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スクールバス

海辺のバス停で僕等家族はずっと待ち続けていた。

時刻表には一本だけバスの到着時間が書いてあったのだけれど、それがその日の日没の時間だと気づいたのは随分たってからのことだった。三人で食べるはずのサンドイッチも鳶が掠め取り真っ直ぐに棲家目指して飛んでいってしまった。何もいい事なんてないわと母さんは悔しくてたまらない様子でそのあとを追いかけて行った。そしてそれきり戻ってこなかった。父さんはみっともない真似をするからだ、今頃自分も餌になっているかもしれんと母さんのことを罵りながら波に躓きあっさりと泡に溶けてしまった。

それから僕はベンチに座って波の音だけを聴いていた。砂と水が擦れ合う退屈な音だ。水の力で巻き上げられた砂粒の運動にはどんな物理法則が適用されるのだろう。砂粒の痛みや悲しみは数式に加味されるのだろうか。万物を世界を統一できる数式はいつ発見されるのか。それにしたって所詮同じことの繰り返しだ。僕の生きてきたわずかな時間よりももっともっと退屈な筈だ。

時刻表通りに日が沈み夜光虫で飾られた青いスクールバスが僕を迎えにきた。早くしないと行っちゃうよって運転手はくらげのように笑った。母さんが準備した山ほどの下着や靴下や歯ブラシやタオルはトランクごとベンチ脇の金網製のゴミ箱に捨てることにした。新品だし誰かが拾って使ってくれればちょっとした人助けになるんじゃないか。そう思ってから中途半端な中学生サイズの衣類を手にして喜ぶ人間なんてそうはいないと気がついた。
余計なモノは捨ててきたかね。
はい、余計なモノは全部捨ててきました。

ステップを踏み外さないように足下を気にしながら慎重に乗車する。そこで初めて運転手と目が合った。多分あれは目だと思う。運転手は紛れもなくくらげだった。どろっとした厚みのある座布団のようなくらげだった。二本の触手で握られたハンドルがヌメヌメと光っていた。僕は車内をゆっくり見渡す。運転手ほど大きくないけど乗客は皆くらげだった。行儀良く前を向いて体を揺らしている。赤い髪や青い髪を揺らしながら空気みたいに、座席に縛り付けられてるというわけでもなく自由に浮遊してるわけでもなく。三十匹ほどのくらげの目が僕に向けられる。

指示された一番奥の席に着く頃にはすっかりそのリズムに馴染んでいる自分がいた。ああそうだ、思い出した。空気になりたかったんだ。何も考えず漂っていたかったんだ。
窓の外は海だった。車内ももう海の一部になっていた。砂粒と同じように擦れ合って波の音を奏でる世界の事象の一つとして僕らは体を揺らしている。


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