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新書『帝国図書館』執筆余録~年表のはなし

拙著『帝国図書館―近代日本の「知」の物語』(中公新書)をお買い上げくださった方、すでにお読みいただいた方、どうもありがとうございます。本当に感謝しております。

本書刊行後、何人かの友人から、どうやって書いたのか、どのくらい時間をかけたのか聞かれました。その回答かたがた、執筆余録として書き残しておこうかと思います。

執筆期間ですが、準備期間含めて入稿まで3年半、本腰入れて書き始めてからはだいたい1年弱です。
準備期間として、まず年表作成にかなり時間がかかりました。

本書のあとがきにも書いたとおりですが、この本は帝国図書館文書『上野図書館沿革史料集』の記事を一つ一つExcelに入力することから始めました。

これは、支部上野図書館時代の職員の方が、帝国図書館文書などを見て重要と思われた事項を抜き書きしたものです。

リンク先のデジコレの画面をご覧いただけるとわかると思うですが、1つの文献から複数の項目を採っていて、それが終わると別の文書からの抜粋が続きます。昭和の出来事のあと明治に戻ったりしていて、必ずしも年代順になっていません。
なので、これをExcelにいれて、年月日順にソートしたら、帝国図書館の基礎年表ができるだろうと、こう考えたわけです。

よく知られていることもあれば、普通に知らないこと、知られていないことなども書かれており、読むだけでも勉強になりました。

Excelの画面は、現物はちょっとお見せできないので、仮のものでこんな感じです。

西暦を入れて、それから和暦での年月日を入れます。

並べ替え条件の優先キーは西暦、月、日です。

並べ替え条件

明治5年以前の太陰暦(旧暦)の出来事は問題なのですが、ソートするときに面倒なので、西暦に換算して入れます。岩波の年表は太陽暦採用なので、それに従って、項目の所に「旧暦では何月何日」と併記することにして入力していきます。

変換ツールもあるので、それも使いました。

入力した記事項目の最後には()をつけてその中に典拠資料名を入れます。年表には必ず典拠となった文献があり、必要に応じてそれを見ることで情報源が確定できるからです。これは文章を書くときにも、重要で引用すべき典拠を探す際に有用です。

人に見せるわけではないので、項目の表記揺れは多少は目をつぶります。日付が間違っておらず、何が起きたかがわかればよいので。ただ、日付にズレが生じた場合は、典拠にあたって確認します。どれが事実なのかを特定する作業ですから、史料批判でもあり、いちばん歴史学っぽい作業といえるかもしれません。はたから見れば物凄い単純作業に見えると思うのですが、やっていると「いままさに史実を特定しているのだ」という高揚感もあります。

文献によって記述に微妙な違いもあります。そういうときは、事実として確定できる部分までをおさえて本文に落とし込む必要があります。

Excelの列は、重層的に出来ごとの関係性が見えるように、4つくらい作りました。

大きく分けて、帝国図書館そのものの事項、周辺の業界の動向、メディア・報道・新聞記事リスト(図書館関係の記事掲載の日付)、社会全体の動向など・・・といった感じです。ひたすら入力していきます。入力することによって、日本史周辺の知識が格段に増えるメリットがあります。

さらに、入力後に並べ替えををすると、この記事が出た前日にこんなことがあったのか?とか意外な出来事のつながりが見えるようになります。

周辺事項に関しては、『近代日本公共図書館年表』とか、岩波書店の『近代日本総合年表』とか、あとは『日本出版百年史年表』とか、そのあたりのツールから主だった事項も入力して年表を膨らませていきました。図書館関係だけでざっと5,000項目以上からなる年表を作って、それを見ながら構想を練りました(社会関係を入れるともっと多くなります)。

出版百年史年表は典拠が不明なのでちょっと困るのですが。

大学院生の頃、ある年表作成の仕事に関わった経験から、「記者や作家、芸人さんまで色んな職業の人が取材・ネタ帳を持ち歩くように、歴史研究者も必要な情報をまとめた自前のオリジナルの詳細な年表を持たねば駄目なのではないか」と考えるようになりました。

以来、せっせと自分のためだけにいろんな本から知識・情報を引っ張り出して年表に打ち込む作業に没頭しました。30代の初め頃は、これは学んだことの「見える化」だと思って作業していました。爾来、その年表はずっと私のパソコンのなかにあり、OSが変わっても更新され続けていて、今回の作業も、その延長上にあります。

巻末の年表もかなり削りましたが、この表の応用で出来たものです。

大学生の頃、先生や先輩方が議論しているのを見て、何でこんなに物知りなんだろうか、単純に本を読むだけでここまでになれるのか?と疑問に思っていました。

結局、本を読むだけではどうも足りないらしいと気が付いて、「他の人は知っているのかもしれないけれど、私が知らない情報」は全部ノートにメモする、知っている人名もいまいち説明に自信が無いものは『国史大辞典』のコピーをとったり主要な履歴を抜き書きする、年表も、分厚いのを1冊買って、卒論に関係ありそうな項目に印をつけ、それをExcelとかノートに抜粋する、という作業をしていました。

力業なのかもしれませんが、基礎知識がない以上、そうするよりほかなかったともいえます。なにしろ知識も読書量もなかったので、年表から自分の必要なものを拾うという作業は割と新鮮で、そんなことがあったのか!とそれなりに楽しく入力できていた気がします。

概説書や研究書を読むときもそうで、作業に慣れてくると、その本の論旨を追うこととは別に、「あれ、これ年表に載せてない新事実だ」と思って、その本を出典として自前の年表に書き込んだりもしていました。後から思うと、この作業をしたからこそ、歴史書の叙述においても著者がどの事実を選ぶかに個性が出るということが、割と早い段階で感覚的に理解できたのかもしれません。

歴史家はどうしても選択的です。歴史家の解釈とは別に、歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、途方もない誤謬です。

E.H.カー、近藤和彦訳『歴史とは何か』新版(2022年、岩波書店)p.12

どの事実を使って説明するか、書き手が選んでいるんだということですね。

だから、というと言い訳がましいですが、一つはページ数の関係で、もう一つは、マニアック過ぎて新書という体際に馴染まないという理由で、本書でうまく書けなかった出来事が多数ありました。泣く泣くカットした場面とか。この辺の事柄については、いずれ改めて書く機会があればと思います。

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