工業高校の普通科目は個性的な先生であふれてる(数学編)

私は子供の頃から勉強が全く出来ず、中学3年の夏頃まで就職か進学か迷っていましたが、最終的に進学することにしました。

しかし私の学力と今からの受験準備を考え、先生からは特定の私⽴の単願なら⼤丈夫とのことでしたが、私の家は貧しく学費のことを考えると私⽴は躊躇せざるをえませんでした。

結局この時期からは「⾏きたいところではなく⾏けるところ」になってしまうのは仕⽅ありません。公⽴ならば市内にある⼯業⾼校の何種類かある学科中でも、時代的に⼈気がなく、ここ数年は志願者も少ないため⼗分可能性はあると⾔われた学科を受験することにし、何とか合格することが出来ました。

なおこれからお話しする内容はあくまでも私が⼯業⾼校⽣だった1978年〜1981年当時のことであり、現在の⼯業⾼校の状況とは⼤きく違う部分があるであろうことを申し添えます。

工業高校での普通科目はゆったり授業

⼊学後、クラスメイトたちとお互いの話をする中でわかったのは、私が⼊学した学科は市内の⾼校で⼀番偏差値レベルが低かったため、共通するのはみんな勉強が出来ない⼈たちばかりだったということです。

それだけでなく、結構不良っぽい⾯々も数多くいて⾃分も含めてここは落ちこぼれの集まりの場なんだなあ、と妙に納得というか逆に若⼲⼼地よさを感じたりもしました。

⼯業⾼校というところは当たり前ですが普通科⾼校と違い、学科の専⾨⼯業科⽬の授業が半分以上を占めます。そのため普通科⽬は当然、普通科⾼校で勉強する分量には及びません。ですから⾼校1年では数学なら確か数学Ⅰの教科書だけをやっていたように記憶しています。

⼯業⾼校は基本、⼤学受験に向けた勉強を強化する必要がない(もちろん⼤学へ進む⼈もいます)ので、⼯業⾼校の普通科⽬の先⽣は結構ゆったりと授業をされていました。

中学時代の数学授業は私にとってトラウマになっていた

私は⼩学校から算数が特に全くダメでした。謙遜ではなく本当にダメで掛け算の九九は⼩学5年まで完全に覚えられなかったし、暗算、ひっ算は⼤⼈になった今でもダメです。

そんな⾵で算数の基本が出来ていないので、中学の数学が理解できる訳がありません。思い起こせば中学2年の時の数学の先⽣は私にとって最悪で、高年の⼥性教師だったのですが、とにかく厳しくて⽣徒を褒めるということを全くしない先⽣でした。

授業の進め⽅は基本部分を⼀通り説明したら、教科書の中の練習問題を席順に割り当てて、次の授業の時に前へ出て⿊板に解き⽅を書いて説明しなさい。というやり⽅で⽣徒に説明させて違っている所だけを先⽣が補⾜説明するといったスタイルです。

授業内容についていけていなかった私は恐怖で体が凍り付く思いでした。
当時書店には「教科書ガイド」という教科書の中の練習問題の解き⽅・解答ばかりが載った本が売っていました。今もあるのかな︖

みんなその本を買って、⾃分が当てられた問題の説明のための準備をするんです。当然私も買ってきましたが、そもそも授業についていけてない⾃分が本に書いてある数式を⿊板に書いても、⾃分が理解できていないから説明はしどろもどろで怒られるありさま。

先⽣としては他⼈に説明させることで問題を解く能⼒を⾝に着けさせようという意図があったのでしょう。ある⼀定レベルを持った⽣徒が集まる塾のようなところであればこうしたやり⽅もアリなのかもしれませんが、私にとってはこの授業が完全にトラウマとなりました。

ただでさえ内向型で⼈前での説明が苦⼿だったところに、こうした経験によりそれからというもの、数学の授業に限らずみんなの前で名指しされて質問される場⾯があると動悸と冷や汗が出るようになり、それは⼤⼈になった今でも続いています。

中学での苦い記憶により⾼校での数学も勉強しようという気持ちはこれっぽちもありませんでしたが、最初の授業で私は⽣まれて初めての感覚を味わうことになります。

高校で数学の授業が理解できた!

1学期の数学の第⼀回⽬の授業。担任の先⽣は⼩柄な男性で歳は40代半ばといったところでしょうか。ハキハキとした喋りで声がよく通っていました。

⾃分の価値観を⼀⽅的に押し付けてきそうな、内向型にとって少し苦⼿な匂いがします。授業は数学Ⅰの教科書の最初のページからきっちりとした説明が始まりました。

とにかくものすごく噛み砕いてゆっくり説明していくんです。
え︖ 嘘。すごくわかりやすいんだけど。

これが正直な感想でした。

問題の解き⽅のポイントなどをしっかりと丁寧に説明してくれて、教科書の中の練習問題を⾃分でもやってみるのですが、解けるんです。⾃分で⾃分に感動していました。

中学では苦⼿な科⽬の授業で⼈前で公開処刑をされたようなつらい思いを味わってきました。それだけに⾼校の数学の授業では先⽣の説明が理解できる。こんな経験は⽣まれて初めてでした。

もちろんこれは⼯業⾼校かつ偏差値レベルの低い学科での授業であることを先⽣が考慮してくれた結果に他なりません。元々分量に差がある普通科⾼校ではきっと同じような授業内容にはならなかったでしょう。

でも私はこの授業のおかげで内容が理解できたんです。中学までは下から数えたほうが早かった成績順位が、上から数えたほうが早くなったんです。

普通科⾼校から⾒たら⼯業⾼校での上位なんてたかが知れてるでしょう。それでも私にとっては出来なかったことが出来るようになった。こんな⾃分でも上に上がれることもあるんだと思えた出来事でした。

卑屈になるなと、人生論を語る

この数学の先生は感情表現もちょっと熱いところがあって、数学とは関係ない⼈⽣論みたいな話もよくされていて、私はそうした脱線話は嫌いではないので、いつも興味を持って聞いていました。

詳細まで覚えていないのですが、ある⽇の授業内で私たちの進路についての話になったことがあり、どんな進路を考えているのか、将来どんなことをしたいのか。といったことを先⽣がみんなに聞いたのです。

そこで⽣徒たちは皆⼀様に「明るい希望は持っていない」ようなことを⼝々にし始めたのです。私を含むここにいる⾯々は皆勉強が出来ない落ちこぼれでこの学校(学科)しか選択肢がなかったという者ばかりです。

それだけに普段から向上⼼を持つということが希薄で、「どうせ俺はバカだから」「ここしか選べなかっただけ」などというセリフは⼝癖になっていました。

そんな⾵だから先⽣が将来の夢を聞いたときにも否定的な反応でしかなかったのですが、この時先⽣は顔を⾚らめて突然怒り出したのです。

「お前ら卑屈になるな︕ 勉強が出来るかどうかだけでその⼈の⼈間性まで否定されるものじゃない。⾃分のことをバカにするようなことを⾔ってくる奴らにはハッキリと⾔い返せ︕」

⾃分に⾃信がない人(特に内向型な自分)は何かにつけて⾃分はどうせダメだ。という結論になりがちです。ポジティブ⼀辺倒の考え⽅もどうかとは思いますが、確かに⼀部のダメなところを取り上げて⾃分のすべてがダメということはないはず。

とにかく自分の人生に少しながらでも自信というものを初めて感じさせてくれたという点では、この数学の先生に出会えたことは幸運なことでした。


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