5月18日 運動あるいはダイエットのこと

 運動は苦手だ。運動神経は悪い方だと自覚している。体育の成績はいつも3くらいだったと記憶しているし、得意なスポーツなどはない。背は高い方であったが、特にそれを活かせるわけでもなかった。強いて言うのなら、バドミントンはできる方であるかもしれない。高校の体育の時、バドミントン部の同学年に「うわ、返してきた」と言わせたこともある。バドミントンは小学生の時に友人宅で初めてやったのだが、運動音痴の私はまったくできず、つまらないと悔しいのとが入り乱れた気持ちになったことを今も覚えている。そのことがあって遊びのなかにバドミントンが増え、自然と打ち返せる程度にはなったのだと思う。

 運動は苦手だし、好きな方ではない。家でゆっくり過ごしている方がいい。だが運動はいいなと最近少しだけ思う瞬間が多くなってきた。歩いてみるなり、筋トレ(ごく軽いものではある)をしてみたり…。好きではない。でもやろうかなと思う。それはダイエットなるものをゆるゆるではあるがしているからかもしれない。

 がっちり自分にそれを課していたのは、高校卒業時から大学一年の夏ごろまでだったと思う。そのあとは反動—いわゆるリバウンドというやつがきたので、自分に厳しくしていた期間はそれくらいだ。リバウンドがきたと言えば、そのダイエットの内容は極端なものであったと推測することは容易だろう。まず食事は夜を必ず抜いていたし、外食の際にもカロリーを気にしていた。食べることが好きな私にとって、自覚している以上にストレスがあったのだろう。精神的にもかなり浮き沈みが激しかった。今も現れる心の浮き沈みの激しさは、これが原因だったのかと考えることもある。

 そんな私がなぜ運動はいいなと思う瞬間が増えたかというと、動くことで気持ちが軽くなるからだ。散歩をしているときは景色を見ながら考えごとをしたりするのだが、家で筋トレなどをするときはとにかく全力で動いている。それをすることで、終えたときにはすっきりした気持ちになっているのだ。疲れるし、息はぜえぜえと荒いが。でもそれより達成感の方が勝つ。「やり切った。嫌いなのに運動した。私えらいかもしれない」そう思うだけで少しは自分の心を救うことができるのだ。翌日の筋肉痛でさえ、努力の証だと思えば笑い飛ばせる。

 突然だが「運動」はどうしてこの字を書くのだろうか。「運」を「動かす」。「運」というのは天が決めることのように思うが、人が動かすことは可能なのだろうか。家で有酸素運動をするときは動画を見ながらやるのだが、そのなかで「運動」は「運」を「動かす」から、自分で自分に「運」(確か「いいこと」みたいなニュアンスで使っていたのだと思う)を引き寄せよう!とテロップに出る。それを見て、確かにそういう意味に取れるなと思った。ポジティブな発想だなとも。言葉の意味が気になると、それをぐるぐると考えだすのが私の悪い癖だと思う(でも気になるのだから仕方ない)。

 答えは調べれば論文などのお堅い文章で説明してもらえるだろう。だがそれはしない。自分は「運」を引き寄せるために「運動」するのだと思う方が、きっとこれからもマイペースにこの「運動」を続けていけることだろうから。

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