まゆさん

さて、何を呟きましょうか。 日々のひとりごと、小さな物語、なんでもありのエトセトラ、エ…

まゆさん

さて、何を呟きましょうか。 日々のひとりごと、小さな物語、なんでもありのエトセトラ、エトセトラ。

最近の記事

遠い放課後と魔法使いの弟子

間延びしたチャイムが過去と未来を繋いでいる。 別に来月まで待つこともない。ピリオドは打とうと思えばいつでも打てる。この銀色の柵は世界を分ける境界線なのだ。冷たい金属の感触を両手に感じている今しか実感がないのなら、私の人生はそのぐらい薄っぺらいものでしかないのだと利枝はため息をついた。 見下ろすと向かいの校舎の昇降口から三人の低学年らしい子供達が飛び出してくる。あんな時が私にもあったのか。 ピンクとブルーとライトグリーンのランドセルが跳ねるように走っていく。ライトグリーンのシ

    • 八月の巣立ち ヒヨドリ記

      8月の初め夜が明けるか明けないかの早朝、鳥の声で起こされる日が続いていた。なんの種類かははっきりとわからないけどお隣のアンテナにとまって我が家の小さな庭を見下ろしている夫婦らしき小鳥。何か話し合っているかのように盛んに囀っていた。朝っぱらからいい迷惑、もう少し寝かせてくれないかなと眠い目を擦り疎ましく思う日もあった。 数日してトウモロコシの水遣りをしていたダンナが興奮気味にスゴイの見つけたと2階に駆け上がってきた。庭の蝋梅の木にヒヨドリの巣を発見したというのだ。ここに移り住ん

      • スクールバス

        海辺のバス停で僕等家族はずっと待ち続けていた。 時刻表には一本だけバスの到着時間が書いてあったのだけれど、それがその日の日没の時間だと気づいたのは随分たってからのことだった。三人で食べるはずのサンドイッチも鳶が掠め取り真っ直ぐに棲家目指して飛んでいってしまった。何もいい事なんてないわと母さんは悔しくてたまらない様子でそのあとを追いかけて行った。そしてそれきり戻ってこなかった。父さんはみっともない真似をするからだ、今頃自分も餌になっているかもしれんと母さんのことを罵りながら波

        • 春の庭に思う

          たいして広くもなく日当たりも良いとはいえないこの庭に、今年も春が訪れた。義父が亡くなったのもこの季節でもう三十年近く時は流れている。そして同じ数だけ春も過ぎ去っていったのだけれど、その実感はあまりに薄くて、春という季節が別れと始まりを一色単に混ぜ合わせながら初夏に溶け込んでいってしまうからだろうと思う。 この広さは車一台を停めるには手頃だ。私達がここを受け継ぐ時に駐車場にしてもよかったのだけど家族の誰一人そんなことを口にする者はいなかった。この庭は義父が念入りに世話していた

        遠い放課後と魔法使いの弟子

          年の暮れ瀬戸物屋繁盛記 父の思い出

          年の暮れはいつも同じ匂いがした。ホコリ臭さと店に備えられたなかなか着かない石油ストーブの匂い。そしてそれらはこれから忙しくなるぞという祭りへのカウントダウンの始まりでもあった。 父が瀬戸物屋を生業としたのは農家の三男として家を出て独りでやっていくしかないという、当時としては当たり前の決まり事によるものだった。父が目をつけたこの商売は高度成長期の中、物を中心に豊かさを手にしていくという流れにうまく乗った。伝手があったのかなかったのか兎も角将来を悩んだ末、都心の瀬戸物問屋で修行

          年の暮れ瀬戸物屋繁盛記 父の思い出

          スポーツと感動

          東京オリンピックが終わった。連日TVは選手たちの活躍を流し続けた。真剣に競技に打ち込む人々の純粋な姿勢は美しい。勝敗を超える何かがそこにはある。今回コロナ禍でオリンピックは無観客で開催された。競技者は集中している瞬間、自分と戦っている。無の境地に近いのかもしれない。果たしてそこに観客がいなかったことが競技にマイナスだったと一言でいっていいものか。選手たちを勇気づける為の応援。だけどお祭り騒ぎのような一過性の応援は見る側の自己満足かなのかもしれない。 もっと言えば、勝負は最終

          スポーツと感動

          八十三号室の異人達

           此処を終の住処にするの。前のホームは辛気臭くて一々うるさかった。昭子がそう言う時はもう全てが決まっている。俊明は八階から広がる空を眺めて頷いた。IHだしレンジもシンプルなのに買い換えたし、火事なんてもう二度と出さないわよ。ねえお父さんいいわよね。 このマンションがどう言う事情でこの老夫婦を容易に受け入れたは分からない。しかし彼らにとって余計なお金は此処で使い切ってしまうのが良策だった。  両隣とも落ち着いた若夫婦で会釈すれば愛想良く返してくれるし、重そうな荷物を持ってうろう

          八十三号室の異人達

          コロナ退散!来年の事を言うと鬼が笑う

          一年を振り返る。この期に及んで。だって今日は大晦日ですよ、2020年の。皆さん無観客の紅白歌合戦を見ながら知ってる歌も少なくなって、こんなのつまらないわなんてリモコンに手を伸ばそうとしてる時間に。除夜の鐘を聞く前に一杯入って、うつらうつらしてるそんな時間に。へそ曲がりの私は、どうせ新年が来たって何かが目に見えて変わるわけでもないし、むしろ変わらないという安定感に毒されている?ことに幸せを感じているのにね。 そんなズボラな私だからこそ、今年が持つインパクトはかなりの重圧だった

          コロナ退散!来年の事を言うと鬼が笑う

          お婆ちゃんになりました

          10月13日、初孫が誕生しました。男の子です。長男の息子です。お陰様で母子とも健康で予定通り退院しました。コロナの時代、妊娠中も息子夫婦はかなり神経を使いこの日に臨んだようです。さらに病院はコロナ対策を徹底しており、付き添いは1名、面会全面禁止。分娩当日も息子は病室でお嫁さんの腰をさするぐらいはできましたが、いざ分娩となれば立ち合い出産など認められません。昔のドラマのシーンのように病室でひとり耳をそば立て産声を待っていたそうです。そして新生児室の窓越しでジュニア君と初対面し、

          お婆ちゃんになりました

          カボチャ🎃奮戦記 3

          カボチャには雄花と雌花がある。それさえも実は私、忘れていたのです。そう、これ小学校二年の理科でやったヘチマと同じ成長過程だったのです。一年生は朝顔、二年生はヘチマ。それが私の世代の夏休みの観察の定番でした。カボチャとヘチマ、雄花と雌花、蔓植物、黄色い花、そして実がなる。類似点が多くあります。観察日記の宿題はズボラな私にはとても苦痛で、ヘチマの世話は農家の三男だった父に任せて八月の終わりになり観察日記を一気に仕上げ、つじつま合わせに必死でした。 まあ、こんな人間がカボチャ栽培

          カボチャ🎃奮戦記 3

          カボチャ🎃奮戦記 2

          左の如く長雨はたたり目。自由に手足を伸ばし弦も垣間見れてきたカボチャですが、葉の色が何やら怪しくなってきました。元気な緑が霞んできたように見えます。どうやらうどん粉病のようです。 葉には白いシミのような模様がつき、気がついた時は殆どの葉がその状態になっていました。うどん粉病は一種のカビの悪さだそうです。カビですから日当たりを良くしたり泥の跳ね上がりを気をつけたりすれば改善が見込まれるのでしょうが、限られた狭い庭ではそうともいきません。何より今年は例年より雨の期間が長いようで

          カボチャ🎃奮戦記 2

          カボチャ🎃奮闘記 1

          思いつきだったのですが、ダンナのやってみようよの一言で、台所の三角コーナーから助け出されたカボチャの種は、蒔き時も気にされず小さな庭に埋められることになりました。カボチャ、可愛い名前じゃないですか。パンプキン、夢のあるシンデレラの馬車。南京、おばあちゃんの煮物。丸くて愛らしくて、勿論美味しいカボチャ。どうしよもなく苦手だという人はあまり見かけたことはありません。あわよくば収穫を目指し素人カボチャ栽培はスタートしました。 まずは大きめの種を選りすぐり、綺麗に洗って風通しの良い

          カボチャ🎃奮闘記 1

          令和二年家電達の反乱

          電気製品というものは、一つがダメになると次から次へと調子が悪くなっていくもので、それはまさしくドミノ倒し。しかも使い慣れた物が突然前触れもなくうんともすんとも動かなくなるというのは、グータラ主婦にとっては死活問題なのです。いつかはやってくるとはいえ避けて通れぬ世代交代の恐怖の連鎖の始まりです。 そもそもは炊飯ジャーのタイマーが壊れたところでこの騒ぎが幕を開けました。まあ、この程度は何ということはない。私が忘れずに定時にスイッチを入れればよいことです。別売のタイマーもお高くは

          令和二年家電達の反乱

          寛容の可能性 誹謗中傷って何?

          数年前からツイッターを始め、文章を書くきっかけができました。字数制限があり短くてもいいし写真でごまかせることもあり、私のような者でも長続きしています。最初は大好きなアーティストのツイートを覗くことから始めましたが、そのうち自分も出しゃばりたくなりました。ツイートの内容は種々雑多で、日常のあれこれや花や風景の写真、イラスト、音楽や詩、そして猫達、何でもあり。自分の年齢よりも若い人との交流もできて刺激をもらっています。気軽で楽しいひと時です。それでも大病を患い死を覚悟しなければい

          寛容の可能性 誹謗中傷って何?

          文字を書く

          息子が何をどう思ったのか、仕事帰りに障害者施設の手作り和紙の便箋セットを買ってきました。自分は手紙を書く相手もいないから、あげるよと照れ笑い。有り難く頂戴しました。封筒が2枚便箋が5枚。和紙というものの趣があるとか風情が感じられるとかいう紙質ではありませんでした。むしろ厚みがあり、封筒などは明るいピンクとブルーの2種類でとてもポップで可愛らしい色合いです。便箋も金粉があしらってあるというよりは元気に紙面を飛び散っていて、これはこれで封筒との相性が良くて納得してしまうのです。銀

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          歌い続ける人 古明地洋哉

          コロナ感染が広まる中クラスターの元凶として、ライブハウスが槍玉にあげられました。確かに三密の温床。コロナ封じの対策として自粛の名の下ライブハウスは休業を迫られ、そこで活動する人々のパフォーマンスと生活は追い込まれました。芸術と生活、命と経済活動。ライブハウスに限らずこの二つを天秤にかけながら、コロナの時代を私達は進んでいくしかないようです。 そんな中での無観客ライブ配信は苦肉の策であったでしょう。ライブ、そこでしか聴けないそこでしか体験できない、共有する感動と時間。それが動

          歌い続ける人 古明地洋哉