理論でいつも煙草を吸っていた。授業中ふざける生徒はごく自然な顔で教科書で叩いていた。笑顔になるのは煙草の話をするときだった。公務員としての高校教師としては、ぎりぎりアウトという感じだ。
煙草の香りが嫌いじゃなかった僕は、たまに昼休みの時間にその先生の煙草に付き合っていた。
「お前の回答はいつもお前の解釈が入りすぎている。現代文はお前の気持ちを吐くための教科じゃない。」
前期定期試験テスト返しの日、煙草休憩でそんなことを言われた。
「自分の気持ちを吐く場所はここくらいにしとけ。それか小説家かエッセイストにでもなれ。」
続けてそんな言葉をかけられ、気付けばクラスメイトたちと自分に大きな壁を感じることを打ち明けていた。
次の日、現代文の授業の日。終わりのチャイムが鳴った後、先生が僕の机まで歩いてきて、「やるよ」と一冊の本を渡してきた。
それは、寺山修司という作家の「書を捨てよ、町へ出よう」という本だった。
評論、エッセイ、当時の僕にとって馴染みのないジャンルだったが、その内容はことさらに理解しがたいものだった。
「きみもヤクザになれる」「不良少年入門」、目次を読むだけで混乱し、さらに冒頭は近親相姦の話題から始まる。
いつの間にかそんな意味のわからない本を僕は夢中で読んでいた。寺山修司の真意は、高校1年生の僕にはおそらくほとんど理解できていなかったように思う。しかし、社会にとって当たり前とされる価値観に対して笑いながら唾を吐くような文章の虜になった。
それから、カバンの中には「寺山修司少女詩集」をいつも入れて、どれだけクラスメイトと価値観が違おうが、自分にはなんら関係のないことだと言い聞かせた。ひとりぼっちなど上等だという気持ちで、TikTokの話題で盛り上がるクラスメイトたちを眺めた。
そんなある日、寺山修司の戯曲「毛皮のマリー」についてインターネットで調べていたとき、検索候補欄に「毛皮のマリーズ」という文字を見つける。どうやらバンドのことらしい。
音楽にも強く関心のあった僕は、さっそくYoutubeでMVを見ることにした。
ハロー・ピープル!
カモン・ピープル!
なんだ 最近どうもつまんねえぞ
神がなんだ?
地球(ほし)がなんだ?
あのコ泣かすな 俺が許さねえぞ
カッコいいとこを見せてやれ!
アワナゲッチュー アウォナホージュー
例え 人殺しだっていとわない
それでいいのだ それがいいのだ
それで ここまでやってきたじゃねえか
ロマンチックな ドラマチックな
きっと いつかどこかで 逢えるような
おもしれえなぁ 泣けてくんなぁ
… そうか! だから 僕らは生まれたのか
REBEL SONG / 毛皮のマリーズ 作詞:志磨遼平
最初に感じた感情は感動だった。
まるで僕の大好きな漫画からそのまま飛び出してきたような強烈なキャラクターの4人が暴れまわり、ダークヒーローのような見た目のボーカルが「カッコいいとこを見せてやれ!」と叫んでいる。MVの演奏シーンとそれ以外のシーンは、普段はおちゃらけているキャラクターたちが変身した姿とさえ思えた。この曲も、他の楽曲たちも、大袈裟で、派手で、フィクションで、愛にあふれていて、あまりにもカッコいい。
すでに解散していたにも関わらず、僕は毛皮のマリーズにすっかり夢中になってしまった。
僕が大好きで大好きで、昔のものから新しいものまで読み漁り、毎週月曜日に本屋まで走っていくほど愛していた少年漫画そのものとも思えるほどの、ロックバンドが僕の前に現れたのである。
「誰かが私を待っている」・・・と、言いながら誰かを待ってました
昔のロックを聴きながら 今週のジャンプに泣きながら
彼らは私にこう言った
「ボウズ、最後は必ず正義が勝つ」
そして 開演のベルは鳴り ビリー・シアーズの登場です
ビューティフル / 毛皮のマリーズ 作詞:志磨遼平
地球の未来も気にせずぼくはここでひたすら考える
曰く、交響楽的社会 形而上学的道徳感
少年マンガ原理主義に則っていざぼくらは進め
ゴッホ / ドレスコーズ 作詞:志磨遼平
あきらめが悪いのはぼくらが
聖書じゃなくマンガを読んだから
本当のことを知りたがるのは
きっとあの日パンクを知ったから
We are / ドレスコーズ 作詞:志磨遼平
ボーカル志磨遼平もまた少年漫画を愛してやまない人間であることは、これまでの彼の楽曲の作詞からも、十分に感じることができる。
自身がこれまで感じてきた、信じてきた感情を「それが正義だ」とはっきりと歌ってくれるロックスター志磨遼平は、絶対的なヒーローであるにも関わらず、共感できて自分と似た身近な存在にもなぜか思えてくる少年漫画の主人公のようだ。
そんな毛皮のマリーズの楽曲には、「コミック・ジェネレイション」という楽曲がある。(公式でYoutubeに上がっていたのがドレスコーズのセルフカバーバージョンだったのでそちらを貼りたい)
一人だけ 一人だけ 世界でたった一人だけと
愛し合う事ができるならば
僕らは何もいらないのだ
コミック・ジェネレイション / 毛皮のマリーズ 作詞:志磨遼平
まさに、少年漫画とともに生きて、少年漫画を愛し、少年漫画を信じて生きてきた僕らを歌ってくれているかのような楽曲だ。
そうだ そうだ 今夜僕らはこの世界の
誰よりもふまじめなキング そして… わがままなクイーン!
愛も平和も欲しくないよ だって君にしか興味ないもん
我こそは恐るべき人類
コミック・ジェネレイション
ある日僕らは恋に落ちる
そして魔法はとけないまま
友情だ、努力だ、勝利だとか
これじゃまるでマンガじゃねェか
コミック・ジェネレイション / 毛皮のマリーズ 作詞:志磨遼平
少年漫画の持つ、愚かで、幼く、ピュアで、そして自分たちを無敵だと錯覚してしまうほどに限りなくまっすぐな愛に、本当は誰もが憧れているのではないだろうか。
まさにコミック・ジェネレイションである僕らにとって、誰かを愛し、愛されることは永遠のテーマであり、生きる希望とさえなり得るものと言える。
ベランダで毛皮のマリーズを聴きながら煙草を吸っていたとき、高校時代、現代文の先生が吸っていた銘柄とまったく同じ煙草を吸っていることを思い出した。
少年漫画の名作たちも、先生も、寺山修司も、毛皮のマリーズも、自分にとって大きな師であり、憧れなのだろう。
日付が変わって月曜日、今日は週刊少年ジャンプの発売日である。
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