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「終わった監督」はなぜ北海道にやってきたのか~ミシャ就任前史~

2017年12月、北海道コンサドーレ札幌の監督にミハイロ・ペトロヴィッチ(通称ミシャ)が就任しました。

2018年はクラブ最高位の4位に、2019年は初のルヴァンカップ決勝に導き、エレベータークラブだったコンサドーレを3年連続J1残留させています。

ミシャが北海道に多くのものをもたらしていることは間違いありません。彼がどのような能力を発揮し、何をもたらしたかはいつかまとめていけたらいいなと思っています。

その「いつか」のために、まずはどうしてミシャがコンサドーレに来ることになったのかをミシャとコンサドーレの視点の両方から書いていきます。

「終わった監督」とみなされた不運

ミシャは2006年にサンフレッチェ広島の監督、2012年には浦和レッズの監督に就任し、2017年の夏に解任されました。

コンサドーレの監督就任当時、一般的に「一時代を終えた監督」とみなされていました。もっと悪く言えば「終わった監督」です。

「ミシャ式」と呼ばれる独自のシステムを使い、Jリーグを席巻しました。しかしその戦術はガラパゴス的とも言われ、日本が世界のトレンドから遅れている要因の一つにも挙げられていました。特にネット上の戦術分析ブロガーには批判の対象として扱われていたと思います。

また、浦和レッズの監督を解任になった要因の一つではありますが、ミシャ式自体かなり研究しつくされて攻略されるようになりました。

『砕かれたハリルホジッチ・プラン』の著者である五百蔵容さんによって、ミシャ式の総括がなされています。

ミシャにとって不運だったのは自らが解任されたのと同時期に、サンフレッチェ広島の森保一監督が成績不振で退任したことでしょう。

森保監督は、2012年にミシャの後を継ぎサンフレッチェ広島の監督に就任しました。就任後は4年間で3度のリーグ優勝を果たしました。

引き継いだのはチームだけじゃなく、システムもでした。もちろん完全にミシャ式と同じではなく、アレンジをした形でチームを栄光へと導きました。ただし、端から見るとミシャ式の亜種とみられていたのは否めません。

ミシャと森保さんが成績不振で同時期に退任したこともあり、サッカー界で「ミシャ式の終焉」ととらえられたのは仕方のないことでした。

このような背景もあり、サッカーファンによるミシャの印象はあまり芳しいものではなかったと僕は思います。

四方田監督の限界~インプットとアウトプットのバランス

現在コンサドーレのヘッドコーチをつとめている四方田修平コーチは、2015年から2017年にコンサドーレの監督をつとめていました。

四方田さんは、サッカーファンの間ではあまり知られていないかもしれませんが、日本でも屈指の実力をもつ監督だと僕は思います。特に特筆すべきは「育成年代とトップチームの両方で結果を出している」点です。

2004年にコンサドーレU-18の監督に就任した四方田さんは、2005年に高円宮杯準優勝、2011年にプレミアリーグイースト優勝、2012年に同じく準優勝と、Jユースカップ優勝に導きます。どれも北海道の育成年代では快挙でした。

その後2015年にトップチームに途中就任し、2016年にはJ1昇格とJ2優勝、2017年には当時クラブ最高順位のJ1 11位に導きました。

しかし、結果を出していたにも関わらず、僕は四方田さんを2017シーズン限りで退任させるべきだと思っていました。

四方田さんは1999年からこれまでずっとコーチや監督としてプロチームの現場に立ち続けていました。つまりアウトプットの連続で、インプットする時間はあまり多く取れてないのではと推測できます。

そんな中でエレベータークラブと呼ばれていたコンサドーレを率いて、J1の厳しい戦場をくぐりぬけたわけです。その戦いぶりを見る限り、四方田さんは持っている引き出しをすべて使い切ったと感じたからです。

このまま四方田体制を継続させて翌シーズンに臨むと、持っている引き出しが足りなくじり貧に陥るのではないだろうか。そういう危機感がサポーターである僕の中にありました。

しかし誰がクラブ最高順位に導いた監督にクビを言い渡すことができるでしょうか?間違いなく不可能だと僕は思っていました。

ところが驚くべきことに四方田さんは2017年をもって監督を退任することになるのです。

なぜコンサドーレはミシャを選んだのか

退任を言い渡したのは、コンサドーレの野々村芳和社長です。野々村社長と四方田監督は、かつては選手とコーチの間柄で気心の知れた仲でした。

そしてコンサドーレが後任に選んだのは、ミシャでした。ミシャを選んだ理由として野々村社長は3つの理由を挙げています。

1つ目は攻撃サッカーの導入です。残留が目標ではなくより上位を目指すために「攻撃的なマインドはクラブとしてどこかで身につけなくてはいけない」というわけです。

2つ目はクラブとしてのビジョンの問題です。今後売上を伸ばしていったところで、現行のサッカーで順位を上げることができるのか。「上がらないだろう」というのが野々村社長の見解でした。

「この先売上が伸び悩む可能性もある。そうなった時にサッカーの質でカバーして35億円規模でも優勝争いできるようになるのが理想」とも語っています。

3つ目はタイミングです。いい監督が都合よくフリーでいることはありません。コンサドーレにとって「いい監督」だったミシャがフリーだったというわけです。

また、四方田さんについてはコーチとして留任させるというウルトラCを実現させました。

さて、四方田さんの退任とミシャの就任を聞いたときは、「フロントよく決断した」という気持ちと「でもミシャか……」という気持ちが交錯しました。なにせ「終わった監督」です。もうJ1の世界でミシャ式は通用しないのではと思っていました。

しかし、浦和を離れたミシャはコンサドーレにやってくるまでの半年間で休養とともに、ホッフェンハイムやバイエルン・ミュンヘンの練習を視察するなど虎視眈々と牙を研いでいたのでした……。