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社会は、理屈じゃない。

ランサーズの根岸です。

フィラデルフィアでのお話です。西海岸からニューヨークを目指して移動してきたけど、お金が底をつきて(そもそも底レベルだったけどね!)、やむなくフィリーに停滞。でもね、LOVEパークでスケボーできたし、ホームレスの友達がたくさんできたし。この街に立ち寄れたのは結果オーライでした。

さて。

フィラデルフィアに到着してから、どのくらいが経過したのだろうか。僕は、毎週水曜日に近所のスーパーへ足を運ぶ習慣が身についた。水曜日が特売日、という事実をつかんだためだ。スーパーに入ると、必ずアイスコーナーに向かった。ハーゲンダッツをみながら、「食べたいな」と考えていたのだ。無論、購入するわけにはいかない。スーパーでウィンドーショッピングをするという荒業である。我慢と欲望が怒涛の戦いを繰り広げていて、オーストラリアにいた時代と比べて成長した僕は、いつもギリギリのところで我慢が勝っていた。えらいぞ自分。

ある水曜日。ふと、ジュースのコーナーに目を向けた。そこには、いろんなジュースが並んでいる。サイズもさまざま。その中に不思議な光景をみた。ナニコレ珍百景。

1ドル25セントの500mlコーラ、99セントの1.5ℓコーラ
量が多くて安いもの。量が少なくて高いものが、隣同士に並んでいたのだ。

値札、逆じゃね?と思ったけど、そうではなさそうだ。おかしい。意味不明。でも現実。ま、百歩譲って、値段はそのとおりだとしよう。でも、少しでも離して陳列するのが普通ではないか。ましてや、ビッグイズナンバーワンの国。2ℓのコーラを飲みながら歩く人だって普通にいるところ。大きいほうが安かったら、そっちしか買われないじゃないか。

余談だけど。そういえば、全然違うときに別のスーパーで米袋をレジに持っていったら「いくら?」って逆に聞かれたことあったな。わからなかったから「4ドル」って言ってみたら「サンキュー」って。だいたいこんな感じでいいか。という雑さ(ほめてる)で、成り立っている。

仕事に活きている学び
経済合理性だけで、社会は回っていない。むしろ感情が本質だ。

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おまけ:合理性も感情もセットの新たな経営手法について

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