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歌い続ける人 古明地洋哉

コロナ感染が広まる中クラスターの元凶として、ライブハウスが槍玉にあげられました。確かに三密の温床。コロナ封じの対策として自粛の名の下ライブハウスは休業を迫られ、そこで活動する人々のパフォーマンスと生活は追い込まれました。芸術と生活、命と経済活動。ライブハウスに限らずこの二つを天秤にかけながら、コロナの時代を私達は進んでいくしかないようです。

そんな中での無観客ライブ配信は苦肉の策であったでしょう。ライブ、そこでしか聴けないそこでしか体験できない、共有する感動と時間。それが動画となり再生可能な配信という形をとれば、ライブ本来がもつエネルギーは半減してしまいます。それは受け手以上に発信する側の苦悩でもありジレンマであったことと思います。それでもこの方法にたどり着き、芸術と生活の両立を目指して動き始めた人達の強かさと熱意。私は敬意を表するしかありません。


阿佐ヶ谷ハーネスに最後に足を運んだのは、2017年の12月のことだった。クリスマスシーズン、賑やかな商店街からちょっと入った道を高架下沿いに歩いていく。見落とされても仕方ない地味なライブハウス。階段を下り扉を開ければこじんまりとした飾り気のないスペース。演者と観客との距離が恥ずかしいくらい近くて、それでいてじっくりとパフォーマンスを楽しめる隠れ家。シンガーソングライター古明地洋哉のホーム。そのライブハウスがコロナの影響を受け通常の運営がままらぬ状態になった。

シンガーソングライターは、自意識が高くて頑固で大人しそうな顔の下で譲れない自分の世界を持っている人種。私はそんなふうに勝手に想像している。それはあくまでも古明地洋哉という人を通したシンガーソングライター像なのだけれど。彼の作り出してきた音楽は媚を売るような流行を意識したものじゃなくて、自分のスタイルに裏打ちされた音楽だと思う。引き出しの数ではなく、引き出しの深さ。歌を掘り下げていくやり方。だけどそこで足踏みをしてるわけではなくて確実に前進している。ソンコマージュ、長谷川きよし、クラシックギター、最近の彼の音楽のキーワード。そして自分のホームグラウンドで地道に歌い続ける。そう、何よりも歌い続ける人なのだ。何があっても。

現在ハーネスから3回 の無観客ライブ(有料)が配信されている。その収益の半分は支援の一環としハーネスの寄付にあてるという。男気と熱いアーティスト魂にエールを送り早速購入する。アコースティックギター編エレキギター編クラッシックギター編。それぞれにギターの種類を変え持ち歌とカバーを演奏している。曲名については控えるがアコギ、エレキ、クラッシックのバージョン違いで2作品を聴き比べることができる。どうしてこの2曲を彼が選んだのだろうかと思いを馳せながら、微妙なニアンスの違いを楽しむ。楽器の種類が変ろうとも底に流れている孤独と優しさと力強さは何も変わりはしないのだけれど。またバンド編成で力強いビートが耳に心地よいあの曲もクラッシックギターで奏でられることで新しい姿を見せてくれる。丁寧に言葉を紡ぎ歌は更に深く想いを響かせる。疾走感がもつ切なさとは違う引きずるような痛みが静かに走る。聴衆のいない空間。誤魔化しの効かない歌。心地良い緊張感。聞く者がそこにいなくとも届けようよする真摯な姿。このライブ3部作は苦境を逆手にとり、糧として彼の確かな足跡に変わっていくのではないだろうか。

シンガーソングライター古明地洋哉を少しでも多くの人に聴いてもらいたい。見てもらいたい。知ってもらいたい。遠く離れてライブハウスに足を運べない方々にとってこの配信はチャンスです。もちろんそうでない方にとっても。コロナが去った後それ以前の世界に全てが戻る保証はない。むしろ新しい価値観が生まれるてくるのだろうし、その時必要な歌がここにあるのではと私は思う。彼が歌い続ける歌が道標になるんじゃないかと信じてる。歌い続ける人、歌を届け続ける人、古明地洋哉。




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