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そういえば哺乳類だった

8月の終わりに国立科学博物館へ
「WHO ARE WE 観察と発見の生物学 Vol.01 哺乳類」を観に行ってきた。
ここのところ自身の動物性や哺乳類み?のようなものを如実に感じていたためチョイス。

夏休み中の子ども達をかき分けて行った先の展示は、思ったよりこぢんまりとしたものでやや拍子抜けしたけれど、製作陣の想いや工夫がギュッと詰まっていてとても面白かった。

WHO ARE WE 私たちは、誰なのか

タイトルの「私たち」は、展示されている標本が私と繋がっていることを意識させてくれる。姿形は違えど同じ哺乳類であり、生き物であり、分子の集合体。標本の鑑賞をきっかけに、ゆるゆると自身の存在について思考が展開していく。

哺乳類が共通して持っているという小さな骨の標本を見ながら、自身の骨、そして私のお腹の中でつくられているであろう柔らかな骨についても思いを巡らせた。

ここのところ妊婦生活を送っていて、私の意思などお構いなしに変化していく身体に驚いている。新しい生命がトリガーになって、眠っていた哺乳類としての機能が一気に起動していくような感覚。哺乳類の身体が「私」をスルーして身体に指令を出し、お腹は大きくなり、内臓は圧迫され、乳腺が開き、全てが重怠くなる。私の身体は私のもののようでいて、何か大きな流れの中の一部であり、コントロールの効かないもののように感じる。

小さな細胞が、途方もない時間をかけ命を繋ぎながら枝分かれし、人間を含めた様々な姿形の生命体になり、今もそれは進行している。私はその只中にいる。そう思うとふと自分が透明になるようで少し力が抜けた。

人間界では妊娠した途端、様々な「検討・決定すべき事項」がベルトコンベアー式にノンストップでどんぶらことやってくる。どこで産む?どうやって産む?仕事はどうする?保育園は?名前はどうする?取りこぼさないように焦る毎日から、しばし離れられたひと時だった。

展示の詳細について全然書けていないけれど、、小規模ながらも、思考のフックになるような切り口が盛り沢山で本当に面白かった。自我の透明度を上げて、生命体としての自分を意識する時間をこれからも折に触れて作っていきたい。





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