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卒業式二部スピーチの原稿

卒業式二部で話したスピーチの原稿です。
折角なので記念に上げておきます。(好評だったので有頂天というのもある)

スピーチ原稿

皆さんこんにちは、65期のねぎまです。特に一年生は私のことを知らない人も多いかもしれませんが、あまり立派な生徒ではなかったので知らない方がいいかもしれません。

さて、今日は私が附高生活で大切にして欲しいと思うモノの考え方を、幾つかお話したいと思います。


初めに、既成概念を疑うということを考えましょう。皆さんはいま素直に椅子に座って卒業式・卒業式二部に出席していますが、それは何故でしょうか。みんなやっているからですか?社会の常識、アタリマエだからですか?

しかし、冷静になって考えてみれば、卒業式に出ても成績は上がりません。世の中には実際に「卒業式への出席は権威主義への従属を意味する」と言って欠席する人もいるわけです。

肝腎なのは、「常識や既成概念を疑うという行為」、そして「自分なりの合理化」です。常識を疑うことと、常識を否定することは全く別物です。具体例で話しましょう。私は卒業式に出るなと言っているのではありません。「卒業式には出るべきだ」という常識を疑った結果、出るべき理由や出たい理由を自分なりに見つけられたのなら出ればよいし、逆もまた然りです。ただ、何も考えず、あるいは何も疑わず常識に乗っかって出席しているのは、ナンセンスだと言いたいのです。

ところで、「分らない」を「面白そう」に変換できると、学校生活はより深みを帯びてきます。学校生活において、分からないことに対して興味を持つことは重要です。学校が教えることに留まらず、自分で知識を深め、新しい分野に挑戦することも大切です。しかし、現在の教育制度は、そのような自主的な学習を奨励するよりも、成績や試験の点数に焦点を当てている傾向があります。

また、教育制度自体にも疑問を持つことが必要です。政治や経済の影響を受けた教育制度が、常識として定着してしまっている場合もあります。それに対して、自分で情報を集め、検証し、自分なりの考えを持つことが求められます。

私たちは今、大きな社会変革の時代を迎えています。それに伴い、教育にも新たな価値観が求められます。自由な発想や創造力を育む教育が必要であり、既成概念に縛られず、自分なりの判断力を養うことが大切です。

卒業式を迎え、新たなステージに進む皆さんには、常識や既成概念に縛られず、自分なりの考えを持ち、自由な発想で社会に貢献してほしいと思います。

さて、ここまでお話してきましたが、ここで皆さんにお伝えしなければならないことがあります。実のところ、このスピーチは途中からchatGPTというAIが書いたものを読み上げていました。このスピーチの初めで私は「既成概念を疑え」と言いました。「スピーチは人間が書いている」という既成概念を、皆さんは疑えましたか?

これで私のスピーチを終わります。ご清聴ありがとうございました。


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